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過去を喰らう(Defeated you)Give me|二次創作小説【#BirthdaySHELF】

 花火が背後で鳴り響き、私の影を校庭に落とす。
 影は掘っている。
 穴を掘っている。
 負けるわけにはいかないのだ。
 私は勝たなければいけない。
 私は、過去を喰らわなければいけないのだ。

うぐいすがどこかへ行った夏の夜。鈴虫が春の残香を保存して、私はひとり、浴衣で佇んでいる。

彼が現れるかもしれない。

そんな期待が私をそうさせていた。

しかし彼は現れなかった。花火大会、河原の夏祭り。千里川が大阪でいちばん綺麗な川だが、かえって水面に私の顔が映って、ほとほと疲れた。やめだやめだ。家で小説の続きでも書こう。きびすを返そうとした。

「お、つっちゃん! つっちゃんやんな!」

げ。中学の同級生(陽キャ)に捕まった。

「お、おう。ひさしぶり」

「卒業以来やなあ。え、ぜんぜん地元で見かけんけど」

「あー。梅田の高校に通ってて」

「へえ、……ほな高校はちゃんと行けとるんやな」

「う、うん」

「——小説はまだ、書いてるんですかあ〜?」

茶化すように聞いてくる。それがほんとうに茶化しているんじゃなく、こいつなりの「じゃれ」なのを私は知っている。

「まあ、ぼちぼち……かな……」

だから塩対応をするつもりなんかなかった。だが、どうにも次の言葉が出てこない。

見かねたのか、別の話題を彼はふってくれる。

「そういえば、見かけん奴といえば、『よっちゃん』のことも結局あれいらい見かけへんけど、なんか知っとる?」

こいつ、まじか。

人の心が読めているかのようだし、全く何もわかっていないようでもある。的確に地雷を踏み抜きやがって。昔からそうだ。

「知らん……な。うん、僕も知らんねん」

「そおかあ……。やー、つっちゃんとよっちゃんって仲よかったやん? なんか知っとるかなあ思ててんけど」

「そんなん、僕も、」

言い出してから、一瞬、言葉がつまる。

——どーん、と花火のが重なる。

リズムを崩され、私は黙り込んでしまう。花火はぽろぽろと降りる。のぼりかけていた血液が、ひいていく。

「……僕も知りたい。よっちゃんが何処におるんか」

*———— ————*

世界の全てが恐ろしかった。

この網戸に散った桜のひらは、中学に上がるとき「今度こそは学校へ行こう」と決意していた私の向上心だ。

しかし今、結局、1人で、自室で、私はキッチンからくすねてきたさくらんぼうを噛み砕いている。

誰も信じられない。というよりも、誰かを信じようとする自分が恐ろしい。だから、家でも、学校でも、「信じない」をする。これは疲れる。帰宅する。そのままベッドから起き上がれなくなって引きこもる。何度目かの夜が死に、さくらんぼうの食いかすが腐りかけた匂いがすると焦る。また決意する。登校してみる。耐える。疲れる。また、自室、網戸に寄り添う。2、3ヶ月の周期で巡る。そんな生活が中学を通して続いた。

人と目を合わせられないから、学校では原稿用紙とにらめっこをしていた。この世界のすべてをぼろくそに書いた。いわゆる厨二病だった。

「な、なあ」

3回目くらいの「おやすみ期間」の明けごろの話だ。私に話しかけてくる男子が1人いた。黒ぶちメガネで、少しだけむさ苦しい肉付きをした、私と同じくらいのカーストの男子。

「それ、何書いとるん?」

おかしい。クラスメイトが私に話しかけてくるなんて。ありえない。「ありえない」ってそのまま原稿用紙に書いちゃった。なんだこいつ。

真っ白になって視界がピンボケすると、教室の奥の方でニヤつく陽キャの姿があった。あいつの差し金か。くそ。

「なんか、その……。小説。やな」

「え、すげー。あ、え、どんなん書いてんの?」

こいつ驚いている癖にどうしてこんなに抑揚が無いんだ。——しかし、抑揚が無いだけで、声はいい。優しい声をしている。

「えと、あ、に、人魚の話」

「人魚?」

「そう」つい早口になる。

「人魚が人間と出会って恋に落ちるんやけど、人魚の村の掟で人間が殺されて、主人公が絶望して、そんで、人魚の村を崩壊させる話。最後は津波でみんな死ぬ。あ、いる?」原稿用紙を差し出してみる。

「へえ面白そう」受け取る。

——なんだか心が通じてしまった! 陽キャにまんまと嵌められた……

「なあ!」と割り込んで、私たちの肩に腕を回す陽キャ。

「おまえら今日空いてる? まあ空いてんやんな、友達いぃひんし」

なんだこいつ。

「よっちゃんの家いかん?」私の困惑をよそに「俺今日暇なってもうてさあ〜」

「いいよ。今日も親いないし」

と黒ぶち。

「ほな決定!」

「え、あ、いやちょっと」

あまりにも拙速なので、とっさに待ったをかけた。2人の目線が私に刺さる。何か言わなければ。ええと、ええと……

「よっちゃんって、誰?」

素朴な疑問を投げかけると、陽キャは「あ、そうやん!」という顔芸をやってみせ、

「お前ら自己紹介してへんやん。こいつや。この黒ぶちが『よっちゃん』、依夫くん。よろしう」と一拍置くと、私を指さして「よっちゃん」の方を見、「こいつは『つっちゃん』、椿希くん。ほら、よろしくしい」

そんなあだ名で呼ばれたことはないんだが? ——以後、私のあだ名は「つっちゃん」で定着した。

*———— ————*

「ただいま〜」

よっちゃんの家につくなり、陽キャが呟いた。「お前の家じゃないだろ」と私は脳内でひとりごち、

「……邪魔すんで」

すると「ジャマすんねやったら帰って〜」と、よっちゃんの声。うそ。驚いて振り向くと、よっちゃんは私の原稿用紙で顔を隠しつつ、にやついていた。

「うそうそ。ええんよ『ただいま』で。あがってあがって」

おちゃらけている。声に抑揚が無いのと変な矛盾で、それがなんだか神秘的。私は固まってしまった。てかこいつら、こんなに仲よかったのかよ。私は「う、うん」と靴をぬぎ、陽キャの後ろをついていく。

「よっちゃんの親はほとんど帰って来やんから、入り浸ってもうてんねんな〜。実質俺の家、みたいな」

ふうん、と、その頃はなんの疑問も抱かなかった。

「てか、なんで僕の原稿ずっと読んでんの」

振り向く。よっちゃんの顔は隠れたままだ。

「——おもろいな、これ」

「おもろい? 笑かす話とちゃうで」

「やぁ『興味深い』の方のおもろいってことな。主人公の人魚は、物語を通じて、いろいろなものを喰うてまうやんか。恋人が処刑されるシーンなんかよくにおもろい。人魚の村長に命令されて恋人を喰うなんて、並の発想やない」

褒められて、素直にちょっと嬉しい。照れ隠しの必要に迫られる。

「おもろいの使いかた間違えとるやろ……今どのへん読んどる?」

「ん、子供たちのことを少しも気にかけんかった村長を、主人公が喰い殺すとこ」

「もうほとんど終わりやん。まだその先書けてへんで」

「ふ〜ん」

会話を遮るかのように、陽キャがよっちゃんの部屋の扉を勢いよく開ける。

「べ〜ん! お邪魔します〜!」

「ふっ、ジャマすんねやったら帰って〜」

「はいよ〜」

なんの躊躇ためらいもなく私の肩をすりぬけ、後ろへ下がった、かと思いきや、

「ってなんでやねん!」

「おゎ!」

何故か勢いよく私の背中に強烈なツッコミ(物理)を喰らわす。なんで? 途端に部屋に投げ込まれる私。

顔を上げると、ちょうど夕日が差し込んでいた。

部屋全体が暖かな光に淡く、舞ったほこりが少しばかりきらきらしている。そして私の目と鼻の先、勉強机には、アコギが立てかけられていた。

「すまんすまん! まさかすっ転ぶとは」

陽キャの謝罪をこの際無視する。

「ギター、弾くん?」

「うん」よっちゃんの声。「ぼくの唯一の特技」

すると、何事もなかったかのように陽キャの肩と私の頭をすりぬけて、勉強机に原稿用紙をやさしく放り、椅子に腰掛ける。ひょいっとギターをひろい、よいしょ、肩にかける。

「つっちゃんの小説、最後、多分あれやろ。主人公は『海そのもの』に化てまうんやろ?」

え。

「ちゃう?」

「いや……あってる。なんでわかんの。それ、僕がプロットにメモってるだけの裏設定っちゅうか、コンセプトいうか……え、え」

くすりと笑って、

「別にエスパーとかとちゃうよ? 解釈しただけや」

よっちゃんは調弦をする。くい、ぽとろん、くいん、ぽとろん。

「ぼくの趣味は、何かを素材にして即興で弾き語ることなんや。作曲、やな、かっこよく言うと。いつもけんちゃんのリクエストでやっとるから、もはやぼくのお仕事かも」

「けんちゃん?」

いつのまにか私の隣に座っていた陽キャが、ショックそうにあんぐり。

「つっちゃん、マジか。俺の名前も知らんのか。ケンジローいうねん。けんちゃんてのは俺のこと」

「へえ……初耳」

「ごほん」と、よっちゃんが調弦を終えた。

「……小説、もしかして行き詰まってる?」

「え」またエスパーのようなことを。「実は、ちょっと」

「やんね。最後の方読んでてそんな気ぃしたわ」

机のすみからピックをとりあげて、

「そんな時はな、やっぱ音楽やで」

いつのまにか、私はよっちゃんの演出に呑まれていた。

「インスピレーションってそういうもんよ」

その日に見た景色は、渦を巻いて、私の頭から今でも離れない。

 妬みを愛を憎しみを言葉を飲み込んで、
 膨らんだ体に意味を見出したいから。

 海になってしまったのさ。
 日差しが差して、
 揺れる、透ける、海辺は僕の肌だ。
 わかってるんだろう?

 なあ! 悲しさばかりではないのさ。
 砂を喰らって僕は目を瞑る。

 夢や希望はこれなんだ。
 やりたいことはこれなんだ。
 だからあなたを待っている。
 貪欲な顔で待っている!

*———— ————*

「よっちゃん、って依夫のことやんな?」

「あ、先生」

浴衣姿で話し込んでいる私たちを見つけ、元担任が話しかけてくる。

「お久しぶりです」

「あ、うん。久しぶりやな椿希。挨拶できるようになったんやな」

「センセー、失礼っすよ、つっちゃんに!」

けんちゃんの小笑いが、私への気遣いであることが今ならわかる。

「お前たち、依夫のことが気になるんか」

けんちゃんの言葉を先生が無視する。うわ。今気づいた。こいつ酒臭い。

「センセー酔ってます? そーなんすよ! あいつこの辺で見かけへんから」

「あいつな——」溜めに溜めて「ワシにもわからんねん」

お手本のようなずっこけをけんちゃんは披露した。先生は、がははと機嫌がよくなった。

「卒業してからご両親と連絡がつかんようになってな? 聞くところによると、蒸発したらしいねん」

「蒸発? 親が?」

「やぁ噂やで? ワシは責任持たん。『知らんけど』いうやつやな!」

わははと笑って全てを誤魔化そうとする。いるよな、こういう大人。高校からはそこそこに登校できるようになり、大人と関わる機会が増えたので、かつては得体の知れない気持ちの悪い、恐ろしく面白くない特別な脅威であった担任も、もはや「その他有象無象」の一部だとしか思えない。

「……ま、よっちゃんなら大丈夫でしょう! あいつ、もともと親なんておらんようなもんやったし」

けんちゃんが場を納めようとした。しかし、先生の顔は少し冷めた感じである。それはそうだ。よっちゃんの家庭のネグレクトを無視して、何ら積極的な対処をしなかったのだから。私は先生と鋭く目を合わせた。

「ま、まあその、なんや」

なんだ、まだ続くのかよ。ちょっと黙っててほしいんだけど。

「残念なんは、この分やと依夫と連絡を取る手段がのうなってもうて、『タイムカプセル発掘会』に呼べんようになってまうことやな」

*———— ————*

不登校になっている期間には昼夜逆転をする。

当たり前のことだと思う。午後5時くらいに寝て、午後2時くらいに起きたらまだ健康的である。それから、私はよっちゃんの家に向かう。するとけんちゃんもいるのである。私はよっちゃんのギターを聴きながら小説を書くのが好きだった。夏バテになり、銀杏の匂いに花をもぎ、肺が乾いて手が悴んでも、小説は書けた。よっちゃんの歌が私の心臓をあたためたからだった。よっちゃんが私をほぐして、私の小説が私を鼓舞した。だんだん、学校へ行ける期間も長くなった。周期はゆったり巡り、卒業する頃には私は少しは世界を信じられるようになっていた。

「よ! 待ったで」

安そうな防寒着に身をつつんだけんちゃんが1人で立っていた。

「よっちゃんは?」

「なんか、急に来られんようになったいうて」

「よか……」

家にいればよかったな、とよぎって、頭をふる。

「寒いんか?」

「なんでもない。……何持ってきたん?」

「俺はそろばん教室の大会で準優勝やったときのトロフィー」

「へえ、なんでなん」

「なんも考えてへんよ。つっちゃんは?」

「お酒入りのチョコレート。りんご味」

「なんでなん?」

「なんも考えてへん」

北風に乾いた匂いがのっている。学校行事には基本参加しなかったから、これが最初で最後のクラスでの共同作業。校庭の隅っこの方に移動して、土のやわらかいところを狙い定める。クラスリーダーが最初の一撃をした。他の生徒もそのスコップに続いていく。タイムカプセルを掘り起こす歳になるまでこの辺に住んでいるとも限らないだろうに——なんてことを考えながら、私も穴を掘った。まるで狐狸の遺骸をついばむ小鳥のようになって、私たちは直径およそ50センチメートルほどの窪みをつくった。先生が自腹で買ってきた(らしい)(学校の先生をするのも大変だ。だから虐待児童を放置するなんていうことになるんだろう)プラスチックの大きな箱をはめ込む。そして巣に卵を産む烏のように、いつか孵化する日を思って、みんなで「過去」を安置する。

いざ私もチョコレートを入れ、手放すと、よっちゃんの不在がひどく虚しいのをにわかに自覚した。

よっちゃんに私が感じた神秘性。その理由をいつか忘れ去ってしまうような気がする。人が恋しかったのだろうか。六弦指板の音が憂う。雨のようにしとしと、しかし激しい彼の熱に浮かされていたようだ。だから、やっぱり、よっちゃんには来てほしかったなあ。なんて、蓋が閉じられる瞬間には「たとえば」を思う。夢のような話。よっちゃんが何を埋めていようとも、私はいつか、それを掘り起こして咀嚼するだろう。「あの頃」に戻って好きな歌を歌うのだ。そして一緒にチョコレートを喰らう。アルコール入りにしたのは、そんな将来設計に、大人の刺激という幻惑を求めていたからだった。そんなことは、けんちゃんには言えなかった。

卒業式の日にも、よっちゃんは来なかった。

*———— ————*

酒臭い過大な背中が去ってから、私はけんちゃんの小さな背中をつついた。

「なあ。タイムカプセル、覗きにいかん?」

「覗く、って?」

「掘り起こして、中身を」

一瞬だけ不審な顔をする。

「なんで?」

「なんかさ……よちゃんって、行動が読めへんところあるやんか」

「まあ……言いたいことはわかるで」

「せやからさ」

それは、私がここに浴衣で立っているのと同じ理由。同じ予感。

「なんか、あいつ1人でも埋めてる気がする。勝手に、自分で、1人で」

1度外れたというのに、私の言葉は「予感」に強く後押しされていた。そして、しまった、と思う。こんなすっとんきょうな考え、いくら友人といっても、唐突に話てわかってもらえるわけがない。ひかれる。河原の涼しい空気が私の肝を冷やしていた。

「ふうん」

しかし意外にも、けんちゃんのリアクションは冷静だった。

「……そんな怖そうな顔しやんとってくれや、つっちゃん。俺は嬉しいんやで? つっちゃんにとって俺は、そういうすっとんきょうなことを臆せず話せるくらい、信頼できる奴になったんやなって」

安らかだった。つられて私も安心した。

「ほな行こか! ほんで、もしまだよっちゃんの分が埋まってへんかったら、俺たちで勝手になんか埋めといたろ! 何がええやろ」

「せやなあ」私の心臓は懐かしい熱を帯びた。

「原稿用紙でも入れとこか」

「きしょ。おもんな」

*———— ————*

 うぐいすが鳴いた。
 ゴミになった制服。
 即興の火葬場の夜に舞う灰燼かいじん
 ぼくの卒業証書。
 流れる理由も忘れた涙がぼくの後悔の海かもな。
 これは、儀式だ。
 貪欲な顔で待っている過去はもういない。
 ぼくは、喰らったのである。
 喰らい尽くしたのである。
 ……そうだよな?
 そう気取っていたいな。

*——Defeated you——*

もしタイムカプセルになんの異変もないのなら、よっちゃんはもう金輪際、帰ってこないのだろうと思った。「逃げぐせ」に侵されていた私には、「いなくなった」人間というのは基本的にはもう古巣に顔を出さないものだとしか思えない。だから頭ではもう一生よっちゃんとは会えないのだろうと考えていた。それでも今日ここに来て、いま校庭へ向かっているのは、根拠のない予感にしがみついてしまう女々しい夜の私の根性のせいだった。

今でも愛おしいあの頃に、今も戻りたい。今も、今でも。

貪欲な呪いのような後悔と、訣別けつべつしなければいけないと思っていた。

私は期待を抱きつつ、諦める理由をつかむために歩く。

「着いた。久しぶりやなあここも」

夜闇の校舎を、花火が断続的に照らす。ひゅー、どーん、ぽろぽろ。雨も降っていないのになんだか嵐の中にいるかのようだ。けれどもなんだか悪い気はしない。だって、雨はなんだか好きだから。

そういえば、どうして私は雨が好きなのだろう。

思い出せない。なんだか気色悪いので、なんとか思いだろうとする。校門をくぐり、けんちゃんについていきながら辺りをきょろきょろ見てみる。しかし思い出せない。好きなものを好きである理由を忘れてしまうだなんて。この虚しさを言語化しなければいけないと思った。

「——きっと、時間は全てを『解決』するんやなくて、全てを『解除』すんねやろな」

ぼそっと呟いてみる。けんちゃんには聞こえなかったようだ。

そうだとも。

時間は全てを解除してしまう。あの日々の楽しさも、慰めを必要としなくなるような明るさも、初めて信じられた優しさも、恥知らずな笑顔も。すべてが剥がれ落ちて、忘れ去って、いつか、たとえよっちゃんと街で出会っても、なんとも感じられないような私になってしまいそう。

あれ。私は忘れたいのか、忘れたくないのか、どっちなんだ。

「ここや! 俺たちが掘ったとこ」

違う。どっちつかずな「今」が私は嫌なのだ。意味を見失い、すがりつこうとして有象無象に沈んでいく、腑抜けた大人になっていくのが怖いのだ。

「……たぶん」私は進むことにした。「そのへんにスコップ立てかけてあるやんな?」

「おう、とってくるわ」

まだ、予感は息巻いている。

 花火が背後で鳴り響き、私の影を校庭に落とす。
 影は掘っている。
 穴を掘っている。
 負けるわけにはいかないのだ。
 私は勝たなければいけない。
 私は、過去を喰らわなければいけないのだ。

なんのことはなく、プラスチック製の箱は露出した。けんちゃんが感傷にひたろうとするのを待たず、私は蓋を持ち上げる。

大きいとも小さいとも言いづらい箱の中には、クラスメイト30余名の部屋から持ち込まれた大小様々な品物がごろごろ入っていた。その一角に、私の酒入りチョコレートの小袋と、けんちゃんのトロフィーとが隣り合って詰められている。

開けてみてから思い至った。そういえば、私はクラスメイト全員の入れたものを把握しているわけでも、箱を閉じられる瞬間を見ていたわけでもない。それでは、もし後からよっちゃんが何か追加していたって、わかりっこないじゃないか。しくじった。けれどももう後戻りできない。なにか、どこかに違和感はないか。注意深く観察する。

「これ、卒業証書やんな」

私は箱の中央に堂々と横たえられた、高級感のある黒色の筒を指差して言った。この学区の小学校のものだった。

「変やない? わざわざ中学卒業のタイムカプセルに小学校卒業のをさ。めっちゃ思い入れがあるとかなんかな」

「いや、つっちゃん。多分それやで」

けんちゃんは私が初めて見る表情をしていた。

「俺も驚いてる。けど、そんなもん入れたやつはあの場にはおらんかった。つっちゃんのカンが正しいなら、それがよっちゃんの——」

話を聞き終わる前に私はその筒を取り出した。蓋を外した。中身を出そうと手のひらにむけて逆さに振ってしまった。

その動きにはあまりにも感情がない。

ごろり、白くて冷たい、軽い塊が数個手のひらに乗って、そのうちいくつかは落ちた。あとを追うように、さらさらと大量の白い砂が降りてくる。いや、砂というよりも、それはむしろ粉だった。固まる私たちの視野、聴野、鈴虫の声、煽り立てている。焦り。

「なんや、これ……」

左手に溜まったその粉を、右手の人差し指で軽く押してみた。まるで校庭に白線を引く石灰のような、ごきぅ、という触感がした。

ぱっと視界が明るくなる。けんちゃんがスマホのライトで私の手元を照らしてくれた。

大きな塊を注意深く観察する。

次のけんちゃんのひとことが無くとも、私はもう理解していた。

「それ……骨ちゃう?」

ひゅー、どーん、ぽろぽろ。花火がひとつ、またひとつと打ち上がっていく音は、私たちの引き戻せない時間を克明に刻む針の音だ。脳を支配するカウントダウンは、鈴虫の声をかき消した。

なんだ、これは。

この手にもたれる塊は、明らかに、こう、魚とか、猫とか、そういうのの大きさを残念ながらしていない。

悪い可能性は真っ先に思いつく。そしてこびりつく。

これは人の骨だ。

——だとしたら、どうしてここに埋めておく必要がある。骨を処理するなら、近所の神社の林にでも捨てればいい。近くの千里川にでも流せばいい。それなら、しらんけど、たぶん見つからない。しかしこれはタイムカプセルだ。いつか必ず見つかるのだ。

だいいち、人ひとり分の骨がこんなに少ないはずはない。卒業証書の筒に入り切るはずはない。ということは、残りの骨は別の方法で処理されているはずだ。ますますわからない。なぜこんな隠し方をする。タイムカプセルというものに、よっちゃんはどんな意味を見出していたのか。

う。

「つっちゃん、つっちゃん! おい、大丈夫か!?」

気づけば吐いていた。

それは、人の遺骨をいきなり手にとるという常軌を逸した様によって、気が動転したのももちろんあった。しかし、私の胃袋を直接ひっ掴んだのは、よっちゃんがこのタイムカプセルに見出した「意味」のかけらが、ほんの少しだけ脳裏によぎったからだった。

ぴしゃぴしゃと、生きた人間からは普通発せられないような嘔吐音が校庭に沈んでいく。いつのまにかけんちゃんが背中をさすってくれている。脳みそを吐き出すような、あるいは吐瀉物が脳に逆流してくるような、夏の暑さで、世界のコントロールがきかない。

「これ、さ……」

私は思考を1人で抱えているのが無理になった。

「よっちゃん……の、両親……ちゃうかな」

けんちゃんの手が止まる。止まって、ようやく私は、けんちゃんの手も震えているのに気づいた。

「そ、それは……」

しかし私はこのとき、けんちゃんをおもんぱかるほどの優しさを持てなかった。

「あいつ、端的に言ってネグレクトされとったやんか。だから僕らはよっちゃんの家に入り浸れた。そんで、『両親が蒸発して連絡がよう取れんようになった』んやろ? 辻褄つじつまうてまう」

「やめてくれ」

けんちゃんの手が私の背中を離れた。

「それ以上は、俺も吐いてまう」

そうだ。私がよっちゃんと仲良くなるよりもずっと前から、けんちゃんはよっちゃんと仲良くしていた。私などよりよほど動転しているはずなのだ。

「これ以上はちょっと、俺もケアできひん」

私のエゴのために、ひとを無碍むげにしている。

申し訳ない気持ちが吐き気をすっと引かせた。

「ごめん……」

無理とか言うな。考えろ。考えろ私。

もし、タイムカプセルに入れるという行為に意味があるなら。

よっちゃんが親御さんを、……殺したのか、あるいは勝手に死んだだけなのか、わからない。わからないけど、もし、その死の証明を、あたかも「卒業証書」のように未来まで保存しておくことに、意味があるなら。

——それは重い。こんな矮小な私の手に乗っていられるような、軽々しいものではない。

私の、よっちゃんに会いたい、というエゴがよっちゃんの思いを無碍にしたのだ。

厭な沈黙。花火がまた光り、骨に私の影を落とす。

ひゅー、どーん、ぽろぽろ。

——私は、過去を喰らわなければならない。

過去を喰らうために来たのだ。

「つっちゃん……? なにを……」

私はタイムカプセルから私のチョコレートの袋を取り出し、ついで骨の塊を全てチョコレートごと袋に詰めていく。多少砂が入ったって気にしない。塊、と言えるものは全て入れる。そしてよく揉んだ。まるで心臓を直接鷲掴んで心肺蘇生でもしているかのように。チョコレートと、そのアルコールと、骨の塊をよく馴染ませる。

そして、そのへんにほっぽって、タイムカプセルから鈍器のようなものを探す。

あった。何かのトロフィーだ。使える。

「それ、俺のそろばんの」

鈴虫の声ももう聞こえない。

骨とチョコを、袋ごと、鈍器で思いきり叩きつけた。

どーんと遠くで花火が鳴った。確実にカルシウムが砕けていく感触。ひゅー、腕をもういちど振りかぶる。どーん、私の影が校庭に落ちる。ひゅー、どーん、ぽろぽろ。ひゅー、どーん、ぽろぽろ……

袋をひろう。

もう1度よく揉みほぐす。

袋を開ける。

甘美なアルコールの匂いが漂ってきた。いちおう、これくらいなら未成年が食ってもまあ違法ではないはずだ、なんてどうでもいいことを考えていた。

「つっちゃん」

「けんちゃん。せめて僕は、これを『なんとかしない』と」

よっちゃんの思いを無碍にした償い。

今更、手が汚れるのを躊躇した。袋の口を私の口に重ねて、「それ」を、私の舌に乗せる。

よっちゃんの歌が流れ落ちてくるような、きつい匂いがした。

 愛した理由も忘れちゃって、
 過食気味の胸で泣いちゃって、
 肌の色すら、見えなくなっている。

 自分だけ傷ついたつもりで、
 悪いのは誰かだと思って、
 足が抜け落ちたのも、気づかない。

だんだんと、鈴虫の声が聴野にもどってくる。

 夢や希望はなんだった?
 やりたいことはこれだった?
 過去が僕らを待っている。
 貪欲な顔で待っている。

 侘しさも、悲しみもなければ、
 夜が死ぬたび歌なんて歌わなかった。

ひゅー、どーん。

 あなたの笑顔がここにあるなら、
 諦めなんてしなかったんだ。
 あなたの言葉を思い出すから、
 慰めなんていらなかった。
 生きる意味ばかり思い出すから、
 優しさを常に疑った。
 あなたの涙を見て笑えたら、
 今更恥など知らなかった。

ぽろぽろ、酔いが覚める。

 ウグイスが鳴いて、
 破り捨てた卒業証書が、
 夜空になって舞ってった。

 過去を喰らい尽くした。

ぼう然としていた。

終わってみると、意外と冷静だ。

「……ありえへん」唐突に、けんちゃんの声がした。「っ! ごめん、変なこと言うた」

このときの私は意外と自分がアルコールに弱くて、普段よりちょっと素直になってしまうタイプであることをまだ知らなかった。

「ありえへん、って、何が?」

けんちゃんの顔が青ざめる。よくみると、口をうっすら開けたまま、肩を上下させている。

「けんちゃん、大丈夫か?」

私は立ち上がって、けんちゃんをさすってやろうと手を伸ばした。

手は、はたかれてしまった。

「え?」

けんちゃんは何も言わない。

「こ、これは、その、よっちゃんはきっと、すごい考えがあってここに骨を隠していたはずで、せやけど、僕がそれを勝手に掘り起こしてもうたから、よっちゃんの計画をきっと僕が台無しにしてるはずやから、そんで、えと、だから僕がせめて証拠隠滅いうか」

「黙れ」

けんちゃんと寸分違わず目が合った。

瞳の揺れ方は怯えのようで、私には、その怯えの先がわからない。

「頼むから……喋らんといてくれ……」

防衛本能が怒りを招く。素直であるとはそういうことだ。

「けんちゃんはさ、『陽キャ』やからわからんのやない?」

ちろりと睨みつける。けんちゃんは「へ?」と少し脱力した。

「僕みたいな『陰キャ』とちごて、『歪んでない』から、『普段から素直』やから、わからんのやないの? 僕のいうてることが——よっちゃんの思いが」

「はあ?」

防衛はまた防衛を呼ぶ。

「おまえ、おまえ……」

鈴虫の声がけたたましくなるのを感じた。

「頼むわ、つっちゃん。俺の、どこが『普段から素直』って、『歪んでない』って……。勘弁してや」

独り言であるかのように、「つっちゃんなら、もういいかな、っておもてたのに」と目を逸らす。

「ヤングケアラー、って聞いたことないか? アダルトチルドレン、とかさ。家族の機嫌を取るための行動が、俺には染みついとって、で、そんで……」

そこにいる人間が、私には、けんちゃんには見えなかった。

「——俺が、『陽キャ』やって?笑」

けんちゃんの目がまた私の目をみる。

怖い。

「おまえさ……、ほんまに俺が陽キャやったら、おまえらみたいな陰キャとつるむわけないやん」

は?

「俺は! ……俺は、こんな性格やから、マジモンの陽キャとは相容れへんし、マジモンの陽キャとつるむと『アダルトチルドレンのしぐさ』に『つけこまれて』搾取されてまうんよ。疲れるんよ、人と関わると。せやから、自己主張の弱い、どー足掻いたってつけ込まれやしない、俺がただ家族にするみたいに優しくしとったらそれで仲良くいられるような陰キャとしか関われへん。そういうことなんよ。それに、いつか俺のほんとうの気持ちを分かり合えるかもしれへん、っていう期待も、おまえらにだけは感じられたんや! そんで——」

「ごめん」

もう嫌になって、肩を突き飛ばしてしまった。

「重いわ」

けんちゃんの体は校庭の夜闇に墜落して、

ひゅー、どーん、ぽろぽろ。

鈴虫の声に照らされる。

りんりん、という、いのちの逃げていく音がした。

*——Give me——*

あのときに書いていた小説。

結局まだ書き上げていない小説。

どうして書き上げていないのかというと、私のオリジナル小説のはずなのに、あんな歌を聞かされた後だと、よっちゃんの二次創作みたいになってしまいそうだからだ。

ある海域に人魚が生息している。その人魚たちは、集落ごとヒトから身を隠している。

主人公は浜辺で魚を貪っているところを、ヒトの少女に目撃された。ふたりは恋仲になる。しかし、ヒトとの接触を認めない村長は、部下たちをけしかけ、恋人を無理やり溺死させた。そして未練を断たせるため、主人公に、恋人の亡骸を喰うように強要した。

それは人魚族の儀式だった。恋人を喰うと、主人公の鱗は1枚、また1枚と生えて層をなす。古い鱗が剥がれ落ちる。剥がれ落ちた分だけ、主人公は復讐を誓う。

そして主人公は新たなバディと共に、村の体制を打倒する。「革命」という新たな罪を背負った主人公は村長に成り代わって、集落の「ヒト」との向き合いかたを模索した。

自然と、鱗はどんどん増えていく。しかしどうして、鱗は剥がれ落ちてくれなかった。主人公の体は際限なく、青く、美しく、肥大化していく。

ある日、ひょんなことから、主人公を巨大な不幸が襲う。そして主人公を庇って、バディが死んだ。

主人公は海と化した。

書けているのは、まだそこまでだ。

——私は歩いている。

道を歩いている。

どこにいきたいわけでもない。

どこにもいきたくないし、どこにもいたくない。

夜風にあおられて、酔いが覚めるのに従って、ぐるぐると、思考がとめどない。

そうか。ここは海だ。

地に足など着かない。

とうに抜け落ちていたのに、私は今さら気がついた。

あなた自身が、過去だった。

そして私が、あなたの過去だった。

貪欲な顔で待っていた。

喰らっただなんて、大嘘つきじゃないか。

喰らわれたのは、私の方だ。

海と化した。打ちのめされたのだ。

私は、あなたの過去なのだ。

そうだろう。

今、この瞬間ですら。

私は、あなたを待っている。

引きこもりだったからだろうか。大して歩いてもいないはずなのに、全く見たこともないところに来た。なんだかパラレルワールドにでも迷い込んだかのよう。

いけない。本格的に酔いが覚めてきた。血の気がひけてくる。とんでもないことをしているな、私は。遠くにうっすら聞こえる花火だけが、現実性の遠吠えを打ち上げる。鈴虫の声だけが、変わらず鎮座している。りんりん、りんりん、呼び声に誘われ、とぼとぼ、歩く足だけが動いている。

「——反抗期だと疎まれた子供たちは復讐に走り」

その声がかそけく響いた刹那から、記憶に自信が無い。

それが現実だという自信が無い。

「——意味にすがる腑抜けた大人たちは歌を歌いたがる」

私は走った。千里川の流れを置き去りに、住宅街を切り裂いて、声の鳴る方へ。

「若さを強いて貪る惰眠。気づけば爪が剥がれ落ちる」

街で出会って、夢のような話を紡ぐ。

夢でもいい。現実じゃなくてもいい。

笑えなくなってもこのさいかまわない。

「雨が好きだった理由も、好きな歌も忘れ去った」

川のほとりの神社の敷地、鳥居の向こう。あの日々の記憶と変わらぬ、おぼろげな服を着ていて。

「——待っとったよ、つっちゃん」

そこによちゃんは居た。

照らす月光と微かな火花に浮いて、その顔は私にはよく見える。

私の欲望を反射するような、貪欲な顔をしていた。

「筒、持ってきてくれたんや」

いろいろなセリフが浮かんでは沈んで、可能性が渦をなし、口が追いつかない。何も話せない。あっ、あっ、と、念のため処分しようかと両手に握っていた卒業証書の空筒を、くい、くい、と動かすくらいしかできない。

「そっか……開けたんや。なら、もう見たんやね」

体に緊張が走り、「ごめん!」と、初めて声が出た。するとよっちゃんは嬉しそうに「やっと喋ってくれた」と微笑んだ。

「こっち来てや」

手招きに導かれ、私は恐る恐る歩みを進める。

相変わらず声は抑揚がなくて、けれどもその様はまるで言霊の化身であった。鳥居をくぐると、よっちゃんはニヤついた。

「その筒を処分するために、ここまで来てくれたん?」

するとようやく、私も私の意思で口を開けられた。

「そう。けどなんか、呼ばれてたような気もする」

「そか」

砂利を踏む、ざ、ざ、という音が、巻き戻る私たちの間の秒針を成している。

「まさか来てくれるとは思うてへんかったわ」

抑揚に出ないからわからないが、よっちゃんの方もどうやら驚いているらしかった。

「予感、がしたから」

私も応答する。

「希望、やったけど」

「ぼくもそうや、つっちゃん。ぼくらは、またどこかで邂逅する。こういう夜に、こういう街で! そんな希望と、予感がしとった。せやからここで待っとった」

会話のテンポが上がるたび、秒針が刻む距離も縮む。

「ただいま、つっちゃん」

よっちゃんは私を抱擁した。

肉の塊を抱いたのは初めてで、人間じゃないみたいだ、なんてことを思った。

「後悔しとる? 箱を開けて、中身を見て」

私の耳元の声は、抑揚がなくとも、私をからかっているのだとわかった。

何ひとつ怖くなかった。

「だって、僕はよっちゃんの計画を、多分、台無しにしてもうた」

「そんなことない」

腕を解いて、よっちゃんが私の顔を見て、言った。

「ぼくは、あの骨が見つかるなら、つっちゃんに見つけてほしいと思うとった。せやからあそこに埋めたんや。つっちゃんは、なんにも台無しになんかしてへん。つっちゃんは何も悪くない」

するとよっちゃんは私を離れて、境内の端、川端まで歩みを進める。

「骨、あれだけとちゃうやんな。残りはどないしたん?」

「この神社に埋まってる。多分あと100年は見つからんやろな」

「そっか……」

「つっちゃん、ちょっとおもろいな」

川を背に、よっちゃんが立ち止まって、

「なんで? とか、聞かんの?」

どーん、と、遠くで花火が鳴った。

「そら、デリケートな話かなって」

「そんなことあらへん。ぼくはつっちゃんに見つけてほしかったんや。つっちゃんになら、ぼくのキショいところも見せられると思うたからそうしたんや」

「でも、ネグレクトされた子が親を殺すって、そんな変な話とも思わんし」

「わからんやん? 何にでも人の数だけワケがある。殺意には個性がある。——それに、」

くそめんどくさい会話なのに、楽しくてしょうがない。

「なんでつっちゃんは、あの骨を『親』やと決めつけとるん? もしかすると、あれはぼくの骨かもしれんのに」

よっちゃんはわかりやすく笑った。唖然とする私を見て。

「ぼくは、つっちゃんに見つけてほしかった!」

呼吸が整うと、「さて」と、顔をあげて私の目を見る。

「ぼくらは、『過去』と訣別するための『儀式』を済ました。ぼくらは未練を断った。つっちゃんはぼくと再会した。過去を、喰らったんや。あとはこれからどうしたいか」

よっちゃんは私に手を伸ばして、

「ぼくは、歌を歌い続けてんねん。つっちゃん、一緒に来やん?」

微笑みかける。

*———— ————*

肌の色すら観測できないぐらぐらの思考で、今の私には、2つの可能性が重複している。

よっちゃんは、親を殺すなり、親に殺されるなり、どちらにせよ彼なりの儀式を経て、過去と訣別したらしい。そして、私はよっちゃんの過去を喰らった。私たちの邂逅は、私たちが貪欲な過去の渦巻くこの世界に固執する理由を滅却した。

しかしどうしてだろう。よっちゃんと一緒に行きたい、という可能性と同じくらい、まだここに留まっていたい、という可能性もまた強い。

私はいったい何を待っているのか。

「つっちゃん?」

どうしたの? という面持おももちで抑揚のない声が投げられる。

「よっちゃんは、結局、なんで僕やけんちゃんに、何も教えてくれへんかったんや」

面持ちから感情が引っ込む。

「親のネグレクトが耐えられんくて、けんちゃんに甘えるように仲良くなって家にまで上げてた。けど、けんちゃんってちょっと過保護やん。ネグレクトが嫌だったわけやから、はじめのうちはそれくらいが心地よかったんやけど、なんか、結局苦手になってもうてきてな」

「……」

少しだけ考えた。

「ほんまにそれだけか?」

彼の神秘性を打ち砕くように、私は体に力を入れた。

「ちゃうな。そもそも、僕も、よっちゃんも、過去を喰らってなんかいいひんのやない?」

少し驚いたようなよっちゃんの目。

「僕たちは、過去を喰らったって自分に言い聞かせたいから、儀式をしてただけなんよ、きっと。そう思い込みたいだけなんよ。現実の今が暗く悲しくて、記憶の過去が眩しく楽しくて、あの頃に戻りたい、って思ってしまうから。このままやと、過去にとらわれてしまうんとちゃうか、って怖いから。そうなってしまう前に過去と対決して、過去を喰らおうとしとるんよ」

けど、と私は歩みを進める。よっちゃんに、もっと私の声を聞いてほしかった。

「僕らを喰らってしまえるほど過去がこんなにも強大なのは、僕たちのその恐れが、過去を実際より美化するからなんや。僕らが今を恐れれば恐れるほど、過去はどんどん美しく、強く、貪欲になる。そんで、過去を喰らおうという『儀式』の瞬間や。その瞬間、僕らの過去は最も肥大化する」

よっちゃんの目が人間の目に戻っていた。その視野の中に私がいるのがたまらなく嬉しかった。

「つっちゃんは小説家やね」

「やかましいわ。実際そうやんか。まるで酒を飲んだら酒に飲まれてしもうたみたく、僕も、よっちゃんも、過去を喰ろうたつもりが、過去に喰らわれてもうてる」

だから、あなたは私を観測しているのだ。

「僕たちは、よっちゃんは、過去に打ちのめされてんねん。訣別なんかできひんのに無理やり訣別しようとするから、大仰な『訣別の仕草』をしてまうんよ。『儀式』の真相はそれや。なに、つっちゃんは、けんちゃんが苦手になった、ただそれだけで僕らと距離をとった? そんな強がりは通用しいひん。よっちゃんは大嘘つきや」

十分に近づいたよっちゃんの躰を、ぐゎ、と、私の腕がはがいしめにした。

「……なら、」よっちゃんの声色はすっかり神秘性を失っていて「ぼくはどうしたらええ。どうしたら過去と訣別できる」

「よっちゃん……」

私が何を考えていたのか、覚えていない。

何を言ったか。何をしたか。それしか思い出せない。

「過去を喰ろうたりなんか、無理にせんでもええんよ、よっちゃん。よっちゃんが僕の過去で、僕がよっちゃんの過去や。それでええやんか。僕らは、過去に喰らわれて、誰かの過去になって、誰かを喰ろうて、そうやって未来になっていく。そういう生き物なんや、僕らは」

「せやけど、ぼくは」

「怖いんやねえ。いつでも待ってくれている過去とちごて、未来が待ってくれとるかどうかはわからんもんな」

よっちゃんの体が確かにあついのを私は感じ取る。

「罪の意識がきっとあるんやねえ。それは家族に? けんちゃんに? 僕に? あるいは、よっちゃん自身になのかもしれへんね」

「ぼくは……ぼくは、逃げたかったんや」

「知っとるよお。けど、僕は逃さんかった」

「ひどいわ、つっちゃん」

「僕はよっちゃんのことをひどいとは思わん。せやから、よっちゃんも僕のこと許して。そんで、ほんまは何をしたいんか、教えてくれへんかな」

「ぼくは」

*———— ————*

 心に響くのは物ばかり。
 それなのに人が恋しくって、
 あなたへの気持ちだけ今も終わらないんだ。

 例えば僕らが街で出会って、
 夢のような話を紡げたら、
 あなたと僕は笑えるだろうか。

 画面の中であなたに会えたら、
 思い出すのは後悔ばかりだ。
 今でも愛おしいよ。
 あの頃に今も戻りたいよ。

 こんな大人で我慢できたら、
 苦しみなんて知らなかった。
 言葉で全て解決するなら、
 ここまで涙は出なかった。
 あなたが頭で渦を巻くから、
 今もこの朝が嫌いだった。
 大人になるのが怖かった。
 強くなることが怖かった。

 ウグイスが鳴いて、
 ゴミになった制服が、
 夜空になって舞ってった。

 過去を喰らい尽くした?

*———— ————*

ぷつん、と起き上がる。私は病院のベッドにいた。

さんさんと、真夏の太陽が窓辺に差す。私の服は患者衣にすり替わっていて、ひどい頭痛がする。

「つっちゃん! ようやく目ぇ覚ましたか」

右耳から入る元気そうな声に、反射的に振り向いた。そこには頭に包帯を巻いたけんちゃんがいた。

「けんちゃ——」

「でかい声出さんでええ。まだ体も痛むやろ。千里川から大阪湾まで流されて、肺も海水満タンの状態で救助されたんやで自分。無理すんな」

2、3度、目をぱちくりしたあと、あたりを見回してみた。

「誰もいいひんよ。俺とつっちゃんだけや」

いつも通り、けんちゃんはエスパーのように私の心を読んでくる。

「けんちゃん。なんか、ほんまごめん。色々」

「……安心し。誰にも何も言うてへん。俺が1人ですっ転んだってことにした。カプセルも埋め直してる」

けんちゃんに促されるまま、私はベッドに横たわる。

「俺こそごめんな、つっちゃん」

けんちゃんの声色が変わった。あの夜にはじめて聴いた色に似ている。けれども、まだ偽っている色だった。その偽りには覚えがあった。先ほどの、よっちゃんのと同じものだ。

「俺、つっちゃんにいろいろ求めすぎとった。これからは、俺独りでも生きていけるように努力するわ」

「そっ……か」

よっちゃんと奏でた幸せな脳内が、すぐさま、けんちゃんへの申し訳なさに置き換わる。しかし、かける言葉がみつからない。立ち上がって身支度をするけんちゃんを、私は見つめているしかない。

「……あー、じゃあ、せやな。あのあと何があったのかだけ聞いてもええか」

けんちゃんは優しすぎるのだ。わがままをひとつ聞かせることで、私に罪滅ぼしをさせようという算段なのだ、とすぐにわかった。その優しさを育んだものが何なのかを考えるとまた苦しいのだが。

私は話した。曖昧で自信がない記憶のかけらをつなぎ、よっちゃんとの邂逅を話した。

けんちゃんは何も言わずに聞いていた。表情を崩すこともなく。息を荒げることもなく。まるで何事もないかのよう。私はさながら学校での出来事を話す子ども。けんちゃんは、その相手をする親だった。

あのあと、よっちゃんは私に何を求めたのだろう。私はそれに、どう応えたのだろう。川に流れて、海に沈んで、私とよっちゃんは何を得ていたのだろう。

わからないけれども、確かに戻ってきた心臓の鼓動が、私に語りかけているような気がする。

生きろ。と。


話し終わると、「ありがとう」とだけ言って、けんちゃんは立ち上がった。

病室から出ていく間際。

「けど」

私は貪欲な顔で言った。

「僕は、幸せやったよ」

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過去を喰らう(Defeated you)Give me
原作:カンザキイオリ(過去を喰らう / 海に化ける ほか)
作:紀まどい

この小説は、第1回Observer Effectにおいてサークル「蓮根の回転について」から頒布された、二次創作小説アンソロジー「これからの神椿を生きるための12の小説」に収録された拙作を、加筆修正したものです。

今回同時に関連楽曲のカバーも制作しています。


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