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繋がりとバランス

この記事を拝見して、学びがあったし、すとんと腑に落ちることもあったので書きます。


私自身は恐らくモノガミーです。
「恐らく」と書いたのは、あまり自信がないから。

私自身のキャパシティと倫理観から、ポリアモリー的な関係性はあまり向かないのかなと思ったことがあります。
しかし今思い返すと、この辺りは「相手が嫌がることをしない」を実践した結果とも思えるので、自身をモノガミーと定義する理由にならないような…。
裏垢を始めてから、同時並行で複数の方との肉体関係を持っているので、価値観も大きく変化しているのかもしれません。

なお、今の私にはパートナーがいないので、モノガミーだとかポリアモリーだとかを実際に判ずることが出来ません。
えぇ、残念ながら。パートナーはいません。

(´・ω・`)


ポリアモリーか否かに依らず、人間関係において非常に大事なことは「誠実性」、「お互いの合意を得る」という部分だと思っています。
私は自己紹介記事で散々書いていますが、お相手になる方にパートナーがいても基本的には気にしません。

そこでお互いの合意形成が出来ているのであれば。

ただ、合意形成は1対1でも非常に大変なことだと思っています。関係が近ければ近いほど、利害ではなく感情面での折り合いが必要になる。
それを複数と同時並行というのは、バランス感覚とかメンタルパワーとかいるんじゃないかと思っています。
少なくとも、気分に波があってとても疲れやすく、疲れてくると一人になりたがる私にはなかなか難しいものがあります。

…そもそも今の日本ではモノガミーが大多数なのと、法律婚もそのような建付けになっているので、ポリアモリー的な思考で頑張るのはハチャメチャに難しいとも思っています。
ポリ、モノで「なければならない」タイプの人はそこまで多くなくて、倫理観や社会通念で形成されている程度のものだとは思いますがね。
そもそも、前近代日本の庶民的な習俗はポリアモリー的なものを許容するはずなんですけどねぇ。近代化、西洋化があかんねや!!(雑)


で、今回の記事を書くにあたって、なるほどなぁと思ったところを抜粋します。すごい綺麗にまとめてくださっているなと感心しました。

1. 一人の人に集中的なアテンションを割くのを防ぐことができるのでパーソナルライフ、ワークライフのバランスを保つ事ができる。

2. 色んなパートナーとのオープンなコミュニケーションを実践していく上で、隠すことなくお互いの心地の良いバウンダリーを探っていける。

3. パートナーと新しい他のパートナーの話をシェアできるので、トキシックな人に陥ることをふせぐ事ができる。

ポリアモリーって結局なんなの?|MAYU MORIS (note.com)

ここ。
こういう存在は本当に大切なんですけど、これは別にポリかモノかは関係ない部分だと思うんですね。
どちらかというと、自分を受容してくれるコミュニティと表現する方が適している気がする。深さの問題があるかもしれないけど。
パートナーでなくてもこういう存在があるかどうかって非常に大事ですね。何でも話せる昔からの親友である場合もあるでしょうし、裏垢のような人にはなかなか言えないことを言える場の場合もあるでしょう。

ただ、こういう関係が一人のパートナーに限定されると、そこで関係がこじれ始めた時にすごいスピードでいろんなものが崩壊するなぁというのが実体験です。

私事になるのですが、私が離婚した原因はこういう存在がお互いにいなかったことだなと思ったんですね。
私も元夫も、人間関係が驚くぐらい狭かったんです。
お互い、紹介できる友人がほぼいない。
お互いが別々に連絡を取れる共通の知人は0。
ついでに、お互いにこういう話が出来る仲間もいない。という…。
少なくとも私にはなくてですね。
社会不適合タイプというか、人に弱さを見せることに強烈な申し訳なさを感じるタイプです。末っ子のくせに長女気質。
…まぁ、自己開示が下手なだけです。はい。

人間関係が閉塞していると、出るものが出ないのだなぁと今になって思います。心のデトックスが出来ないとお互いしんどいし、病む。


まずそのネットワークの基盤ができてないと、一人の深く親密な生涯のパートナーとの関係は結べないと思う。

ポリアモリーって結局なんなの?|MAYU MORIS (note.com)

私の中で、すとんと腑に落ちたところ。

健全に人間関係を作っていく力がないと、結局一人の人と深い関係を結ぶことはとても難しいですね。
人間関係は1対1が基本とはいえ、それが複数重なってバランスが取れていくようなイメージです。一人の相手だけに偏重すると、どうしてもそのバランスが崩れてしまう。

深い人間関係を健全に続けていくって、お互いに向き合う気持ちがあって、お互いが自立していて、お互いを尊重できることが必要と思うんですけど、関係が惰性になると自他境界が曖昧になる。
曖昧になると、だいたい不健全、不健康になる。

これね、なんとなく裏垢の不健康さってこういうところかもと思いました。
裏垢で会った人のことを特定するしないに関わらず話せる人は結構明るい感じで続けていられるんだけど、なかなかそれが出来ない人は自家中毒を起こしていたり。
裏垢で異性同性問わずいろんな人と繋がって、会話して、居場所を作っている人はやっぱりうまく裏垢を続けているイメージです。

もちろん、話せる人を自ら作るってのは難しいなと思います。
私が裏垢で知り合って、実際にお会いしている友人(と私は思っている人)は本当にひょんなことから繋がったり、知らぬうちのご縁で繋がっていっているので。
ただね、思い返してみるとそのご縁ってのは、何かに飛び込んでみたり、連絡を取ってみたり、自分から起こしたアクションの先に繋がっているんだよねぇ。

面白がったり、なるほどと思ってみたり、感情が震えるままに人間関係を繋げていってみると、だいたい上手くいっているなと思いました。
不思議だね。


そろそろ、いろんな人と繋がっていけるような気がしてきたのでこの記事を書きました。
人間は「腹落ち」しないと動けないものなのでね。
自分が動けるタイミングってものがあって、人に言われたことや自分でこうした方がいいと頭で分かっていても、心と体に繋がらないと動けないものだからね。

ではもう一歩、行ってみましょうか。


【追記】
書くと冗長になるので今回は触れませんでしたが、「パートナー」という言葉は使う人によって意味が大きく異なる単語だと思っています。
法律婚の決まりの上では「配偶者」がイコールですが、そうでない場合は本当に十人十色。
触れずに書いたけど、結局この範囲が狭い人と広い人では受け取る印象が変わるなと思ってしまい、かといって考えるにはサンプルが少ないとも思っていて。
この辺りは課題ですね。