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川崎ゆきお超短編小説 コレクション 5

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2019年4月の記事一覧

等々力村綺譚

等々力村綺譚



 連休に入り、時間ができたので、高峯は等々力村に行くことにした。これは里帰りではない。遊びに行くのだが、それはただの行楽でも観光でもなく、見学。これは似たようなものだが、特殊なものを見に行くので、ここが違う。一般公開されているのかどうかは分からないが、歓迎されないだろう。なぜなら閉ざされた村のため。
 その情報はネットで見たのだが、一応秘境とされているが、そんな山奥ではない。等々力村の周辺には

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毒将

毒将



 弘田天善という名の知れた武将がいるが、隠居している。その息子があとを継ぐことなく、与えられた一ヶ村で一族郎党と静かに暮らしていた。食べることに不自由しないし、仕事もない。だから、武家だが大庄屋のようなもの。農園主に近い。
 この国は天善が作ったようなもの。まだ小さな勢力だった頃から活躍し、近隣を切り取り、数万石を領する大名となっている。
 天善はこのとき、何かを悟り、身を引いた。懸命だ。
 

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花より団子

花より団子



「花見は終わりましたねえ」
「いやいやこれからですよ」
「でも、この雨と風で、残っていたのも全部散ってますよ」
「桜はね。八重桜も散りましたが、これが最後でしょ。里では」
「そうでしょ。終わりですよ」
「ツツジです。次は」
「はいはい」
「それだけじゃない。これからが本番。咲き乱れていますよ。それで私は忙しい」
「いいですねえ。毎日花見とは」
「花見ができる。これはいいことです」
「暇だからで

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木阿弥の再起

木阿弥の再起



 元の木阿弥。スタートラインに戻されることだが、本当は戻されたくはないはず。しかし、敢えて元の木阿弥へ戻ることもある。自分で戻るわけなので、自主的。そのまま進むこともできたし、少し引けばいいだけなのだが、ストーンと最初の頃に戻る。
 まだ木阿弥と呼ばれていた頃の名前に戻る。出世魚のように名が変わっていったのだろう。だから木阿弥は初期値。
 しかし、元に戻ったわけではない。戻るまでの期間があり、

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花の精

花の精



 広田は自転車で近所をうろつくのを趣味としていたが、春も進み、暑くなってきたので日陰を選ぶようになる。冬とは別だ。
 日中、既に夏。冬まではもう陽の当たる通りは避けることになる。そのため広田は冬の道と夏の道を作っている。今日はその切り替え時期。夏至はもう少し先だが、夕方も遅くなり、冬場に比べ明らかに長い。まだこんなに明るいのかと思う。
 道沿いの草花、これは玄関先などの鉢植えが多いのだが、春の

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ご都合主義

ご都合主義



 流れの中にある偶然性。これはじっとしていても出てこない偶然で、動いてみて生じる偶然。その偶然の意味するところは受け留め方次第。思わぬものと遭遇し、それがよいことだと幸いだろう。それで幸せになれるかどうかは分からないが、何かがそれで解決したり、道標が見付かったりする。その後、動きやすくなる。
 ただ、じっとしていると、偶然も受け身。何もしないこともしていることになるが、流れがない。あるにはある

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桶狭間

桶狭間



 秋の終わり頃を晩秋というが、春の終わり頃の晩春はあまり使わない。ほとんど初夏で済ませている。その方が景気がいい。勢いがある。
 しかし、晩春には趣がある。少し暗いが、それは終わりがけの儚さのようなもの。だが春の終わりをしみじみと思うようなことはない。だから気温についての話ではない。我が世の春が終わろうとしているという意味だろか。そちらで使う方がピタリと填まる。
 その我が世の春を謳歌していた

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三角山の秘像

三角山の秘像



 村の聖域がある。正しくはお寺の聖域。境内から少し離れているが、そこに山がある。ピラミッドのように見えるが、そうではない。こういう山は三角山とか呼ばれているのだが、形が分かりやすいので、いい目印になる。また土地の名と富士を絡ませて、何々富士になることもある。
 聖域はこの山。村の寺は神社でもあり、くっついているが、一応横に神社は神社として独立した社を持っている。分離が五月蠅かった時代にできたも

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馬喰饅頭

馬喰饅頭



 人付き合いというのがあり、世話になっている人の頼みは無下には断れない。今もよく面倒を見てくれる親分だ。しかも将来もそれが続くはず。そういう人は大事にしたい。そのため、白川は頼みを聞き入れた。それほど難しい話ではなく、見に行くだけ。
 その組織の長老で、今は引っ込んでいるが、その様子を見てくるだけでいい。本来なら親分が伺うところだが、その代理として白川が行く。注意点は何もない。無事に過ごしてい

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肉眼鏡

肉眼鏡



 藤田は眼鏡を拭いた。するとよく見えるようになった。これはよくやることだが、急に視力がよくなったような気持ちになる。
 長く拭いていなくても、実用上困らない。見えないものは綺麗なレンズでも見えない。だから、支障はないが、クリアに見えると、すっきりする。これは美しさだろう。実用上、美は関係しない。別に美しいものを見なくてもかまわないのだが、見ると気持ちがいい。ただ、眼鏡を拭くだけで美が得られるの

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緩和

緩和



「今日は暖かいですねえ」
「やっと春になった感じです。暑いぐらいですよ」
「そうですなあ。気候がいいと、眠くなります。何か緊張感が薄れて」
「何に緊張されていたのですか」
「いや、いろいろとですよ」
「まあ、心配事も緩みますよ」
「なくなりませんがね」
「緩和するだけで十分ですよ」
「そうですね、特に何もしていないのに、緩和とは有り難い」
「季候がよくなれば、よくなるんです」
「しかし、なくな

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里の春

里の春



 市街地の今と今とがせめぎ合うような道路沿いを歩いていると、もう少し穏やかでゆったりとした風景が見たくなる。
 黒田は別に目的もないままバスに乗った。電鉄のバスなので、市内から出て、駅と駅を繋ぐのだろう。鉄道が事故などのとき、その区間をバスが走ったりする。
 だが黒田は駅前から適当なバスに乗った。色々と行き先があるのだが、三つの乗り場のうち、一番奥を選んだ。行き先は書かれているが、見ていない。

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モルス街の悪魔

モルス街の悪魔



「十五番街はどちらでしょうか」
「番地で聞かれても、よく分かりません」
「じゃ、モルス街では」
「ああ、猿街ですね。この運河の先です。橋がありますので、そこを渡らず右へ入れば、そこがモルス街です」
「有り難うございます」
「貧民街ですよ。あなたのような紳士が行くような所じゃない」
「少し頼まれものをしたもので」
「気をつけて下さい。治安が悪いので」
「はい、有り難うございます」
 老紳士は運河

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楽しみにしていること

楽しみにしていること



 一寸した気がかりがあって田治見は落ち着かない。大したことでなく日常範囲内。それがこじれて大変なことになる可能性は少ないが、どう転ぶかはやってみないと分からない。ほぼ大丈夫なのだが、安心しきれない。それらの多くは人と絡んでいる。一寸した交渉事だが、毎回順調に行っている。しかし、そうではないときもある。そちらの方が珍しいのだが、それでも大したことにはならない。
 だが、思っていることと違う反応が

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