見出し画像

鬼とストーリー

「鬼滅の刃」観ましたか(2回目)


今回は「鬼滅の刃」の中で重要なポジション「鬼」について私なりの感じていることを書いてみたいと思います。

何故流行っているのか知りたくて観始めて、アニメの最後まで観て感じたのが、鬼=エンちゃんだなぁというところでした。

エンちゃんとは、

物語が進むにつれて、炭治郎達が倒してゆく鬼の最後に必ずその鬼たちが人間だった時のことが回想されます。
もとはみんな人間だった。そこから色々な理由を経て、鬼になっていきます。

私は以前から「闇」にとてもフォーカスを当てたくて、殺人者の心理などに非常に興味がありました。
特に「沙粧妙子」や映画「セブン」などで描かれる、人を殺めてしまう心理です。

画像1

画像2

鬼滅の刃での鬼もきっと、鬼になりたくはなかったと思います。でも鬼になることで自分の中の弱い部分や辛い部分をなんとかできると思った。
でも彼らは、本当に欲しかったものが何か、そしてそれが鬼になっても得られなかったことを、死ぬときに知っていきます。

家族に愛されなかった。
愛する人を失った。
認めて欲しかった。

そんな感情を強く、そしてそれらのほとんどは自分の勝手な思い込みだったのだと、それも死ぬときに気付いていきます。

だって、家族を殺され、愛する人を殺されても、鬼にならなかった人もいる。
愛する人を失った両極として、私は「継国縁壱」と「猗窩座」を想います。
かたや、鬼を倒すと、鬼舞辻無惨を倒すために生まれたのだと思うもの、かたや大切な人を守れなかったからもっともっと強くなるために鬼になったもの。

私は鬼になるかならないかは紙一重だと感じます。

誰もが鬼になる可能性をもっている。
なるかならないか。

鬼となって人間の心を失ってたくさんの人の命を奪うことは絶対よくないけど、鬼が死ぬ前に思い出すことは、彼らにとってとても大切なもので、
それにもっと早く気付ければ、そしてそれを気付かせてくれる人が一人でも居たならば、、、

寄り添ってくれる人や、理解者や仲間がいたならば。
鬼になってしまった経緯を見るとそう思いました。

私自身も実はネガティブな感情がありました。

認められたかった、愛されたかった、苦しかった。

もちろんそれらは自分の思い込みだった部分も往々にしてありました。

でもそれらには、「ストーリー」というものがあったんです。

アリエル有輝さんに、その核のストーリーを見つけてもらい完了してもらったら、その悲しみや諦めの感情がなくなるんです。
それはすごい。

エンちゃんの影響もあるけど、ストーリーについても、たくさんの人に知ってもらいたい。


というわけで、11月30日(月)夜9時から、アリエル有輝さんとインスタライブをやります。月9です。

お楽しみに!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?