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川崎ゆきお超短編小説 コレクション 5

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2019年2月の記事一覧

貧の戻り

貧の戻り



「長く生きておりますとねえ、忘れ去ったもの捨て去ったものが多く出ます。出物腫れ物ところ構わずじゃないですが、もっと構わなければいけなかったこともあります」
「その中の一つが復讐を」
「さあ、どんな善人でも閻魔さんに掛かれば、一つや二つの悪行があるでしょ。そのことよりも悪いことをしたとか思わないまま過ぎ去ったりします。相手は一生覚えております。積年の恨みを抱くだけの粘り強さがあれば別ですがね。そ

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思ひ出

思ひ出



「今日はどんな話をしましょうか。毎日なので、もう話すこともないのですが、実は色々とあるにはあるのです。でもお話ししても退屈なだけなので、控えているだけです。また同じ様な話ですが少しだけ違う。この違いがいいのですが、違うところはほんの一部。これでは退屈でしょ」
「いえいえ、まだ話されていないことがあると思いますが」
「昔の思ひ出。さあ、思い出として語れるのは他にありましたかなあ」
「大事な話をほ

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尻割草

尻割草



 北村はまだ寒いが春を感じた。寒さが引いたあたりで咲き始める野の花を見たため。
 春の草花を買ってきて植えたのでも、種を買ってきて育てたのではない。野生。野育ちの植物で、それは売られていない。
 雪割草などがそれにふさわしい、読んで字の通り。しかし北村が住む一帯にはこの草花はない。もっともっと北へ行かなければ見ることはできない。雪を割って出て来るというあたりが、いかにもだ。
 さて、春を感じた

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他人の目

他人の目



 相変わらずのマイペースで振る舞っているより、少し嫌だとか、苦手なことをやったときの方が評価が高かったりする。自己評価と人の評価とは違う。
 人といっても個々人、一人一人の評価だが、その数が多いと、高い評価になる。世間全体から見れば大したことはないが。
 それでも世間の同調者がこれまでより多いと、いつものマイペースは何だったのかと思うだろう。自己評価の高い、お気に入りのことをしているときよりも

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豪族

豪族



 陣触れがあり、その村も兵を出さないといけない。二十戸ほどある。本来なら全戸出さないといけない。
 これは徴兵ではない。ここの村人は流れ者ばかりの傭兵。つまり雇われ兵。しかし、戦のときだけ銭で雇っていたのだが、終われば、いなくなる。
 戦は始終あり、常雇いとしたいのだが、そんな費用はない。だが、いなくなると困る。
 そこで土地を与え、自活できるようにした。当然年貢は取らない。銭の代わりに田畑を

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敵う相手ではない

敵う相手ではない



「何かありますか」
「いや、何でもない」
「じゃ、これで失礼します」
 森田は席を立ち、ドアへ向かおうとしたその後ろ姿に声が掛かる。
「あのことだがねえ」
 何もないと言っていたのだが、やはり何かあるのだろう。大事な話、本当の用件は席を立ったときや別れ際に来る。
 来たか、あのことだな。と森田はドキッとした。というよりも、この話が本題だろう。最初から、その話をすべきなのだ。森田はそのつもりで来

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湯豆腐を目指す人

湯豆腐を目指す人



 どんよりと曇った冬の空。寒々としており、こういう日は湯豆腐でも食べてその温かさを保ちながら寝入りたいもの。と作田はこの時期になると、いつも思うのだが、そんなことをしたことはない。
 寒いとき、カロリーが必要。湯豆腐だけでは頼りない。楽しみにしている夕食のおかずが豆腐だけでは味気ない。豆腐そのものには味はないが、いい豆腐は豆臭さがあるのだろう。
 木綿か絹こしか、どちらを選ぶかだが、湯豆腐は潰

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一般外の世界

一般外の世界



 いつもと違う仕事が間に入ったので、下村は休憩時間が遅くなった。時間が来ればやめればいいのだが、気になった仕事で、ついつい熱中した。仕事に熱心なのではなく、気になっため。
 それはもう仕事から離れた別の箇所を刺激したのだろう。ただの好奇心かもしれない。休憩が遅くなるのも気にしないで続けていた。
 どうせ休憩時間といっても、ぼんやりしているだけで、これが一番休憩になるのだが、その時間、プライベー

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野草の思想

野草の思想



「さて何処へ行こうか」
 箕田は思案した。別に行かなくてもいいことだが、何処かへ行かなければ、立ち止まることになる。それを避けたいだけで、何処かへ行こうとする。ただの移動でいい。箕田は蓑虫のような人間だが、冬眠しているわけではない。虫といえども動物。しかも箕田は立派なホモサピエンス。
 本能は動物ほど立派ではないので、何らかの意志で、考えで、動かないといけない。困った動物だ。しかし、動くことが

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最後の切り札

最後の切り札



「切り札、隠し球。これは切ればもう切り札ではなくなり、隠し球も見せてしまえばそれまでよ」
「はいそれまでよですね」
「だから切り札は切れず、隠し球は隠し通さんといけん」
「じゃ、一生使えない」
「いや、ここ一番で使う」
「その、ここが問題ですねえ。まだそのときじゃなかったり。それに一生じゃ、若い頃に使うと保険が切れたようになりますしね」
「また作ればいい」
「それは作るものですか。それとも勝手

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考えが足りない

考えが足りない



「何が良いのかねえ。最近分からなくなりましたよ」
「人それぞれですから」
「しかし、人の言うことを聞くだろ」
「聞きます。参考までに」
「あちらの人は良くいうが、こちらの人は悪くいう。どうする」
「だからどちらも参考にします」
「そういうのを参考にした意見が既にある。実際はこういうことではないかと、解説してくれる。だから参考にしなくても、先にそれらを参考にしてまとめ上げた人がいる。この場合、ど

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老害対策

老害対策



 なくしたものが戻ってくると、嬉しかったりする。喜ばしいことだ。しかし、自分自身でなくしたものがある。人ごとではなく、捨てたのだろう。しかし、一度捨てたもの、または不本意ながらもなくしたものが戻ってくると、その有り難さを思い知る。元々あったものなら、そこに戻れることを。
 なくしたり、失ったりすることもあるが、増えることもある。新しいものが来たので、古いものを捨てたりする。入れ替えだ。交代。

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梅と雨

梅と雨



 雪にならずに雨になる。真冬、この雨を梅雨とは言わないが、この時期梅の花が咲く。それに実が成る頃が梅雨。さらに長雨にならないと、梅雨とは言えないが、冬に咲く梅と縁遠いわけではない。また梅雨時はジメジメと湿気が多いため物が腐りやすい。梅の実は食中りにもいいはず。殺菌作用があるかどうかは分からないが、腹がおかしくなったとき、梅干しをなめたりする。梅毒というのもあるが、これは梅の毒ではない。
 梅雨

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匂いのきつい通り

匂いのきつい通り



「昨日は何処まで行きました?」
「ああ、散歩ですか。近所ですからねえ、特にいうほどのものではありませんが、少し妙なところに入り込みましたよ」
「といいますと」
「いつもはそちらへは行かないのですよ。何だかあまり良さそうな雰囲気じゃないので」
「どんな場所ですか」
「住宅街の続きですがね。周囲とそれほど違いはないのですが、何か饐えた匂いのようなものがするのです」
「酸っぱいような、腐っているよう

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