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「友だち」になるということ

先日、大学時代の友人たちと毎年の忘年会に参加しました。
もういい年の我々ですが、飲むときはえげつない飲み方をするメンバーです。今回は5時間オーバーの飲み会でしたが、時間無制限飲み放題、ずーっとワイン飲んでる他メンバー。肉バル、マジサイコー。
私は前回飲み会でやらかし(note最初の方に懺悔した件です)があったので、セーブしながら飲む。私のみ後半は水です。最近、アルコールの分解が追い付かなくなってる。お酒は美味しいのですが、アルコールの分解が出来ていない。普段全く飲まないからですかね。

年に2、3回ぐらいしか顔を合わせないメンバーですが、会えばやっぱりいつも通り、クソみたいな話をして馬鹿笑いして文字通りの年忘れするわけです。
当会は「汚い飲み会」を自称しているので、大学同期でも呼べるメンバーが限られるアレな飲み会であります。ネガティブ陰キャの掃きだめ、キラキラできないオタクが好き勝手に毒と推しとその熱意を語る会です。

趣味が被るわけではない

オタクは許される場所では基本的に熱烈に布教活動するんですけど、今回は地下アイドルの現場帰りが猛烈に布教していましたね。
「この子がええねん」と言われたので全員でその子のTwitterをフォローしたり、披露されるオタ芸(上半身のみ)にやんやと喝采を送ったり。地雷メイクっぽいけど確かにかわいい。ドヤ顔でライブTシャツ見せられたし(脱ぎ方…!)、その写真が私のスマホに残っていますよ。
その日撮ったチェキと一緒にご飯の写真撮ってた。楽しそうで何より。

ただこの飲み会のメンバーは誰ひとりジャンル被りしていないんです。
私は私で自分へのクリスマスプレゼント代わりに買った海外ドラマのDVD-BOXの良さについて語るし、もう一人は今回のW杯について語るし。
最後の一人は先生です。どんなジャンルでも受け止められるし、酒が飲みたい人なので。

趣味が被っていることは全くないのに、いまだに毎年何回かは時間を合わせて飲むんですよね。同じ時間を過ごした経験があるからでしょうか。

共通の「趣味」と「友だち」と

よく聞く「趣味が一緒の友だち」って言葉ですけど、オタクの私としては「趣味」が一緒だから「友だち」になるのではないと感じています。むしろ扱いに注意しないと揉め事の種になることが多いです。
やっぱり同担拒否とか解釈違いとか、割とよく見かけるのでね。

もちろん話の広がりとして趣味がネタになるのは間違いないのですが、趣味のディープさって結構人によるので、私はネタとして出すときはどれぐらいまで話していいのか非常に悩みます。

例えば、趣味がサッカーという場合であっても、観戦が好きな人もいれば自身でプレイすることが好きな人もいるでしょうし、Jリーグ派か欧州リーグ派かでも違います。サムライジャパンでないと、という人もいるでしょう。
好きなチームがライバルだった時は血の雨が降るかもしれない。
観戦も、純粋にウェーイ!ってしたい人もいれば、静かに戦略分析が好きな人もいますし、切り口は本当に十人十色といえます。

子どものころからずっと思っていましたが、仲良くなるには「趣味」それ自体よりも、ものの見方や方向性が非常に重要になると感じています。

「趣味」が被らない「友だち」

考えてみると、私の「友だち」と言えるメンバーは高校であれ大学であれ、とにかく「趣味」が被らない奴らばかりです。
「オタク」という広いくくりは被ってるんですが、ジャンルは被ることがなくて。少なくとも私との趣味が被らない。布教されるんだけど私はそちらにハマることはないし、私もそこまで強く布教はしない。
みんな一人でできる趣味が充実しているタイプなんだと思います。

それでいて、一緒だと居心地がいい。
なんでもない近況報告をしても、それなりに楽しい。
いつもなんでだろうなぁと思っていましたが、これまた佐渡島氏の記事を読んでて納得した言葉がありました。

「友人とは、趣味が一緒の人ではなく、会話の抽象度が一緒の人である」

共感とは「言葉のズレ」を自覚することから始まる

どうしてもこの一文を紹介したくて、この文章を書いていたと言っても過言ではないです。それぐらい、本当に腑に落ちた言葉なので読んでほしい。

じゃあ、抽象度ってなぁに?ってところなのですが、私は哲学系が専門ではないので参考になりそうなページを貼るだけにしておきます。

会話をしていて「噛み合う」という感覚は、こういうことなのかなぁと思います。

何でこんな話しているかというと…

実はちょっとだけマッチングアプリで婚活っぽいことをしてみたんですよ。
1週間ぐらいで心が折れたので即退会したんですけどね。

いいねされたからいいねをして、メッセージが来たらそれを返して。
トーク内容を考えるときに、趣味が被るところを見極めてどの程度踏み込んで…ということを考え始めると、なかなかこれが難しいんですよ。
相手の趣味について触れるとき、球の投げ方でどれぐらいのディープさまでいけるのかを示してみないといけないなぁとか。トークテーマが増えすぎて煩雑になった時は、テーマを整理して文面を短くコントロールしなきゃいけないなぁとか。

私、考えすぎか?

直接会っての雑談だと気楽にぐだぐだ喋るんですけど、長文の返信は気合いが要りますね。細かいトークテーマが3項目以上になると面倒になってくる。
興味を持ってもらえるのは嬉しいのですが、容赦なく長文送ってくる人もいるし、容赦なく自分の知識幅全部を開示してくる人もいる。
世間にはいろんな人がいるなぁと思います。

それに、マッチングアプリでは私に対する発言行動しか見えないので、人柄が一面しか見られないのがネックだなと思いました。攻略対象である私にはそりゃいい顔もするでしょう。
Twitterだと他の人との絡み方や「いいね」を通して志向も見えるので、人柄を知るツールとしては非常に優秀なのだなと思いました。

見える化って大事。

「友だち」になるために

「友だち」のキーポイントは会話の「抽象度」であるという話を紹介しました。
ただ、その「抽象度」を知るための会話のフックとして「趣味」は有効です。ただそれは「趣味」である必要はないということ。

「趣味」と言われると大げさですけど、私は「興味があること」「これをしたいなと思えること」ぐらいのものだと思っています。
…そうなってくると、私の「したいこと」はけっこうな幅に広がってしまうんですけどね。でもそれぐらい引き出しがある方が会話も弾むのかな。自分から引き出しを開けないだけで。

何もないところから人間関係を作る練習をそろそろしないといけないなと思っています。どこかに裸一貫で飛び込んでみて、どれぐらいいろんな人と話ができるのか。
そこで「友だち」が出来れば儲けものですね。

まだまだこの歳になっても挑戦することがあるので面白い。
次はどこへ行こうかな。