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「MECHANICAL LULLABY」から考えるアイドリッシュセブン5部(ネタバレ)

アイナナ5部11章、12章が公開された。
とにかく私が強烈に感じたのは「終わりに向かっている」ということである。

正直言って、ハッピーアワー計画はどうしたんだ?とか、あれだけ騒いだドキュメンタリー番組があっさりすぎないか?とか、TRIGGERの名声復活が急すぎないか、とか、いろいろあるのだが、「とにかくストーリーをたたむ」ということを考えれば、寄り道をしている暇はない。

そうだ、アイナナは7周年なのだ

そんな状況で、今さらどうしたという感じだが…
2017年の大型イベント「MECHANICAL LULLABY(メカララ)」について、今一度考えたい。

私は4部の考察からずっと、メカララの結末と本編ストーリーの結末は、重なるのではないかと考えてきた。今回の5部ストーリー更新で、その可能性がかなり濃厚になってきたような気がするのである。

4部までの考察は、以下のマガジン収録の記事を参照いただきたい。


以下、5部12章までのストーリーのネタバレはもちろん、妄想・願望を大いに含んだ、考察という名の二次創作を書き散らしていく。またメカララ未履修の方には完全なネタバレであるし、各種ブックレットは読んでいないので、その点はご容赦いただきたい。ご不快に思う方はUターンしていただきたい。
また、画像は全て©アイドリッシュセブンからの引用である。


1.MECHANICAL LULLABYについて


あらすじ(専用サイト(https://idolish7.com/mechalala/)から引用)

ロボットドールの住む街。「アコルダトゥーラ」で、新たに目覚めたロボットドール「テラ」。
それぞれに「役割」を持つロボットドールたちは、己の「役割」を知らないテラを不思議に思うが、巻鍵の管理ロボット「ファブラ」によると、テラは自分自身で「役目」を思い出す必要があるという。

https://idolish7.com/mechalala/

スチームパンク世界のイベントストーリー。
演じているアイドル本人に比較的準拠している役柄であるものの、二階堂大和と八乙女楽(とナギ)は少しズレがあるな…というところ。(詳しくはサイトの人物紹介参照)

注目すべきは、「役目」を持つロボットドール5体である。

  • ファブラ(二階堂大和)…ドールを起こす、役割を教える、巻鍵の管理(地下書庫書物の管理)

  • オーガス(八乙女楽)…時計の管理、オルゴールを見届ける

  • ジューヌ(六弥ナギ)…演奏者のスペア

  • テラ(七瀬陸)…歌唱者

  • シエロ(九条天)…歌唱者

ジューヌについては明確に示されないが、おそらくこの5体には原型(ベース)となった人間がいる。ここに注目していきたい。

それにしても、フルボイスでないのが悔やまれる。
これ以降のイベントストーリーも、割と本編とのリンクが見出せるのだが、今読んでみれば、メカララが最もつながりが深そうなのである。
復刻はもちろんだが、フルボイス化もぜひ検討してもらいたい。
(いや、本編とのつながりが強いからこそ、フルボイスも復刻も無理なのかもしれない…?)

2.「役割」へのこだわりと苦悩

「役目」を持つドールの話をするまえに、まずは「役割」について考察しておこう。

  • ジャヌ(和泉一織)…図書館司書

  • ディッセン(千)…植物の研究

  • マーチン(和泉三月)…ポストマン

  • アプリル(四葉環)…運転手

  • ノーベン(百)…昆虫ロボットの開発

  • メイア(逢坂壮五)…料理

  • オクト(十龍之介)…ロボットの修理


◆壮五の「料理」と「曲作り」

再読してギクッとした。復刻で読んだときは「唐辛子ネタか…」と流していたが、メカララにおけるメイアの「料理」とは、本編でいう壮五の「曲作り」に他ならない。

マニュアル通りの料理はおいしく作れる
でも、オリジナル料理だと、まずいと言われる。
本当は、自分のオリジナル料理で「みんなを幸せにしたい」

4部~5部での壮五の作曲に完全に置き換えることができる。
「MEZZO」っぽい作曲を求められた4部。それなりに形にできるし、ファンもびっくりしない。でもそれは「オリジナル(=壮五自身のやりたいこと)」ではない
5部になった今、壮五は、想いのすべてを曲に入れ込んでいるという(環も気が付いている)。
そして、自信を持てる「オリジナル曲」が完成した暁には、決別した両親にそれを聞かせて、納得したいと…

アプリル(環)が試食しているのも示唆的である。
5部12章では、壮五の作曲に同行しなかった環だが、今後はそこに介入していくのかもしれない。それが、環の「やりたいこと」に繋がってくればよいが…

◆三月の「情報伝達」という役割

ドキュメンタリー番組のくだりを経てからメカララを読むと、ああなるほど、三月はアイドル界において、情報伝達(および橋渡し)とい役割を担っているのだな…と納得した。
だからこそ、ドキュメンタリー番組の司会は、百ではなく三月なのだ。

◆龍之介の「修理」…?

これがよくわからない。いまだ開花していない龍之介の能力なのか…
あるいは、一度地に落ちた信頼を「回復」して、アイドルとして再生するから、「修理」?
それとも、人間関係を修復するということ…?

◆百・千の「作詞・作曲」

千が「花」を育て、それを助ける「虫」を開発する百。
4部12章を読んだあとだと、これは作詞作曲に読み替えられる…と思った。
百・千が目指す先がわかるな、と思ったのは「花を外で自然に繁殖できるようにしないといけない」とディッセンが発言していたこと。

つまり、Re:valeが作る曲やアイドル像というものが、自分たちの領域外(あるいは、後世)においても、潰えないように…継承されていくことを目指す…それがRe:valeということになろう。
今回の無人島生活を経て、Re:valeは「花」と「虫」の形をしっかり作り上げたように思うので、それをいかに現アイドル界に拡散するか…というのが、今後の展開かもしれない。


2.桜春樹の遺作と、七瀬陸・九条天

さて、いきなり話が飛んでしまうが、メカララ終盤の話をしたい。
大変なネタバレだが、テラとシエロが忘れていた「役目」というのは、「二人で歌を歌って人間を目覚めさせること(=人間界を再生すること)」だった。

彼らが歌うのは、歌ったことがないはずなのに、彼らの記憶にある歌。
恐らくは、テラとシエロのベースになった「人間」が歌っていた歌
しかも時計塔で。

その歌は、

「なんだか包み込んでくれるような、切なくなるような、やさしい歌」
「懐かしい歌」

とされている。

これを本編5部に当てはめたい。
この歌。ほぼ間違いなく、ゼロが桜春樹に依頼し、九条鷹匡に託された「あの曲」であろう。桜春樹の遺作である。

それは九条鷹匡を困惑させるような楽曲だった。
「Dis.one」しか参考楽曲がないが、これまで明らかになっているゼロの楽曲には「切なく優しい」感じはない。鷹匡は、最後の曲が「切なく優しい曲」だったことに、驚いたのではないか。
(私は勝手に、この曲は、ゼロが鷹匡と春樹との幸せを回想するような曲なのではないかと考えている…)

そして、おそらくそれはミュージカル「ゼロ」で歌唱される。ゼロが再現される。
歌うのは九条天…のはずだが、ファンの意見は少し違うようだ。
「伝説のアイドル役は九条天にぴったり」
という声に交じって
「ゼロをやるなら、七瀬陸が良かったな」
という声がある。

ZOOLの虎於も、以下のように感じている。

「ゼロは身近なアイドルだっただろう…(中略)…どちらかというと七瀬だよな」
「(スマートでそつがないのは)どちらかというとそれは九条天じゃないか?そう思うとゼロは九条天でいいのか」

つまり、ゼロとは、九条天と七瀬陸の二人の性質を併せ持ったアイドルだったのである。
メカララの結末である「二人で歌唱する」ことと、重なる。


◆ひとりで歌う、ふたりで歌う

もう少し5部の内容を深堀しよう。
九条天は、ゼロを演じるにあたり、七瀬陸の観劇を拒み、以下のように決意している。

「ストレスに弱い陸の身体は、日本中から集まった人の心のエネルギーに、押しつぶされてしまう。陸にだけは、絶対トップは譲れない。天下はTRIGGERがとる。九条さんの夢を終わらせるためにも」

言い換えれば、「七瀬陸によってゼロが再現されるようなことがあれば、七瀬陸はつぶれてしまう」だから「自分が代わりにゼロを再現する」…ということではないか。

ここでメカララに戻ろう。

時計塔で「役目」を思い出したシエロとテラ。そのタイミングで時計塔が揺れ、テラのところに部品が倒れてくる。それをシエロがかばって、頭部を負傷するのである。

大神万理を彷彿とさせる行動ではあるとともに、上記の九条天の決意に重なる行動である。
だとすると、5部においてミュージカル「ゼロ」の中で「あの曲」を歌唱する九条天は、一度は「人の心のエネルギー」をその身ひとつに集めて、傷つき倒れるということではないのか。

メカララでは、そこにノーベン(百)とオクト(龍之介)が駆けつけ、「修理」する。
ここにきて、Re:valeの「ハッピーアワー計画」が再び効いてくるのかもしれないが、よくわからない。

ともかく、シエロは復活し、テラと共に歌唱する
本編でも、最終的には七瀬陸と九条天が二人で「あの曲」を歌唱すると考えていいだろう。
ふたりでゼロを「完全再現」するのである。


3.時計塔=オルゴール=「ゼロアリーナ」

ここからは、本作(あるいは5部)結末において、九条天と七瀬陸が、桜春樹の遺作を歌唱するという想定で考察を進めていく。

では、メカララではその歌唱はどこで行われていただろうか。

時計塔=オルゴールである。
シエロとテラのフラッシュバックする「知らない記憶」でも、時計塔で歌唱している。つまり、彼らのベースとなる人間もまた、時計塔で歌っていたことになる。

本編にこれを置き換えよう。
ゼロが最後に歌唱したのは、ゼロアリーナだ。メカララの時計塔=ゼロアリーナと考えていいだろう。したがって、九条天と七瀬陸もまた、ゼロアリーナで歌唱する、ということだ。

その時計塔は、二人のドールによって管理されている。

ファブラ(大和)とオーガス(楽)である。
オーガスは「思考回路を粗雑に」されていたらしいが、もともとは「アコルダトゥーラ計画」の全貌を知っていた人間がベースになっていたと考えていいだろう。

時計塔=オルゴールが「ゼロアリーナ」だとすれば、そこから流れてくるのは「ゼロの曲」でまちがいない。ゼロについて詳細を知り、管理する人間と言えば、、、九条鷹匡と桜春樹しかいない。
(大和と楽がこの配役なのは、父親が旧アイドル界にかかわる人間だったり、リーダーだったりするからだろう)

ゼロを再現するもの(=シエロとテラ)を起こすファブラは、言うなれば「ゼロを超えるアイドルを探し求める」九条鷹匡その人である。ゼロの情報を書庫に抱え込んでいるあたりも、かなり近いものを感じる。

一方、「2体が最後までこの曲を歌えるように、オルゴールの音が鳴りやまないか見届けること」が「役目」であるオーガスは、桜春樹に近いと言えよう。
アイドルの楽曲が途絶えないように、曲を量産し続け、ナギ・アイナナにそれを託した。アイドルの曲は、ゼロ失踪後も鳴りやまなかったことになる。


このように見てくると、「役目」を持つドールというのは、「ゼロ関係者」であることがわかってきた。
残された「役目」を持つドールは、ジューヌ(ナギ)である。

これは非常に難しい。思えば、ジューヌの役柄は、ナギ本人とは少し距離がある。終盤、彼が「(シエロとテラの)スペア」であることがわかるくだりを確認しよう。

「最悪、私がいれば、なんとかなりますから。言葉通り、最悪、でしょうが。この曲を弾いてしまうと、なにか、終わりがくるような気がして、弾くことをためらっていましたが…」

ジューヌは「あの曲」を知っていて、演奏できる。
しかし、「終わりが来る気がして」「弾きたくない」
そして、ジューヌが演奏してしまうことは「最悪(の場合)」である。

私はこれを、「ゼロ本人」の言葉として受け取った。

ゼロは失踪した。彼は彼の夢を「終わらせていない」。終わらせることから逃げた。
そして、「あの曲」はゼロが依頼したのだから、もちろん演奏(歌唱)可能である。
しかし、「あの曲」をゼロ本人が歌唱してしまうのは、「最悪」なのである。

なぜなのか。

おそらく、ゼロ本人が歌ってしまえば、「ゼロの時代に逆戻りしてしまうから」である。
ゼロひとりをアイドルとして、人々が熱狂的にエネルギーを向ける時代に戻ってしまう。

それを、陸と天の二人が歌唱することで、「ゼロ時代の「夢」」がようやく終わり、新しいアイドルの時代がはじまる…ということなのではないか。


4.ゼロの「子守歌」が再び流れるとき…

シエロとテラが歌うのは、ドールたちを眠らせる「子守歌」であると同時に、人々を新しい世界に目覚めさせる曲でもある。

眠りにつくのは、「ゼロに夢見た時代」そのもの。旧アイドル界である。
では目覚めるのは何だろうか。

再びメカララの世界を深堀してみたい。
メカララの世界では、時計は「時計塔だけ」であった。ドールたちは懐中時計を持っていても、それは動かない。オーガスは懐中時計を持っているのに、おかしな話である。

シエロは言う。「時計なんて、いくつでも、作ればいいじゃないか」
それに触発されて、オーガスはファブラに疑問をぶつける。

「時計を動かすのに大きな仕掛けは必要ない。なら、誰もが小さい時計を持って、時計塔の見えないずっと遠くに行ってもいいはずじゃないか」

小さい時計をみんなが持つようになると、どうなるだろうか。
ドール(人々)は、時計塔を見上げなくなる。特別視しなくなる。


さて、これを本編に置き換えよう。

特別視されなくなるのは、「ゼロアリーナ」だ。つまり、ゼロだ
そのかわりに、ゼロのように絶対的でなくても、人々の身近に寄り添う時計…「アイドル」が複数いる…ということではないのか。

時計塔は唯一の存在、唯一のデザイン、唯一の機能だ。
それに対して、懐中時計や腕時計は、デザインや機能に個性が生まれる
「アイドル」だって、そうでいいじゃないか…と、
いつでもどこでも人々に羨望されなくたって、変なデザインだって、それで愛されるなら、それでいいじゃないか…と、、、

アイドル自身にも、ファンにも、多様性…複数の選択肢をもたらす、新アイドル界が目覚めるというのではないか。

だからこそ、九条天ひとりの歌唱ではだめなのだ。
七瀬陸と九条天のふたりの歌唱だからこそ、ゼロという絶対的な偶像から、アイドル達は脱出できるのではないか。
もうだれも、その身一つに「ゼロ」を背負わなくていい世界が、はじまるのではないだろうか。




かなり強引な考察になってしまったが、5部12章までのストーリーを、メカララを媒介にして読み解いてみた。
アイドリッシュセブンという作品が、七瀬陸と九条天、ふたりの歌唱によって閉じられるのは、ほぼ間違いないと思っているのだが、どうだろうか?

自分で勝手に考察しておいてなんだが、とうとうアイドリッシュセブンも「終わり」が近づいているのだなあ…という気がして、それこそ「夢の終わり」に寂しさを感じてしまった。
最後まで、この「夢」を見届けたいものである。

長文にお付き合いいただきありがとうございました!

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