光と闇

全てのものには光と闇がある。やはり絶対ある。絶対あるので、例えば闇だけなくそうとしても、結局のところ他の闇ができてしまうだけだ。逆に言えば、闇があっても必ず光もあるということである。ではなぜそう言い切れるのか。

なぜなら全ての物事にはメリットデメリットが存在するからだ。

例えばルール。ルールが緩いと融通が効く。周りに車が通ってなかったら、赤信号を渡っても良い、というルールだとしたら、何があっても絶対赤信号を渡っちゃダメといわれたときより、時間を節約できるだろう。しかしその分、事故率は少し上がるだろう。なにせ、周りに車がいないという人間の判断は間違うこともあるからだ。

「皆んながルールを守る過ごしやすい学校」という光は、「皆んなが窮屈を強いられる過ごしにくい学校」という闇も抱えているかもしれない。つまり、光というのは良い部分だけを表したもので、闇は悪い部分だけを表したものだということだ。

同じことが人にもいえる。性格が良い人も、実は我慢という気苦労があったり、裏表があるかもしれない。性格が悪い人だって、時に言いたいことを我慢せずびしっと言ってくれたり、嘘をつかないなど良い部分もあると思われる。人間どんな人にも光と闇があるのだ。

悲しいことのように聞こえるかもしれないが、言い方を変えるとそれは、どんな人にもギャップがあるということではないだろうか(多少の論理の飛躍)。人間、生きていく以上なんらかしらのペルソナ(周りの人に見せる自分という仮面)をもつことになる。周りの人に見せない部分が闇が光かは分からないが、その仮面と仮面を取った自分との差異は、ギャップといえるのではないだろうか。

世界は調和を望んでいる。どちらか一方に傾いていたら、もう一方を傾けてバランスをとりたがる。調子に乗ってる人こそ、「調子に乗らない」という戒めが大事だし、自分に自信がない人こそ、「自信を持て」という言葉が響く。光に包まれてる人は、闇に目を向けよ。闇に囚われてる人は、光を見出せ。片方ないなんてことは絶対ないのだ。


あとがき(読まなくてもいい)

最後いろいろかっこいいこと書いちゃいました笑

これを書こうと思ったのは、文字の勉強をしていたからです。文字というのは形に残ります。空間や時間を超えて、曖昧さを排除した確実な形となるようです。「寝て起きたら皆んな忘れてしまおう」と思ってる僕にとっては、こういう作業が殊更に大事なのではと思い、書こうと思いました。

こういうのを書くのは大抵カフェか図書館で勉強をしてる時⇦勉強が続かないんですねw

「良い思い付きは皆んなにも知ってもらいたい」とか、「将来の投資になる」とかで書いてますが、これを話のネタにしたいとは全く思ってないので、あまりこのことに触れてもらわなくていいです。直接こんな深い?ことを話すなんて、よっぽどの機会でない限り変だと思うので。でもいいねは喜びます。

いやー、でもどうなんでしょう?「皆んな読んでね⭐︎」とは言えないくせに、読んで欲しいと言わんばかりにTwitterにあげる…。歪なんですかね。一生煮え切らない人間だぁー。


髙橋 まお (21男)

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