20200330 diary

志村けんが亡くなった。
縁もゆかりも無いけれど、縁遠い親戚よりはその人格を知っている気がするくらい、小さい時からみていた、ちょっとスケベで親しみ深いコメディアン。

日航機事故で亡くなった坂本九に近いかもしれない。ただ、事故当時生まれてもないので、“かもしれない”としか言えないのだけれど。

そう、連日ニュースを騒がす厄災は何度も見てきたし、加齢や持病で急逝された芸能人はいくらでもいる。
“ニュースの日常”と“私の日常”が乖離しているように、それらがイコールになることは無かった。

だから、志村けんが新型コロナウイルスで亡くなったのは衝撃的だった。

毎日テレビで見る感染者数も死者数もただのデータでしかなく、そこにパーソナリティは生まれない。

 つい先日も東日本大震災の死者数と行方不明者数が小さくテロップにうつる映像を見た時と同じ感覚だった。間違いなく、そこには、私のように日常生活をただ漫然と送っていたに違いない、一人の人間がいるのに、あまりにも絵空事のように感じる。

新型コロナウイルスも、つい最近まで、SARSやエボラ出血熱のような程遠さを感じていた。テレビの中だけで、どうせ私には関係のない出来事なのだ。

ここ二か月間の自粛騒ぎにもほどほど疲れてきていたのもある。さも大ごとのように騒ぎ立て、やれ自粛。特にアニメや映画、舞台が好きな私にとって、次々に楽しみにしていた興行が中止や延期に追い込まれていくのは見るに堪えなかった。

つい先日の土曜日も、友人とスタジオを借りていたのだが、自粛要請を受け
て「どうする?キャンセル料もったいないよね」「でもちょっと怖いよね」なんてLINE上で右往左往。
しかし、我が家にはようやく1歳になる甥がおり、そう簡単に感染源になるわけもいかず、キャンセルすることにしたが、きっかり5,000円のキャンセル料が発生しクサクサしていた。
とはいえ、このご時世、ろくな予見もせずに予約したのだから、いい勉強料になったと思わずにはいられない。まして、そのスタジオだって経営難にでもなられたら、再利用することもままならないのだから。

そして、志村けんの訃報だ。

つい先週、志村けんが入院したとニュースで流れたばかりのときに、バラエティ番組にでており、なんとなく、もしかしたら…と不謹慎なことが頭によぎりながら、いつもは見ないその番組を見ていた。
結婚まで考えたという年下の恋人に、「今も幸せそうでよかった」と生涯独身を貫いた志村けんが、どこか力なく、でも穏やかに笑っていた。
その元恋人の方も、(なんとなく優香っぽいすっきりとした美人な人だった)「(志村けんは)若い人が好きでしたから、そのままでいいんですよ」と微笑んでいた。
その時、娘とも孫ともいえる若い女性と、いつまでもにこやかに仕事をしていてほしいものだな、となんとなく思った。

志村けんは、日本を代表する”変なおじさん”で”バカ殿”なのだ。

スケベで酒飲みのおじさんなんて、普通であれば愛される対象ではない。でも志村けんは愛された。なぜか。

ドリフターズでは圧倒的最年少にも関わらず、いかりや長介をおちょくっては笑いを誘った。k-popでいう”黄金マンネ”だ。才能あふれる最年少が、グループのマンネリや凝り固まった価値観を打ち砕く。ジャニーズやモー娘。のようなアイドルグループでも見られた構図だ。時に非常識のような言動でもって、旧来の価値観を破っていく。もちろんそこには輝ける才能が不可欠であって、一方で見えない努力や苦悩がある。誰もがみな、知ってか知らずか、魅了されていく。

ドリフを経て重鎮としてもてはやされるようになっても、いつまでも”最年少”を思わせる愛くるしさがあった。少し高めの声で甘えるように、でも本当はシャイそうな素顔を垣間見せる、”変なおじさん”。

昭和、平成、そして令和に至っても、その”笑い”は絶えないと思っていた。

だからこそ、入院からわずか二週間での訃報に驚かずにはいられなかった。また元気になって、ひょっこり志村動物園に戻ってくると。辞退した映画も、延期になって申し訳なかったね、とほほ笑みながら試写会であいさつするのではないかと。

長くなってしまったが、私がほかの人より志村けんを語れるほど、彼に造詣が深いわけではない。私が最も亡くなったら悲しむ芸人はタモリだと思っている。しかし、タモリより若く、ドリフターズのメンバーの中でも最年少だった志村けんの訃報は嘆かずにはいられない。

どこか他人事だったこの流行病もまだまだ収束には程遠そうだ。

今できることをしよう。そんな、安易で些細なことしかできない非力さにも、暗澹たる気持ちになるが。

心よりご冥福をお祈りいたします。

追記

加藤茶は大病を患った時に、三途の川の向こう岸で、いかりや長介が、手を振っていたのを見て「このまま行ったらアイツにまた扱き使われる」と逃げてきたらしい。

志村けんは高校卒業とともに、いかりや長介に弟子入りすべく、雪が降る中、12時間待ったそうだ。

奇しくも、3月29日は東京で遅い雪が降った。いかりや長介に「来るんじゃないよ」と言われて、食い下がったのかもしれない。もう一度、あのステージに立つために。あの日と同じように。

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