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百人一首解説「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも 世に逢坂の関は許さじ」

こんにちは!
よろづの言の葉を愛する古典Vtuber、よろづ萩葉です。

百人一首の62番、

夜をこめて鳥の空音は謀るともよに逢坂の関は許さじ

後拾遺集

こちらは清少納言の和歌です。
清少納言は枕草子を書いたことで知られる、平安時代中期の作家です。
一条天皇の后、中宮定子に仕えました。

この和歌が詠まれた時の状況が枕草子「頭の弁の、職に参り給ひて」に詳しく書かれているので、今回はその枕草子の内容と合わせて和歌の内容を見ていきます!

枕草子「頭の弁の、職に参り給ひて」

内容意訳

頭の弁・藤原行成様が職の御曹司(=中宮のいる部屋)にいらっしゃって雑談をしていると
「夜もすっかり更けましたね。明日は帝の物忌みのため詰めることになっているので、丑の刻(=午前二時)になると具合が悪いから」と言って宮中に帰ってしまった。

翌朝、蔵人所(=帝の秘書の詰所)の紙屋紙(=朝廷の製紙所ですいた紙)を重ねて、
「今日は心残りがあります。夜通し昔話などして夜を明かそうとしていたのに、一番鶏の声にせきたてられまして」
と、つらつらと言い訳が書いてあるその文字はとても素晴らしい。
私は返事に
「真夜中に鳴く鳥は、孟嘗君の故事に出てくる偽物の鳥でしょう」
と書いた。
すると行成様からの返事に、
「孟嘗君の鶏は函谷関を開けて、三千もの食客が逃げ去った、ということですが。私が開けたいのは逢坂の関、あなたとの恋の関ですよ」
と書いてあったので、私は

夜をこめて鳥のそら音ははかるとも 世に逢坂の関は許さじ
しっかりした関守がいますので。

と書いて送った。
するとまた返事が来て、

逢坂は人越えやすき関なれば 鳥鳴かぬにもあけて待つとか

と書いてあった。
その手紙を、初めの一通は隆円僧都(=中宮定子の弟)が、どうしても欲しいと言って持っていってしまった。
後の手紙は定子様にお渡しした。
ところで、「逢坂は人越えやすき関なれば〜」の和歌に圧倒されて返事ができなかった。
とても良くないことだ。

その後、行成様がいらっしゃって
「あなたの手紙は殿上人が皆見てしまいましたよ」
とおっしゃるので
「あなたが私のことを本当に思ってくれているんだとこれで初めてわかりました。素敵な和歌など、人に見てもらえないのは甲斐がないことですもの。
あなたの見苦しい和歌は、隠して人には見せないことにしました。お互いを思う気持ちを比べるに、同じことですよね」
と私が言うと、行成様は
「このように良くわかっているように言うところが、あなたは他の人とは違うようですね。『軽はずみで酷いことをしてくれた』などと普通の女性のように文句を言うかと思いましたが」
などと言って笑った。私が
「まぁ、どうして?むしろお礼を言いたいくらいですよ」
と言うと、行成様は
「私の手紙を隠してくださったことも嬉しいことです。もし人に見せていたらどんなに辛かったか。これからもあなたを信頼していますよ」
などとおっしゃっていた。

それから、源経房様がいらっしゃって
「行成殿があなたをとても褒めていることを知ってますか?先日の行成殿から私への手紙に、この前のことを書かれていましたよ。好きな人が褒められるのは実に嬉しいことだ」
などと真面目におっしゃるのも面白い。
私が
「嬉しいことが二つありましたよ。行成様が褒めてくださったことと、あなたの好きな人の中に入っていたことです」
と言うと、
「それを今更めづらしいことのようにお喜びなさるんだから」
と経房様はおっしゃった。

「孟嘗君の故事」とは?

今回のお話に出てきた中国の故事について解説します。
これは中国の歴史書「史記」に載っているお話です。

孟嘗君が秦国から逃げる際、函谷関の関所を通る必要がありました。
この関所は朝にならないと開かず、今はまだ夜中。
そこで孟嘗君は部下に一番鶏の鳴き真似をさせ、それを聞いた関守が朝になったと勘違いして関所を開けたため無事に逃げることができた。というものです。

二人ともこの故事を知っていたからこそ、こんなやりとりができたんですね。
当時、女性にとって漢詩の知識は必要のないものでした。
ですが中宮定子に仕えていた女房にとって、「史記」の知識は当然知っているものでした。
この話は回り回って定子様がいかに素晴らしい主人だったかと言うことを示しているんです。

「逢坂の関」とは?

有名な歌枕です。
現在の京都府と滋賀県の境にあった関所で、
「逢坂」が「逢ふ」の掛詞で、恋の関所、簡単に言うと付き合うか付き合わないかの境目の意味で和歌によく詠まれます。

三蹟・行成(こうぜい)

行成の手紙を僧都が欲しがったとありますね。
行成は優れた能書家で、同時代に活躍した能書家・藤原佐理小野道風と並んで「三蹟」と称されています。
能書家として名前を呼ぶ時は「こうぜい」と読むことが多いです。

行成の直筆は現在も残っており国宝に指定されているのですが、素人が見ても本当に美しい文字です。
当時も行成の直筆は皆が欲しがるほどのものだった、ということなんですね。

和歌の意味

では前後の流れを踏まえて、和歌を見ていきます。

夜をこめて鳥のそら音ははかるとも 世に逢坂の関は許さじ
まだ夜のうちに鶏の鳴き真似で騙そうとしても、決して逢坂の関は許しません

清少納言

逢坂は人越えやすき関なれば 鳥鳴かぬにもあけて待つとか
逢坂の関は簡単に越えられるから、鶏が鳴かなくてもいつでも開いてるとか

行成

直訳だと分かりにくいですが、この2つの和歌の意味は、

清少納言「私は守りが硬いので、あなたの嘘に騙されて絆されたりはしませんよ」
行成「そんなこと言って、あなたは誰とでも付き合うって聞きましたよ」

ということなんです。
なかなか失礼な和歌ですね。

男性からの恋の誘いに対して漢詩のネタを送りつける女性は、清少納言くらいだったのではないでしょうか。
行成はそういうところが気に入っていたようですね。
この二人の関係は枕草子に多く登場しますが、恋人…というよりは、冗談を言い合える親友だったと思われます。

☆動画で解説

頭の弁の、職に参り給ひて「夜をこめて」〈枕草子/百人一首〉

【百人一首】※再編集 清少納言の難しすぎる和歌!「夜をこめて鳥の空音は謀るともよに逢坂の関は許さじ」


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