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つながり

昨日、初めての記事を書いてからお風呂に入っていると、色んなことが頭をぐるぐるし始めて、また書きたくなったけど、とりあえず我慢して寝ました。笑

このnoteを始めるきっかけをくれた友人が言っていた通り、文字にする、言葉にするってすごいことなのかも!って1回書いただけで実感!!!笑

その頭をぐるぐるしていたこと、自分のためにも文字にして整理しておこうと思う。

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昨日書いた記事→

このイライラが沸き起こった奥には、寂しい気持ちがあったことに初めて気づいた。

そして、この感情が子どもの頃の記憶を思い出させてくれた。

私が物心ついたときから、両親の間での会話はなかった。必要事項があれば、私か姉が母から父へ、父から母へ伝えていた。

母からは父親(旦那)に対する不満をいつも聞かされていた。

そんな父親は家族思い(いや、今から思うと子ども思いだったのかも。。)で、できるかぎり毎年旅行に連れて行ってくれたり、週末は公園に行って全力で遊んでくれた。そうやって父親と出かけている間に、おいしご飯を作って待っていてくれる母。

私にとっては大好きな父と母だった。(今も大好きです♡)

でもそんな大好きな母から聞かされる父の不満。確かに、理解できる部分も多々あった。でも、子どもの私にとっては大好きな父親をなんでそんなに否定するのか・・・当時は悲しく思っていた。

今になってようやくわかった。

母親も寂しかったんだということを。

本当は父(旦那)ともっとつながりたかったんじゃないかな。

そして理解してもらいたい・聴いてもらいたい・知ってもらいたい、そんなニーズを持ちながらも、満たされない寂しさを私たち子どもにぶつけていたんじゃないかな。



そんな環境の中で、母親、父親、どちらも大好きだけど、「こんな夫婦にはなりたくない」と思って育ってきた。

母親と私は抱く感情や行動まで瓜二つ。

嫌だと思ってきたのに、今の私の旦那に対する感情や言動は子どもの頃にずっと見ていた母親と同じ。


本当は寂しいんだ。心を通わせたい、つながりたいんだ。


このことに気付けただけで、めっちゃギフト♡


母親もそうだったけど、つながりたいのにそれを拒んでいる自分もいる。そこは何故だかわからない。

つながろうとして、受け入れてもらえなかったときの怖さがあったりするのかも。


トップの写真のように、おじいちゃん、おばあちゃんになっても手をつないで歩くのが子どもの頃の夢だった。

それが実現できるように、

少しずつ、歩みだすチャンスが訪れている気がする。


では、また♡

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