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百人一首解説「めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に 雲隠れにし夜半の月かな」
こんにちは!
よろづの言の葉を愛する古典Vtuber、よろづ萩葉です。
百人一首の57番、
めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に
雲隠れにし夜半の月かな
こちらは紫式部の和歌です。
作者
紫式部は源氏物語や紫式部日記の作者として知られる、平安時代中期の作家です。
藤原道長の娘であり一条天皇の后、中宮彰子に仕えました。
紫式部の生涯についてはこちらの記事でお話ししています。
出典
この和歌は紫式部集の一首目に収録されています。
紫式部集は、紫式部が晩年に作ったとされる自撰集です。
子どもの頃から晩年に至るまでの紫式部の和歌が収録されています。
勅撰集では、新古今和歌集に収録されています。
鎌倉時代初めに、百人一首の撰者でもある藤原定家たちが編纂したのがこの新古今和歌集です。
実は紫式部は初めから歌人として高く評価されていたわけではなかったらしく、新古今和歌集の一つ前の千載和歌集の時代にようやく評価されるようになったようです。
内容
この和歌には、どんな状況で読まれたかを説明する詞書があります。
紫式部集でも新古今和歌集でもだいたい同じ詞書が書かれていますので、今回は新古今和歌集の詞書と合わせて和歌を見てみましょう。
はやくよりわらはともだちに侍りける人の、としごろへてゆきあひたる、ほのかにて、七月(ふみづき)十日のころ、月にきほひてかへり侍りければ
幼馴染の友だちと数年ぶりに再会したのに、会えたのはほんのわずかな時間で、7月10日頃、月と競うように帰ってしまった。
そこで詠んだ和歌、
めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に 雲隠れにし夜半の月かな
久しぶりに巡り会って、今見たのがあなただったかどうかもわからない間に、雲に隠れる深夜の月のようにあなたはいなくなってしまった。
ちなみに紫式部集では「7月」が「10月」となっていますが、7月が正しいだろうと考えられています。
背景
紫式部は幼い頃に姉を亡くしています。
そして、同じように妹を亡くした女の子と友だちになったといいます。
その友だちと数年ぶりに再会します。
2人はお互いを姉妹のように慕っていましたが、家族の事情で再び離れ離れになってしまいました。
その時に詠まれたのがこの和歌です。
久しぶりに会えて嬉しかったのに、あっという間に友だちはまた遠くへ行ってしまった。
紫式部の残念がる様子が目に浮かぶようですね。
それと同時に、その友だちに会えたことがとても嬉しかった気持ちも込められているように感じます。
離れ離れになってからも手紙のやり取りはしていたようですが、やがてその友だちは亡くなってしまいます。
その後、紫式部は京都に戻り結婚しますが、数年で夫も亡くなります。
大事な人を立て続けに亡くした紫式部は生きる気力を失いますが、その時に心を救ったのが物語を書くことだったんです。
☆動画で解説
【光る君へ】【百人一首】女友達との再会と別れの和歌「めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな」
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