見出し画像

素材のアワセ・キソイ・ソロエを考える

オートクチュール時代の古いビーズをあつめて、ワイヤーや糸でつなぎ縫い留めたりしながら、
今を生きている誰かの身を飾るものを作るということをしています。

素材は現代ものと800年~1000年以上昔の発掘された古代ガラスをまぜることもあるし、
さらに数千年かけて育った鉱物を混ぜる時もある。

最近、天然石だけを用いて製作していた頃との勝手の違いが
素材にひそむ【異なる時間】をどう取り合わせるかを考えることにあるんじゃないかと思えてきました。

モノの寿命とキャラクターをとりあわす


天然石はどれも原則、数千年~億年単位の
長い【時間の層】に存在している存在なので

時間よりも、鉱物ごとに含まれる【元素や結晶の構造式】とか【色の意味】を読みながら組んでいく感じ。

対してヴィンテージやアンティークのビーズをやりだしてわかったのは

人の手で作り出された物には「今~50年~100年~千年」単位のそれぞれの経年変化や、
その時代ごとの人々の美意識や視点、技術が物に加えてくる表情というものがかなりビビッドにあって、

数千年単位の自然物のゆったりとした、いいですよ合わせまっせーというのに比べて
人工物はなんかこう、まだまだ自我が強くて多彩な個性でこちらにイキってくるので
(それがなんとも魅力の香りなんだけど)

みんなの共通の言語を見つけてまとめるのがすごく複雑で難しいということ。

素材のもっているコンテキストがぜんぜん違うんだわ。

今まで岩絵の具で日本画を描いていたのが
ミクストメディアで絵を描くような感じ?
が近いのかもしれない。

面倒だし、情報も多いし、やり方もまるでちがうことに戸惑うことばかりだけど

そもそもの動機が「素材のもつ顔の美しさ」に惹かれて手にとったのである以上は
そこに美しさがあれば、やっぱりどうしても使いたくなってしまう。

「どうにかしてその美しさに関わりたく」なってしまう性なのです。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?