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川崎ゆきお超短編小説 コレクション 5

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2019年12月の記事一覧

年の瀬に乗る

年の瀬に乗る



 年の瀬、佐々木は別にやることがない。忙しくしている人もいるが、佐々木にはそれがない。ただ座して年明けを待つわけにもいかない。ずっと座ってられないだろう。
 世間のリズム、流れ、調子のようなものがあり、人々の流れに合わせてしまいそうになるが、急ぎ足になる程度。これは寒いので、早足になるのだろう。早く暖かい場所へ入りたいと。
 それと急いでいる方が足腰をきつい目に動かすので、体温も上がるためかも

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足場

足場



 人は二本足だが、腕を加えれば四つ足になるが、この場合は四つん這い、歩くというより這うことになる。幼児のハイハイ、四文字だ。
 二本足で立っているが、一本では長く立っていられない。地に足を付けるとは、片足ではなく、両足。
 これは肉体的な話だが、足場とか、立場とかもある。立ち位置とかも。実際にそこに立つ場合もあるが、序列があり、席がある。座る場所が身分や上下関係で決まっている場合もあり、そのと

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笑う年の瀬

笑う年の瀬



 倉橋は新年を迎えるにあたり、いろいろと考えるところがあるので、ごっそり刷新してみることにした。新しく自分を刷り下ろす感じだが、別にプリントゴッコで年賀状を印刷するわけではない。だが、自分自身に印刷するのかもしれない。これを刷り込みと言うが、自発的に刷り込むのであるから、これは違うかもしれない。
 平衡感覚というのがある。これは耳にセンサーでも入っているのか、カメラの手ぶれ補正に近いかもしれな

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口うるさい男

口うるさい男



 岩崎惣右衛門という五月蠅い男がいる。ハエ並というわけではないが、親族の中に、一人、こういうのがいるものだ。色々と口うるさい。年長者でもあるので、その立場からでも言えるのだが、若いときならそんな口の利き方はしなかったはず。だから惣右衛門、今が旬だ。
 一族の中では年長者だが、もっと上の人もいる。また同年配も何人かいるが、口うるさい役はやっていない。聞かれればそれなりのことを言うだろうが、先に文

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常春の夢

常春の夢



 下田は色々とやってきたが、落ち着き先が何となく分かってきた。そういうものは最初は分からない。これは落ち着きを求めてやっているわけではないためだろう。むしろ刺激を求めてやっていた。
 最先端の尖ったもの。これは最新のもので、時代の先端。旬だが、まだ正体は分からない。これが定着するのかどうかさえ。
 新しいものとはそんなものだろう。色々と新しいものが出てくるが、その中で生き残るのはほんの僅か。こ

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恩師は飛ぶ

恩師は飛ぶ



 わが師である山田先生は年末だが走っていない。年寄りなので走ることは希だろう。それに走ることなどないのではないかと思われる。信号がもうすぐ変わるとき、今なら走れば間に合う。だが急ぎ足では間に合わない。普通に歩いていてならさらに遅い。もう手前で赤になっているだろう。
 滝村は山田先生のことが気になったので、忙しい年末の中、時間を作って、行ってみた。
 家の前に来ると、走っている山田先生を思い浮か

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幻の太郎峰

幻の太郎峰



 次郎峰があるのなら太郎峰があるはずだとハイカーは考えた。それらしい山が近くにあるのだが、地図で確認すると、別の名。
 次郎峰は馬の背のような頂を持ち、樹木が生い茂っているので、見晴らしが悪い。その隙間から立花は探しているのだが、地図にないのだから、ないのだろう。
 そこへ同じような年代のハイカーが来たので、聞いてみた。
「太郎峰ですか」
「そうです。ここが次郎峰でしょ。だから兄の峰としてより

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貴霊寺高僧龍を見る

貴霊寺高僧龍を見る



 貴霊寺の住職が発狂した。麓に本寺があり、貴霊寺はその奥の院のさらに奥に入った渓谷にある寺。高僧が住職になっているが、もう俗界とは縁を切っている。麓の本寺は何かと俗界と繋がっている。そうでないと寺を運営できない。
 しかし、この寺、寺領があり、一寸した豪族並みの規模がある。叡山の山法師のような僧兵もいる。ただ、彼らは仏門とは関係のない雇兵が多い。
 そういったこととかけ離れたところにあるのが貴

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利休鼠

利休鼠



 夜中ゴソゴソ音がする。台所らしいので、大村は見に行った。まだ眠ってはいない。パソコンの前でネットを見ながら、ぼんやりと過ごしているときだ。
 寝るにしては、まだ眠くない。起きていてもやる気が何も起こらないので、寛いでいるしかない。
 しかし、妙な音にはしっかりと反応し、しっかりと対応する気は満々。今まで見ていた「世界の奇習」とかの動画よりも、よりリアルな現実のためだろうか。見ているだけではな

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出掛けた翌日

出掛けた翌日



 遠方へ用事で出掛けた翌日、羽田はのんびりしている。疲れもあるが、日常に戻ったためだろうか。そして、気怠さというのがいい。既に用件は済んだので、山を越えた。その充実感もあるし、懸案をやり終えたので、それまでのプレッシャーも消えた。
 そして一日のんびりと過ごしている。これがいい。外出先での用件よりも、その翌日が目的なのだ。
 終わった後の安堵感があるためだろう。
 この翌日の一日が良いので、羽

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大太刀の重蔵

大太刀の重蔵



 余市村と千寿村の間に山が立ちはだかっている。その山をのけてしまえば、二つの村が一つになる。どちらも小さな村なので、大きな村になるわけではない。このあたりの家は一箇所に集まっている。そのためまとまりがいい。
 その壁のような山を越えるのは大変で、斜面がきついためか、道が付いていない。
 そのため、その山ではなく、二つの村にまたがるもっと大きな山の中腹から行くことになる。そこはしっかりとした山道

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個人の祭り

個人の祭り



 祭りのあとの寂しさというのがあるが、あとの祭りというのもある。次の祭りではなく、行ってみると、既に祭りが終わっていた。これは淋しいかもしれないが、祭りのあとの寂しさとは少し違う。一方は祭りを楽しんだが、片方は体験していない。
 だからあとの祭りの方は、残念だろう。
 祭りを満喫し、そして終えたあとの虚脱感のようなものと、もう終わってしまったのかという寂しさもあるが、満足後の余韻もある。
 ど

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最初の勢い

最初の勢い



 出だしはいいのだが、途中で息切れし、早い目に終わってしまうことがある。当然見事なまでの尻切れ蜻蛉。トンボはどこからが尻なのか分かりにくい。胴体がずーんと端まで行っている。尻というのは端と言うことだろう。どん尻とか。端っこの切れたトンボを作田は見たことはないが、想像はできる。飛びにくいだろう。それに、生きていないかもしれない。
 それで作田は出だしを工夫した。スローなスタートだとどうだろうかと

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小春日和を待つ男

小春日和を待つ男



 塩見は待ちに待った小春日和が来た。世の人は色々なものを待っているのだが、小春日和を待つなどは一寸したものだ。他にもっと待つべきものがあるだろう。ただ、何も待つものなどない人もいるが。
 待つというのは能動的。こちらからは仕掛けない。また、待つ以外には何ともならないこともある。小春日和などがその例だろう。努力しても励んでも願っても何ともならない。
 逆に何もしていなくても小春日和は得られる。無

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