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現実を知り過ぎて、もっと幸せになりたい、と思いづらくなっている。

なるべく、保育園児が聞いても、

思春期の学生が聞いても、

社会人が聞いても、

納得できるような発言をしよう、と常日頃から気をつけていて。

今回も そういう道徳心を通して、タイトル決めたな〜、

という余談。

現実を知り過ぎて、もっと幸せになりたい、と

思いづらいな〜、と思っていて、

自分以外にも そういう気持ちの人 いると思うんだ。

お金は 現実的な話 有限で

何もしなくても無限に湧いてくるわけじゃない。

(現実的なベクトルで言っているから、

何もしなくても無限に湧いてくる と思えばそうなるよ

系の話はシャットアウトで)

逆に、こういう話から入る習慣をつけているのは、

自分を無意識に戒めるためでもある。

保育園にも上がるよりも前は、

現実的な 感覚を 理解していなかったため

おもちゃ が欲しい気持ちを 抑制することなく

親を困らせた。

それが、現実的な感覚で物事を考えることや

欲を抑制することや

無意識に自分を戒めるための習慣を身につける

などにつながっている。

ひとつ前の記事で書いたような気がするけれど、

考察を全然しなくても生きていけるのは

自立していない人間 だと決まっている、と考える習慣をつける

のともリンクするけれど。

現実的な考えで物事を考えない人間

欲を抑制しない人間

無意識に自分を暴走させるための習慣を身につけようとする

文字で並べてみたけれど、

全部 子供だな、と。

やはり社会人は

現実的な考えで物事を考える必要があるし

欲を抑制して 自分を制御するのが常であるし

無意識に 自分を暴走させるための習慣を身につけようとすることそのものが

ガキ(餓鬼/仏教で与えてもらうことばかりを考える人を餓鬼という)

だと気づくだろうし。

社会人は、ガキ(餓鬼)から、

ダーナ(たしかサンスクリット語で与える側)に 移行する必要がある。

本当に、それが大事。

自分は、努力次第で、ガキ(餓鬼)からダーナ(与える側)へ移行する

ポテンシャルがあった。

就労訓練を経て、就職し。

それにより、家族に 食料や 快適な生活を与える ことができている。

あざける気持ちはないけれど、

実際、一生 ダーナ(与える側)になれない人間もいるんだろう。

与える側は、損失を覚悟で、与えるのだから、

ガキ(餓鬼)とは 違って 高度に背負っている。

享楽に没頭することを抑制し、家庭内でも、職場でも、

責任を毎日果たすのだ。

ガキ(餓鬼)が、ダーナ(与える側)になりたい、と思っても、

すぐには叶わないし、ポテンシャルによっては

ずっと ガキ(餓鬼)という印象で 生き続けないといけないかもしれない。

それがなんとなく、嫌だと感じる人間は、

そう感じない人間よりも

わずかに道理に明るい、と思う。

複数ある命の内、どちらかしか救命できないシチュエーションなら

道理に明るい方を助けたい。

そのように考える習慣を身につけている。

それでいて、自分も道理に明るい人間でありたい。

それでいて、道理に明るい人間であることを示すためにも

これを書いている。





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