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川崎ゆきお超短編小説 コレクション 5

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2020年1月の記事一覧

我慢

我慢



 一度捨てたものだが、これがいけることがある。つまり、復活だ。そんなことはよくあり、日常的にも繰り返されているかもしれない。そして捨てたものが復活し、またそれを捨てたりする。最初捨てたときと同じ理由だろう。そしてまた再復活する。
 さらに再々復活し、それが繰り返されるようなら、もう捨てたことにはならないかもしれない。
 最初捨てたとき、本気で捨てたわけではないことになる。またはその代わりとなる

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初梅

初梅



 副島はアパートの二階の木の階段を降り、自転車置き場、これはただの余地だが、自転車を出そうとしたとき、一階の三好も出てきた。雨が降っている。しかも冬の雨。
「お出掛けですか」三好が聞く。
 ただの挨拶だ。意味はない。何処へ行くのかなど聞かない。
「はい」
「私はこんな日はいやなんだが、医者通いさ。休んでもいいんだけど、薬をもらいに行くだけ。結構残っているんだけどね。こんなもの効かないよ。それよ

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達成感

達成感



「一段落付きましたか」
「一応。しかし、これはまだまだ続きますよ」
「一区切りついたのではないのですか」
「一つです。次の区切りがあります」
「それは続くのですか」
「おそらく永遠に」
「じゃ、区切りはあくまでも区切りで、終わりじゃないと」
「そうです」
「しかし、この区切りで終わるのはどうですか」
「そうしたいのですがね。やっと一段落ついたので、ここで」
「そうでしょ。次へ進む必要はないでし

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雀百まで

雀百まで



 馴染んだものとは、財産のようなもの。ただ負債もあるが。
 馴染んだものは馴染んでいないものよりもいいのだが、それはただの慣れで、そのものが良いというわけではない。馴染んでいていいという程度。馴染みの場所。馴染みの店。馴染みの道。馴染みの映画館、等々、数えればきりがない。馴染んだ箸とか茶碗とか椀とか、当然住み慣れた家、町など。
 ただ、馴染んだものでも消えてしまうことがあるし、馴染んでいても、

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ランチ会

ランチ会



 下田はある会に入ったのだが、親睦会とは表向きで、実はここで色々なことが行われている。多方面から人が来ており、人脈を求めている人や、仲間作りには丁度いい。ただ、親睦会、交流会ではなく、ここで実際の動きもある。夜の商工会議所のようなものだが、昼飯会だ。
 これは昼時、ある料理屋の一室を借りている。テーブルはなく、当然椅子もない。お膳が出る。座布団はあるが座椅子はない。
 下田は初めて参加したので

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何もない

何もない



「何もないというのは何もなくていいですねえ」
「そうなんですか」
「何かあることを期待しているのですが、何もないということが最初から分かっている場合、逆に安心です。心が動くことがない」
「ほう」
「何もないことを望んでいます」
「今まで、色々とあったのですね」
「人並みにね。しかし、最近何もなさが気に入っています」
「何気なさではなく、何もないとは何ですか」
「期待するものがないということでし

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吉野姫神社

吉野姫神社



 荒れた神社がある。鬱蒼と茂る樹木の中にある。森の中にある神社は普通だが、あまり手入れがされていないのか、密林状態。放置した庭木のようなものだが、古いだけに巨木が多い。それが伸び放題。かなり離れたところからでも見えるが、周囲にマンションなどが建ち、今では目立たないが。
 既に村の面影はない。田んぼだったところは全て宅地か、何かの施設。残っているのは家庭菜園程度。
 その神社は当然村の神社。荒れ

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お茶漬けの味

お茶漬けの味



「寒い中わざわざどうも」
「今日は大寒のようです」
「おおさむ」
「まあ、用事がありましてね、寒くても来ますよ」
「例の一件ですか」
「そうです。それしかないでしょ」
「はい」
「顔色が悪いようですが」
「いえいえ」
「招かれざる客なんですな」
「いえいえ」
「さて、用件を済ませましょうか」
「それが」
「ないと」
「はい、予定したものが入って来ませんでしたので」
「まあ、そういうことだとは思

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日常の世界

日常の世界



 日々の過ごし方が数日違うと、少し新鮮だ。これはこれで楽しめるのは、ずっとではないため。少し立てばまたもとの過ごし方に戻る。もしそうでなければ、受け止め方が違うだろう。
 もとの日々の暮らし方に戻るには相当日数がかかるとなると、これは決心がいる。さらに、もう戻れず、一時的なものではないと分かると、さらに決心がいる。それが必要なことならいいのだが、そうなってしまったような場合は、やや下向きだ。

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探梅

探梅



 世の中には暇な人がいる。まだ真冬前のことだが、梅を探して歩く人がいる。探梅家と言われている。家が付くが専門家ではない。また家が付くがそれで食べている人でもない。
 探梅でどうやって食べていけるのか。これが俳人で、探梅を楽しむ人なら分かるが、それでも俳句で食べていける人など限られているだろう。
 梅原という人がその探梅家だが、早咲きの梅はいいのだが、僅かな期間だ。梅が咲けば桜が咲き出す。寒梅系

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名家

名家



 松上領は二つの勢力と接している。囲まれていると言ってもいい。小さな勢力で、簡単に踏み潰せるはずだが、そうはいかない。同盟というのがあり、どちらかが攻めれば、もう一つの勢力が援軍に来るはず。だから、下手に手出しはできないのだが、その後、いろいろと調べていると、この松上領、何処とも同盟関係はない。しかし、いざ攻めてみると、いきなりもう一つの勢力が介入してくるかもしれない。これがあるので、面倒。

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寒参り

寒参り



 正月の初詣に行かなかった高島だが、これはまだ冬の序の口、もう少し寒くなった真冬の寒参りを目論んでいる。これも初詣だ。今年初めて参るのだから。
 ハードルをかなり上げ、寒く厳しい中を参る。これは効くだろう。身体だけに効いたりしそうだが。応えてくれるのは神ではなく、身体に応えたりする。
 さらに大きな神社は平地にあり、街中だったりする。そうではなく高く寒い場所。気温はさらに下がるだろう。山の中の

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エゴウ衆

エゴウ衆



「あの人はエゴウ衆なので、あまり逆らわん方がええ」
「でも、無理難題を」
「ほどほどに聞いておけばいい。誰もエゴウ衆には逆らえん」
「エゴウ衆って、何ですか」
「大江山の江と里の郷と書く」
「じゃ、江郷衆」
「この一帯のヌシじゃ」
「地方の実力者ですか」
「そんな力はない」
「じゃ、そんなに恐れることは」
「それが決まりでな」
「昔は凄かったのですね」
「そうじゃな。その名残り」
「エゴウ衆の

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否定肯定

否定肯定



 一度否定したものを復活させる。これはよくあることだ。否定した限り、何か理由があり、それをまた肯定するのにも理由がある。それなら最初から否定しなければいいのだが、この否定があるから肯定もあり、肯定があるから否定がある。この動きが実は動力になっており、否定ばかりしていると減速する。当然肯定ばかりしていても減速する。
 ただそれは否定のための否定、肯定のための肯定であってはならない。ものを見ず、論

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