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外はある

#8月31日の夜に」このハッシュタグを見て、書かずにはいられなかった。

忘れもしない中学の頃の思い出。苦しくもがいていたあの日。
悩める10代のために、私には何ができるだろう?そう思ったときに、中学時代に書いた英語の暗唱大会の原稿が出てきた。もがきの中学最後にこれを全校生徒に発表する機会があった。中学生にしては、難しい訳になってしまったので、全校生徒に発表したあの日には、中学生には伝わらなかったであろう内容。翻訳前の日本語の原稿も出てきたので、載せてみる。あなたを助ける何かが含まれていたら嬉しい。

私の貴重な体験

私は中学校に入学し、毎日友達と学校の生活について話し楽しんでいました。

しかし、突然この幸せは変化してしまいました。
その朝、私が学校に行くと私の座るべき場所に、机といすがありませんでした。私は「どうしたのか」と思い、急いで自分の定められた場所に、机と椅子を戻しました。仲良く話した友は、知らないふりをしていました。

私が学校に行き、「おはよう」と声をかけても、返事が返ってこない日々が始まりました。先生に相談をし、友達と話し合い、楽しい生活が戻ると思っていました。

しかし次々と悲しいことが起こりました。
校庭で一人歩いていると背後から蹴られるボール
私を転ばせようと、前から出てくる脚
私が悲しそうな顔をすると、どんどん危険がやってきました。
暗く悲しい日々でした。

先生は一生懸命に注意をしてくれましたがその時だけで、また同じことが繰り返されました。
学校の送り迎えは両親がして、私の安全を守ることになりました。
私は対策を考えました。
できるだけ一人で行動しない。
背後には注意する。
やがて私はとても機敏になりました。

私を蹴ろうとして、転んだ人の姿を見ることもありました。
やがてこのいじめはなくなり、私に平和が戻ってきました。

けれど、このいじめはまだ本当は終わっていませんでした。
それは、二学期の初めのころでした。
私は、いつものようにクラブを終えて帰ろうとしました。
すると、なんだか机がチョークの粉で汚れているのです。
ふと、机の横にかけてあった紺の絵の具ケースを見ました。
ケースにはチョークでこう書かれていました、
「死ね」
私は、ふるえがとまりませんでした
やっとの思いでこのケースを先生に渡し帰宅しました。

私は一人ベッドの中で泣きました。
それから思いました。
「死ね」と書かれても、私にはまだたくさんやることがある。
友だちや家族が悲しむ。
私は死ぬわけにはいかない、と思いました。

翌朝、担任の先生が心配して私の家へ来てくれました。
その日の夜、母はこう話してくれました。「人は傷ついて、優しく強い心が生まれる。」
父は「学校は勉強と知識を身につけるだけでなく、性格の弱点を改める、修業の場でもある」と話してくれました。
両親の深い愛が伝わり、私の心はあたたかくなりました。

私は、中1の夏、アメリカの夏に3週間ホームステイをしました。
2年の夏にはオーストラリアのホームステイに10日間行きました。
アメリカの家族は、お父さんはアメリカ人、お母さんはフィリピン人、娘さんの夫はメキシコ人でした。
一人ひとりが独立し、認めあっていました。
日本人の私を笑顔で迎え、家族として充実した日を過ごすことができました。

オーストラリアのホストファミリーも、家族の一員として洗濯や料理を一緒にし、とても愛してくれました。
今でも、マオリ元気?とメールが届きます。
私はこの家族の愛を感じ、今生きています。
そして、私の家族の愛も、もちろんです。

やがて、私へのいじめは、なくなりました。
人には個性があります。
明るく大声で話す人、静かに読書するのが好きな人、運動が好きな人、
体の大きい人、小さい人
「いじめ」という差別は、ある意味愚かな人がやることだと思います。
そして絶対にしてはいけないことです。

私は今、自分の置かれた立場を私の貴重な体験と考えます。
なぜならこの体験から、人と人との関わりを深く考えることが出来たからです。
これから私が人間として生きていくとき、人間として1番大切なことは、一人ひとりを尊重することだと思います。
悲しい出来事も、嬉しい出来事も、私の成長の肥やしです。

世界中の人々と話し、広い心を持った人間になりたい。
地球上の一人として、優しい深い心を持って、私は国際人となることを目標にしっかりと羽を広げます。

ここまでが当時の原稿である。明日が憂鬱な悩める10代へ、30代に足を踏み入れた私がこの原稿を読み直して気がついたことが1つあった。

外はある、ということである。今のあなたには、今いる世界が全てかもしれない。しかし、それは1つの閉じた場所に過ぎない。

外はかならずある。環境が変われば当然、新たな場にあなたは身をおくことになるし、あなたが飛び出せば外はある、飛び込まなくてものぞき見する外でもいい。私が中学時代に悩みつつも、心を保つことが出来た理由の一つは、外の世界を知っていたからだ。学校とは違う習い事、塾、ホームステイ先の国、そしてそこにいる人々とのつながり。

今いる閉じた場所で評価されたり、いじめられるのは、あくまで今の場所だから、と分かっていたから、落ち込みすぎずにすんだと思う。
外の世界があなたにとって良い世界かどうかは出てみないとわからないが、視点が変われば気持ちを楽に持てる世界があることは確かだ。うまくハマればあなたにとって信じられないくらい楽しい世界も、そして少なくともあたたかい気持ちがあふれる人がいる世界はある。

今、あなたが理不尽なことをされていて辛いならば、そんな世界はろくな世界じゃない。もしいまあなたが死にたいと思っていたら、"たのしみ"が宝のように含まれるこの世を、見ずに感じずに夢中にならずに、この世を去る事はあまりにももったいないし、私はあなたがこの世を去る事自体が、全世界にとっての損失であるから、それがもったいないと思う。

インターネットが普及して外の世界を覗きやすくなった。だから私はこの文章を覗いたあなたに声を大にして届けたい。外はある。

~追記~

英語版の原稿の修正が完了したため、下記ブログの下部に載せてあります。気になったらみてちょ。

http://maoringo.blogspot.com/2018/08/blog-post.html

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