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「K」が死なない世界線のリアル

私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。私は、私の眼、私の心、私の身体、すべて私という名の付くものを五分の隙間もないように用意して、Kに向ったのです。罪のないKは穴だらけというよりむしろ明け放しと評するのが適当なくらいに無用心でした。私は彼自身の手から、彼の保管している要塞の地図を受け取って、彼の眼の前でゆっくりそれを眺める事ができたも同じでした

夏目漱石『こころ』「下」四十一, 青空文庫


「それでね、私は11月末ぐらいから好きだったわけ、彼のことが」

「うん、知ってる」

「いつもの5人で一緒にクリスマスマーケット行ったりしてさ、スケートリンクあるじゃんあそこ、すごい晴れてて溶けかけてて、ジーパンびしょびしょにしたり。他の3人は知ってたんだよ、それで私と岳で2人になれるように気回してくれたりして」

「ストーリー見たよ、やってんねぇ!?って思ってた」

「そうよ、イルミ見ながら次は2人で来たいなーとか妄想してさ? でもなんか、だんだんおかしいなー、みたいな。マユミと岳の距離が、なんか。うちらは5人でいつも遊んでるのに、2人にしか分からないような話して、逆に黙ってみたり、それを楽しんでるような感じもあって」

「しっとりした雰囲気のやつね」

「で、あぁこれ岳はマユミのこと、好きなんだ、好きだったのかもって。え、今何見せられてる? みたいな感じだよね。岳の目線がもうマユミを追ってるわけよ。ね? マユミがもし、岳のこと好きだったらもう付き合うのは時間の問題って感じで。でもマユミには、もうずっと相談してたし、本当に最初っからね。やけに気になる、みたいな段階から、もうそれこそ包み隠さず。それでずっと応援してくれてて、遊ぶ機会もマユミがセッティングしてくれて」

「マユミって相談しやすそうだもんね、変にきれいな世界に生きてないから『えぇあんな男?』とか思わなさそうだし、あたしは思うタイプの人間だけど」

「そうだよ、親身になってくれるんだよ、」

「……」

「でも同じ口で、一緒に飲んでて急に岳に電話かけだしたりとか、何のためらいもなく。どのくらい通話してたーとか年末やることなくて延々岳とLINEしてた(笑)とか、マウントじゃん。でも男の友達多いし、天然人たらしなのも今に始まったことじゃないからさ。もう結構この頃には、わからなくなりかけてたんだけど。それでも『大丈夫だよ』とか『こないだ岳がカホの話してた!』とか言うし、仲良いって信じてたし、そもそもマユミは横取りなんてしなくてもモテるしさ?」

「うわうわ、こわいよ」

「でもチラッとトーク履歴見えて、[昨日] のところに左から電話、右から電話、左から電話、みたいな感じで。いやもうこれはできてる、って思った。少女漫画の三角関係によくあるじゃん? てかまぁよくある縺れだよね? 友達と、その好きな人をくっつけようとして異性に接近したら、その自然な感じが逆に相手を惹きつけちゃって友達を裏切ることになっちゃった、とか。漫画かよと思ったけど漫画になるくらいよくある話なんだよ、まあその時はそんな冷静に見てなかったけど。それでもうはっきりさせようと思ってさ、金曜日に飲んでた時に詰めたの、『マユミは岳のことどう思ってるの、岳は明らかにマユミのこと好きだと思う、それでマユミがもうその気ならもう構わず付き合いなさい、あたしはもう身を引く』っつって」

「で最初はものすごいはぐらかして、顔色ひとつ変えずに『なんでそんなこと言うの、私はみんなが好きなだけ、諦めちゃだめだよ』とか言うから頭にきて、『そーゆうのいいから、怒らないから、よくあることだから』って迫ったら、ようやく『好きになっちゃったかもしれない、カホの気持ち知ってて言えなかった、ごめん』『でも岳はカホのこと好きかもしれないよ?私は彼のこと好きだけど、岳がどっちを選ぶか、選ばないかもわかんないし』って。あっはい終わりました~~~~と思って、だってもうクリスマス前には岳はマユミのこと好きなの明らかだったし」

「うん」

「それで、もう終わらせよう、けじめつけようと思って、その日のうちに岳に明日会える?ってLINEしたのね。次の日会って、もう断られる前提で告白したわけ。私があなたのこと好きだったってことだけ、知ってなさいよね!!っていう」

「えらい! 時間も気持ちも傾けてたんだもんな、めちゃくちゃわかるわ。ちゃんと言うのは本当に偉い」

「そしたら岳なんて言ったと思う? 『マユミと付き合ってるから気持ちに応えられない』って」

「…………は?」

「は?」

「はぁ?」

「はぁ???ですよホントに」

「え、怖い怖い怖いマユミとはもうすでに付き合ってて?『好きになっちゃったかも』どころの話じゃなくてもう、もう、マユミの中では決着がついてることなのに?」

「泳がされちゃった」

「……」

「岳も、私が好きなこと知ってるみたいだった。当然だよね、どうせマユミから聞いてたんでしょ」

「……」

「……」

「言葉出ないけど、大変だったね、大変だった。ひどい裏切りよ。嘘吐いて、人の気持ちを弄んで、”友情”保ちながら優越感にも浸って、どうせ一丁前に罪悪感でも覚えてたんでしょ。知らんけど。知らないですよそんなもん。あなたは偉い。そして強い、あたしなら全身全霊で罵る」

「言いにくいのはわかるよ、好きになったのもしょうがない、でも嘘は。嘘は無理じゃんもう。私は信じたかった、今思えば応援してかけてくれた言葉もふわふわしたのばっかりだったかもしれないけど、そう思いたくなかった。あんたとは違うタイプの、新しい友達だったけど、ずっと会ってて、お互いの秘密も共有してて。少なくとも私はそういうつもりだったの。ばかだ。わかってる。それでも岳がマユミを選んだっていう、そういうことなんだよ」

「純粋な坊やだよ……ばかだね、そんな女に誑かされて」

「そうだよ、みんなばか。わかってんの、周りから見たらマユミは危なっかしい女の子だって。でも私だけは違うんだって思ったんだよ。根は良い人だし、私は同性だから問題ないし、淋しくて恋愛求める気持ちも理解できる、って思ってた。私もマユミに誑かされた一人だっただけ」

「よく関わってない周りの目と、カホの個人的な経験は絶対に違うから。周りに構わず、良いと思ったら友達になれる、本当はいいやつなんだと思える、それがカホの良いところだから」

「人を信じすぎた、もういやだ」

「5分話して『こいつクズだ』って察しちゃうあたしより良いかもよ」

「どっちもどっちだよ。でも淋しかったんだよ、多分。恋愛って心の隙間埋めてくれるじゃん、楽しいからさ、毎日考えて、次会ったら何話そうとか。好きになることじたいが、すでに敗北だったとしても」

「そうだね。好きになるって最初から敗けてるよね。自分のこと、可愛がってあげて。淋しくてもいいんだよ、淋しいことは悪いことじゃないよ。生きてんだから」

「人のこと、物みたいにして。生きてるのに」

「物みたいに。カホのこともだけど、岳のことも一時的なおもちゃぐらいにしか見てないんじゃない、そういう人間なんだよ」

「……それでも根は悪人ではないんだよ、少なくとも親身になってくれた時間のなかには、ぜんぶ明らかになった後でも、嘘じゃないと思える瞬間もあった。横取りしたくなっちゃうのも、マユミが淋しいからなのかもしんない。そもそも好きになるってさ、目も当てらんないくらい自分勝手なことじゃん、だから単なるエゴのぶつかり合い、といえばそうなんだよ。いまも別に、周りに言いふらして社会的な制裁をとか考えてるわけではなくて、ただもうどうしていいか——」

「無理なくらい性善説だわ。それであまりに文学的。でもあたしはあんたのそういうところが好きだよ」

「でも書いていいよ、これを」

「書いていいの」

「書かれればいいんだよ」

「書けないよ」


私はKと並んで足を運ばせながら、彼の口を出る次の言葉を腹の中で暗に待ち受けました。あるいは待ち伏せといった方がまだ適当かも知れません。その時の私はたといKを騙し打ちにしても構わないくらいに思っていたのです。しかし私にも教育相当の良心はありますから、もし誰か私の傍へ来て、お前は卑怯だと一言私語ささやいてくれるものがあったなら、私はその瞬間に、はっと我に立ち帰ったかも知れません。もしKがその人であったなら、私はおそらく彼の前に赤面したでしょう。ただKは私をたしなめるには余りに正直でした。余りに単純でした。余りに人格が善良だったのです。目のくらんだ私は、そこに敬意を払う事を忘れて、かえってそこに付け込んだのです。そこを利用して彼を打ち倒そうとしたのです

前掲, 四十二


*不定期更新* 【最近よかったこと】東京03単独公演「ヤな覚悟」さいこうでした。オタク万歳