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昼の心が満たせない

 「リベンジ夜更かし」という言葉をTwitterで見た。昼間に自由な時間が取れない不満足感を、夜更かしして晴らそうとしている、なおこれは自傷行為にあたるらしい。そんなことでも自傷行為になるのかと、呆れのような驚きを抱いた私は、リベンジ夜更かしを何度やったか分からない。昼間のできなかった自分、不十分、まだ起きていれば何かできるんじゃないかという焦り。早く寝た方がいいことなんて百も承知で、でも寝付けないしとうだうだしている間に時計は3時、お決まりのパターンだ。本を読んだり電子レンジでプリンを作り出したり、未達成な心をなだめようと奔走する(やるべきことをやって寝るべきだ。でもなぜかできない。)。
 小学生のころに夢見ていた夜更かしは、もっとキラキラしていた。小学校を卒業するまで、7時起床7時就寝を守っていた私は、夜更かしとは無縁だった。親も一緒に7時に寝てしまうから、大人の夜更かしする姿も見たことがなかった。中学生に上がるとさすがに7時は無理だったが、遊ぶ時の門限は5時、塾で遅くなった日は11時までに即就寝を言い渡されていたこともあり、夜更かしはしなかった。しても課題や予習のためだった。私の夜更かしへの憧れは強くなるばかりだった。
 私の理想の夜更かしは、「真夜中乙女戦争」とか、「おやすみ東京」とか、「夜のピクニック」みたいなもの。濃い夜の色に煌めくワクワク、ほんのちょっと何かが起こりそうだという予感をはらんだ夜更かしである。あるいは、「銀河鉄道の夜」みたいに、宝石のような星の瞬きを感じるもの。「すべて真夜中の恋人たち」とか、「夢十夜」のようにひっそりと濃紺の夜気を味わうのも素敵だ。今にして思えば夢がありすぎるが、子供の頃、夜も遊んでいたくなるあの気持ちの延長のようなものか。何も背負っていない子供の貴方なら、今だって夜更かしは楽しいだろう。
 多分大人になってしまった。大人にやってくる明日はワクワクしない。就寝によって1日が終わるという感覚を、どこかに忘れてしまった。睡眠はあくまで休息時間で、次のタスクはさざ波のように、静かに押し寄せてくる。明日の自分に期待できない。起きていれば少しはできるかもしれない。けれど結局、静かな波の前で怖がっているだけになる。自分で自分を追い詰めているから、自傷行為にあたるのかは分からない。体に悪いことは確かである。
 人生は最後大きな幕が引かれてしまう。静かな波におびえて娯楽に目を痛めているくらいなら、できるだけ満足な日中を過ごしたいと思う。ベッドで1日の幕引きをして、大団円への練習としたい。


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