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マイプロジェクト関東で感じた違和感


マイプロジェクトとこのnoteの概要

マイプロジェクトアワードという大会をご存じでしょうか??
僕はマイプロジェクトを教育関係者でご存じない方に口頭で説明するときは「探究の甲子園」という表現を使います。

認定NPO法人カタリバが2011年の震災をきっかけに高校生が身の回りの課題や関心をテーマに主体的なまなびを発表する探究型学習プログラムです。
書類選考→地方大会→全国大会と続き全国大会受賞者は慶應義塾大学SFCの1次選考が免除になるなど高校生にとっては実利も大きいまなびの大会です。

2020年度はなんと15000人の高校生がマイプロジェクトを行っているそうです。福岡でマイプロジェクトに4年ほど前から触れていたこと、新潟マイプロジェクトの運営側でもあること、阿賀黎明高校の生徒が書類選考を通過し関東大会に出場することなどいろいろな要因が重なり、100PJ以上が参加する関東サミットでファシリテーターとして関わることになりました。

関東サミット自体は発表のレベルが高く、高校生が主体的に動き、本当に本当に素晴らしかったと思います。ただ高校生の発表を聴いていると違和感を感じる部分もありました。

この違和感を言語化することで探究的な学びの目的に対する解像度が少しあがったので備忘録として残すとともに、2021年は新潟マイプロへのコミットメントを上げていきたいと考えているのでこの気付きをどう活かすかを考えていきます。

関東サミット参加の高校生が素敵だった。

単純に感想です。
高校生のレベルが本当に高い。
地域格差を改めて知りました。

知識と言うよりかは行動量。
大人とどれだけ出逢って来たかが色濃く出ていました。
「周りの友達はみんな学生団体や起業していて」
「スタートアップの高校生起業イベントで」
「メンターの大人の人との出逢いで」

環境の違いで語彙力や知識量は圧倒的に変わることが分かります。
僕がファシリをする新潟大会との一番の違いは繋がりを活かそうとする力でした。関東サミット終了後インスタグラムから6件のメッセージが。全員高校生からで「お話ししたいです。」「相談載ってください。」など。

1ファシリテーターでしかない僕にまでメッセージを送って学びを得ようとするこの貪欲さと主体性は本当に感動しっぱなしでした。

新潟が関東に見習うべき1番のポイントだったと思います。
貪欲な関東の文化をどう新潟に取り入れていくか考えていくポイントです。

個人的には計画された偶発性理論の5つのスキルをどう力として身に着けるか?という問いからヒントが得られそうだと考えています。

違和感

この違和感は一言でいうとプレゼンに「おもしろさ」を感じなかった。
正確にいうと「発表する高校生のおもしろさ」。
もっと正確に言うと「発表する高校生の心の動き、使命感。彼ら彼女らにしかないドラマが一切表現できていない」。

これは決して高校生が面白くないのではない。むしろ前の段で述べた通り高校生はとてもとても素敵で面白い。アイスブレイクや発表準備での壁打ちではプロジェクトに関するテーマについての愛や思い出・原体験をあれだけ語っていたのに発表になるとプロジェクトの内容しか語られない。

いわゆるビジコン的なプレゼンになっている高校生が相当するいたことを感じた。あくまでマイプロジェクトの主役はプロジェクトではなく高校生自身だと僕は考えている。もっともっと自分を語ってもっともっと自分の変化を言語化して伝えてほしかった。だからこそマイプロジェクトアワードのキャッチコピーは「君だけのドラマを語れ」なのだと思う。「君だけのドラマ」を感じさせた高校生は少なかった。

課題解決型の総合的な探究の時間への疑問


1点目は総合的な探究の時間からマイプロを行った彼ら・彼女らにどのような個別の伴走が行われていたかに疑問を感じた。

総勢200人ほどがいたzoomである高校生がこんな質問をした。「学校でマイプロしてますって人どのくらいいる?」半数以上が手を挙げた。
いわゆる総合的な探究の時間を利用してマイプロジェクトに取り組む高校生が多かった。ちなみに僕はそこを問題視しているわけではなく、学校で学校外のプログラムへの参加が推奨されていること自体は本当に素晴らしいと思っている。

ここでの疑問は、学校でどのような伴走がなされているか?の一点。
僕が見た範囲ではあるのですべてではないということはわかっているが、SDGsの何番に貢献しています。社会的にはこう役立ちます。という一種のテンプレに載せた発表が多かった。ここで彼ら彼女らだけのドラマが消えた可能性が高い。

発表の方向性は高校生とその伴走者がどうまなびを引き出したかによって大きく決まる。彼ら自身のまなびのプロセスを彼ら自身が言語化し、発表に落とし込む手順を踏んだのか。学校の先生なのか。外部の大人なのか。

マイプロ関東で感じた「面白さが伝わらずもったいない」と感じた違和感はここにある気がします。だからこそ「絶対にこのプロジェクトは自分がやらなければいけない。」という使命感のようなものが感じにくいプレゼンだったと感じてしまいました。

僕は使命感・好奇心=衝動だと考えています。
僕たの理想はこの衝動を形にする探究を生み出すこと。

探究とは

ちなみにここからはビジネスの未来という本と繋がる部分が多いです。

これまでは人間の生きていくうえで課題を解決するために資本主義がありました。戦後の日本を想像してみてください。戦後、焼け野原になった日本は衣食住を満たすため資本主義の大量生産・大量消費を行い、GDPを上げ、人間らしい生存において課題だらけだった日本を見事再生しました。資本主義は不便を便利にするために非常に有効な手段でした。いやいや今も課題だらけじゃない?しかも人間は満たされると別の欲求が起きていくものだからこれは間違っている!という方は本を読んでみてください。

課題解決をしつくして資本主義による成長が限界を迎えたときに課題解決ではなく「衝動」という名の「ただ自分がこうしたいからこうするんだ。」という欲求から起こるビジネスやプロジェクトになっていきます。

そしてこの「衝動」からどう価値を生み出せるかが求められる中で、これまでの「課題から考える探究」がよいのかを我々は考える必要があるかもしれません。

正確にいうと探究は「課題を解決する力を身に着けるもの」ではなく、「本人の「衝動」を形にする力を身に着けること」。だからこそ探究学習の導入は本人の興味や過去からきっかけとなるものを探す。同時に社会との接続をひたすらに増やすことが必要だと考えています。

そして探究の目的は「この『衝動』をプロジェクトの中で言語化し、形にする力を身に着けるもの」ではないか?そんな仮説があります。

だからこそどう「衝動」を引き出すのか?
振り返りの中でその衝動をどう未来に繋げ
繋いだ未来をどう一緒に歩いていくのか?

僕の探究は続きます。


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