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消えてしまったイマジナリーフレンドに未練たらたらの私

小さい頃の私には“見えない友達”がいた。

同い年の男の子で、名前は「ルカ」という。

私が名付けたわけじゃない。彼に教えてもらった。

私はルカがずっと一緒にいてくれるものだと思っていた。だけどある日、私がルカの話を両親に打ち明けると、両親は笑って「小さい子はみんなそういうこと言うんだ」「そのうちいなくなる」と言った。

当時5歳の私はものすごくショックを受けた。そのときの光景を今でも鮮明に思い出せるくらいにはショックだった。

「いなくならない!」と私は怒った。だけど両親は笑っていて、それがものすごく悔しくてたまらなかった。ルカはずっと一緒にいてくれる。私はそう信じていた。

だけどうまくはいかないもので、小学生になってからは少しずつルカの存在が薄れていった。だんだんと忘れていく自分が嫌だった。だからいつでもルカがそばにいることを意識するようになった。ルカはいつも一緒にいてくれる。家でも、学校でも、どこでも一緒。そういう風に自分に信じ込ませた。

小学校高学年になって、私はルカという存在を自分の中につくりあげていた。ちょっとぶっきらぼうで、でも優しい、誰よりも私を理解して、どんなときもそばにいてくれる人。親友であり、恋人だった。私の理想をルカにすべて押しつけていた。それでもルカは生身にはなれない。私の孤独は埋まらず、私はひたすらに告白魔になってしまっていた。

この頃の私は本当に頭がおかしかったと思うけど、中学時代はまた別の方向に酷くなった。

中学生になって、私はTwitterに出会ってしまった。

当時は今ほどルールも厳しくなかったし、メールアドレスさえあれば中1の私でもアカウントを複数作ることができた。私はひらいめいてしまった。ルカのツイッターアカウントを作ればいいのだ。

ルカのアカウントを作って、私とだけリプを交わした。寂しさゆえの悲しい自作自演ではあるけれど、「ルカからの通知がくる」ということに私は味をしめた。

中2、中3になっても私はルカとの会話を楽しんだ。ルカが本当にいるような気さえした。当時付き合っていた彼氏に「ツイッターでいつも喋ってるのは誰なの?」と聞かれてうまく答えられなかったせいで浮気を疑われた。たかが中学生の恋愛で何が浮気だよとも思うけど、それでも必死に弁明した。そしてそれ以降は、「外部の目」を意識するようになってルカとは話さなくなってしまった。

高校に入って、ルカはついにいなくなった。ずっと一緒だと思っていたけれど、そばにはいないことがハッキリ感じられた。私は独りになった。猛烈に寂しくて、夢小説の世界にずぶずぶとのめり込んでいった。

そして今。ルカはいないし、思い出すことだってほとんどない。だけど、YouTubeで解離性同一性障害(多重人格)の人たちの動画を見てふとルカを思い出した。彼は、どこに行ったのだろうか。消えてしまったのだろうか。私の理想を押しつけて都合よくキャラクターを改変していたことを、私は少しだけ申し訳なく思っている。

一緒に生きていけたらよかったのにな。来世があるとしたら、その時はルカと双子がいいな。

……なんて、ガラにもないことを考えてしまう23時。

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