喧嘩の仲裁ノウハウ教えます(具体例付き)

どうも、交友関係が割とドライなマオです。
今回は喧嘩の仲裁の話です。といってもマトモに喧嘩の仲裁をしたことなんて人生で1度しかありません。ですがその1回があまりにも計算通り完璧にできたため、きっと私は喧嘩の仲裁が得意なのだと思います。
そのノウハウを共有します。

まず、喧嘩の仲裁は高等テクニックです。
下手をすれば自分まで喧嘩に加わることになり、二次被害を拡大させかねません。客観的な視点、冷静な精神、相手を納得させるだけの話力が必要になります。
さらに、これらを身につけていたとしても、利害関係者ではないというポジションが必要になります。どちらかに肩入れしがちなポジションにいては、中立性をアピールすることができません。
つまり、喧嘩の仲裁が出来る人は「仲裁の能力があり、かつ仲裁できるポジションにいる」ということが求められます。後半は運要素です。

では私が喧嘩を仲裁した具体例を挙げて詳しく説明していきます。

あれは専門学校4年の秋頃でした。ゲーム制作学科に所属する我々は、来たるべき卒業制作に向けていくつものチームに分かれ、それぞれゲームを作っていました。不肖この私もリーダーなんぞを務めさせていただき、その日も遅くまで作業をしておりました。
すると、どうやら別のチームがチーム内で揉めているという噂を耳にしました。
ゲーム制作学科の面々は我が強いのが多いので、まあ揉めることもあるだろうと最初は聞き流してましたが、どうも揉め方が結構激しいらしいぞという空気を感じました。

その時私は思いました。
「その喧嘩を止められるの、私しかいないんじゃないか?」
理由ですが、まず一つは喧嘩してる双方と対等に友人関係にあったことです。4年も同じ学年で授業を受けてますし、同じチームで作業したこともあります。それぞれの性格もだいたい理解していますし、信頼関係も築けています。これが、片方とだけ友達だったり、片方とだけ特別親しい間柄だったりしたら、仲裁は不可能です。
そして、別のチームのリーダーという自身のポジションです。同じチームのメンバーであれば、利害関係が働くために仲裁には動けません。別のチームの人間という客観性が必要でした。そしてリーダーという、ある種の権力を持っていたことも仲裁に有利に働くと考えました。
ポジション的に仲裁が可能な立ち位置にいて、かつ私は、自分で言うのもなんですが客観的視点と冷静な精神を持っていると自負しています。喧嘩を仲裁できる要素と能力があり、その必要性も感じている自分が仲裁に赴くべきだ。と思いました。
友人同士が喧嘩してるのは単純に気分がよくないですし、時期が時期なので放っても置けません。ついでにいうと、私のチームメンバーが喧嘩してる片方と恋仲にあるため、放置して悪化すると後々面倒になりそうという計算もありました。(さらに言うならそいつは仲裁するつもりか恋人側に加勢に入っており、火に油な状況だったので見過ごせなかった)

というわけで、喧嘩の仲裁に赴きました。当人たちは校内の一角にあるフリースペースで言い争いをしておりました。公共の場ですが、時間帯もあって他に人はいません。
私はその話し合いに参加……せずに、やや離れた場所に、彼らに背中を向けて座りました。
まずやるべきは情報収集です。双方がどういう理由で揉めているのか、どういう主張なのかを知らないとどうしようもありません。
通りすがりの振りをして、スマホを適当に弄りながら、私は彼らの話し合いに耳を傾けました。なるほど揉めている理由がわかってきます。
要約すると、チームリーダーとメインプログラマーが先走り過ぎ、他のメンバーが置いてけぼりになったという感じです。スケジュールに対して無茶な完成度のゲームを作ろうとしていて、それにメンバーが反発したという形です。それだけなら話は簡単ですが、SNSに愚痴られただのブロックされただのが絡んで面倒なことになっていました。面倒臭え。
双方の言い分は必ず双方から聞いてください。そうでないと話にバイアスがかかります。私はこの喧嘩が起きる以前から、このチームのリーダー側とメンバー側それぞれと日常会話をしてましたが、やはり意見には完全にバイアスがかかってました。
「あいつらは全然やる気がなくて困ってる」という話を聞いてふーんと思い
「あいつは一人で勝手にどんどん進めて困ってる」という話を聞いてなるほどなーと思いました。
どちらか片方からだけ話を聞いて「相手はなんて酷いやつなんだ」と感じるのは端的に言って害悪です。それでは中立性を欠きます。その状態で仲裁に入れば喧嘩の輪を広げるだけなのでやめましょう。

そんなわけで私はずっと片隅で喧嘩の様子に聞き耳を立てていました。もし、仲裁の必要なく、当人たちだけで解決できるならそれが一番いいです。自分の出番は、双方が熱くなってもはや話し合いが不可能という段階の直前です。そうならないのがベストです。
しかし、怒りと苛立ちといった感情が混じった喧嘩を当事者間のみで解決するには、時間をかけてそれら感情を鎮静化させるか、どちらか片一方が完全に折れるしかありません。
いくら正しい理屈を述べようと、相手が悪い相手が間違っている苛つくムカつくという状況では火に油を注ぐだけ。感情的な喧嘩になっている時点で理屈は無意味です。
ですがこの状況、どうにも当事者たちにその判断ができる感じではなさそうでした。
「あれがああだったから私は怒っている」
「けどそっちもああだったじゃないか」
「なんだと!」
「なにを!」
ここまでくると理屈じゃありません。感情です。相手の声に耳を傾けるという事は敗北を意味しますので、決して相手の言葉を受け入れません。互いに完全拒否です。

ここまで来たら私の出番です。
「話は聞かせてもらった!」
と颯爽と出ていきます。
「つまりこういうことがあって、それでこうなって、いまこうしている訳だな?」
と、事実確認を行います。
これは「私は争いの内容について詳しく知っているぞ」とアピールして仲裁の説得力を上げると同時に、当事者たちに「自分たちは何で争っているのか」を再認識させる狙いがあります。争いがヒートアップすると、そもそも何に対して自分が怒っているかを忘れてしまうからです。
ここでいよいよ本題です。
「うむ。私が思うに、まず最初のそれはお前が悪い、先走り過ぎ。けど、次のそれはお前が悪い、SNSをブロックするとかは大人げない。OK?」
大事なのは喧嘩両成敗です。必ず両方を裁いてください。
片方だけを裁くと禍根を残しますし、裁かれたほうは絶対に納得しません。犯罪行為や迷惑行為など明らかな過失がある場合は別ですが、大抵の言い争いは双方に問題があります。というか、多少こじつけでもいいので両方に過失を作ってください。無関係な人間が両方を裁くことで中立性が担保されますし、当人たちも自分の主張がある程度受け入れられることで矛が収まります。
「お前も悪いし、お前も悪い。だからこの話はこれで終わり。そして大事なのはこれからどうするかだ」
過去の事に目を向けるとどうしても怒りが再燃するので、とっととケリをつけて未来の事に目を向けさせましょう。これからどうするか、を考えるのは重要です。野党政治家に欠けているのはこれですね、ハイ。
この場合、喧嘩してる両者は同じチームであり、目的は卒業制作に向けてゲームを完成させることです。その方法論で争ってるだけですので、互いの妥協点を引き出すことで同じ目的を共有させます。
「締め切りが〇日後で、それまでにα版を完成させなければいけない。となると、現状の完成度を考えれば現実的なラインはこれこれこういう感じだ。その要素は入れるのに工数がかかり過ぎるから諦めろ。今出来てる部分のブラッシュアップを優先しろ」
私の目から見て、リーダー側の提案するスケジュールは残り工数を考えるとかなり無茶なレベルでした。全てスムーズに滞りなく進めば可能そうですが、それは理想であって、現実にはいろいろな問題が起きえますし、そもそも全員が全員優秀なわけでも、夜通し作業する熱意があるわけでもありません。そのスケジュール感覚で進めばブラックまっしぐらでしょう。しかもそれを密室で決められたのであればメンバーが反発するのも道理です。ここはリーダー側に妥協をさせます。

ちなみに我がチームは意識的にスケジュールに余裕を持たせるよう可能な限り要素を削ぎ落しましたが、それで時間ピッタリくらいでした。それで佳作賞取れたんだから私の優秀さは誇っていいと思う。もちろんそれ以上にメンバーの力が大きかったのですが。

閑話休題。
当時はそこまで考えていませんでしたが、ここで提示する解決策は具体的なものほどよく、かつ断定的に命じるくらいが丁度良いように思います。
自分たちで解決策を考えさせるとまたしても争いが起きるの恐れがあるため、ある程度は他人が命令したほうが良いかなと。人間、命令通りに作業していると良くも悪くも感情を失うものなので、マイナス方向に振れた感情は単純作業でゼロに戻すことが肝要です。
つまり双方がある程度納得できる妥協点とそこに向かっての具体的解決策を考えて指示できるだけの能力が仲裁者には求められます。キビシー。

そうやって双方の妥協点を見出した後にやることは一つです。
「わかったな? よし、じゃあ話はこれで終わりだ。夜も遅いから今日はもう帰ろう、帰れ!」
はい、帰らせます。
どうせこのまま残ってぐだぐだやってても再燃するだけです。
帰らせて、寝て、頭を冷やしてもらいます。
怒りという感情は突発的なもので、深呼吸を6秒すると収まるとすら言われています。時間が全てを解決するわけではありませんが、冷静さを取り戻すためにも「寝る」という手段は極めて有効です。
私もストレスが溜まった場合は不貞寝するか、カラオケで一人歌い倒します。海に向かってバカヤローと叫ぶのと同じで、大声を出せばそれだけでスッキリして思考がクリアになります。スポーツで試合の前に大声を出すのは、ごちゃごちゃした思考をスッキリさせて試合に集中できるようにするのが目的だとか。「ハイキュー!」で読みました。
ただ、いくら大声を出せと言っても、人に向かってやってはいけませんよ。
というわけで強引にでも解散させます。これも他人が言うから効果があります。
当事者が「話の続きは明日にして、今日はもう帰って寝よう」と言っても、場合によっては「逃げるのか!」「いいから話を聞け!」となってぐだる危険性があります。ここは客観性のある他人が命じるのが望ましいです。そうなれば「あいつが言うなら仕方ねえか…」とおさまりがつきます。

とまあ、そんなこんなでやや強引にその場を解散させました。
その後のことは断片的にしか知りませんが、なんとか持ち直したようでした。卒業制作展にもちゃんと作品を提出してましたし、後日、喧嘩してた双方から「あの時はありがとう、来てくれて助かった」と感謝の言葉を頂いたのが嬉しかったです。やはり出張って行って良かった。めでたしめでたし。

そういうわけで纏めますと、喧嘩の仲裁のための具体的な手法は
1.双方と信頼関係のあり、なおかつ中立の立場の人間が
2.双方の言い分に耳を傾けたうえで
3.双方を平等に裁き
4.過去ではなく未来の問題に目を向けさせ
5.解決策を具体的に指示し
6.その場を解散させる
というステップが必要になると思います。

今回の例は学校が舞台だったため、双方と中の良いクラスメイトという中立性を押し出せました。
例えば夫婦喧嘩の場合は、共通の友人がいることが望ましいと思います。
夫の友人、妻の両親、などではだめです。中立性がありません。
双方と面識のある親戚のおじさん(おばさん)とかならいけると思いますが、昨今の結婚事情を考えると難しいものがありそうです。
親子喧嘩の場合も同様ですが、こちらも中立性を保てる共通の知人が存在する可能性が更に低いため、仲裁はまず期待できません。母と娘の喧嘩の仲裁に父が入る、というのはありそうですが、日頃から信頼関係を結べていて、かつ人として尊敬されているという条件が必要なため大抵は「あなた(パパ)は黙ってて!」と一喝されて終わりです。悲しい。そもそも互いにリスペクトしあっている家庭は余程のことがない限り喧嘩にはならないだろうし。

ようするに、家庭内の喧嘩は仲裁できる人間がほぼいない、ということです。
これが夫婦喧嘩や親子喧嘩が泥沼化しやすい大きな理由でしょう。
泥沼化した喧嘩はやがて修復できないほどの亀裂をもたらす可能性がありますので、なるべくなら仲裁に入れる人間がいたほうが良いと思います。
つまりは、共通の友人を作れ、ということですが、これがまた難しい。
特定のコミュニティはこの点で強いなーと感じます。
たとえば田舎で家族ぐるみの付き合いをしてる親戚がたくさんいるとかは強いです。それだけたくさんいれば中立で理解ある人間の1人や2人いるでしょう。
宗教も強いでしょう。キリスト教とか創価学会とか。色んな属性の人間が一同に会するので、相談相手に事欠きません。同じ宗教内で結婚すれば共通の知人も多いでしょうし。
私どもの場合、起業家のえらいてんちょう氏を中心としたイベントバーエデン界隈の客・住民の皆様が信用のおける共通の知人、友人となるので、何かあった際はよろしくお願いしようと思います。何もないのが一番です。やっていきましょう。

そんなわけで、喧嘩の仲裁講座でした。
勉強になったぜ!という方は授業料の投げ銭よろしくおなしゃーす!

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