見出し画像

反まにまに主義

 台風が過ぎ、ようやく警報が明けたので、私はその村に向かった。山上ジャンクションから村を一望できた。北関東海岸の、山と海に挟まれた漁村。晩秋、早くも雪が降っていて、ゲレンデから見下ろすような景色だった。

 サービスエリアで休んでいた時、ふと思考がもう一段進む。ゲレンデ……?

「ずいぶん木が少ないですね。禿山じゃないですか。ソリで滑っていけそう」

「あぁ、この村のやり方なんです。ほら、あそこ」

 今回お世話になる民泊のおじさんが、少し下の方を指し示した。フードコートから、分厚いガラス越しに見やる。

「船、ですか?」

 ヒノキ造り、明るい暖色の屋形船が、雪上に鎮座していた。

「神社です。離果為社りはていといいます。主神はイワナガヒメです」

「あぁ、あれが……」

 私が取材に訪れた理由、この村の『しきたり』の大元が、どうやらそれなようだった。


 イワナガヒメは日本神話に出てくるヒメの一つだ。美人の妹と共に、天皇家の祖先となる神に嫁がされた。しかし姿が醜く、イワナガヒメだけ追い返されてしまう。イワナガヒメの父は怒った。「そなたの活躍が永遠に続くように、という願いがあって、岩のように永い、という名の娘をそなたに与えたのだ! 追い出すのなら、そなたは『永遠の命』を失う。いつか、ふつうの人間と同じように死ぬだろう! 子々孫々ずっとだ!」と。それ以来、天皇家は神の子孫でありながら、ヒトの寿命を持つようになった。

「そのイワナガヒメを祀る我が村には、容姿の醜い女をもらった男は、ガマンの代償として『永遠の命』を取り戻すとの伝説があります」と神主が説明を〆める。

 取材のペンが止まる。いけない。私はこの村に、ある種スパイ的に潜入取材するために来た。今は我慢だ。質問を続ける。

「それで、具体的にどのようなことがこの村では行われているのですか?」

「たとえば、自分の娘が不細工だと思った父親は、お社へ参り上がって、おふだをもらってくるんです。それで娘によく言い聞かせ、お見合いの時とか、そういう出会いの場なんかでは、必ず持ち歩かせます。最近では、小学生の娘のランドセルに付けさせる親もいますね」

 むしろ不思議になってくる。取材に応じている彼の表情に、なんの動きも見られない。

「なるほどです。――本筋から逸れるのですが、今、神主さんは『参り上がる』という言葉を使いましたね。それは――」

「あぁ、普通の語彙ではなくて変でしたね。これは、お社が山上にあるのと、山の大部分がお社の敷地だからです。ほら、伐採されて禿山になっている範囲、あれが全部そうです。綺麗なお社が、村全体から見えるように、ということです。ま、役人からはたびたび怒られますが。雪崩が起きるぞ! とね」と、神主は初めて軽く笑った。


 夜、村の厚意で、宴会に招待していただいた。ちょうど漁師たちが帰ってくる日だったらしい。神主が祝詞を吟ず。


  な神のまにまに (神様に全てを任せるな)

  雪山つくづく  (雪山は本当に)

  かしこかれ   (おそろしいが)

  粉雪奏して   (曖昧なことを神に申し上げて)

  な逃げかし   (逃げるなよ)

  雪山月々    (雪と山と月と月)

  な泡となりそと (「消えてしまうな」と)

  果離れ     (自由になる)


 山麓の村民会館、すぐ近くに漁村が見え、ガラスの大窓をいただく広い和室に、水揚げされた新鮮な海の幸が並ぶ。夜の海に光る漁船の郡灯を眺めながら、男たちに名刺を配り、取材を進めた。皆、村の『しきたり』には納得しているし、むしろ、娘を容姿差別から『護る』ものだと誇っているらしかった。

 一人の漁師の話が印象に残っている。かつて山から切り出した木材を売って儲けていたが、環境対策のため規制が入り、やむなく漁師に転向したと彼は語る。暮らしは零落し、しかも、遠洋漁業をするので、長く家族と離れていた。今日、ようやく再会できるそうだ。

 彼に名刺を渡したあと、海を眺めた。あんなに明るかった漁船の灯りが、ぽつりぽつりと消え、暗くなっていった。この灯の一つ一つに、私の想像力では追えないドラマがあると思うと、世界が分厚く思えた。世界の分厚さ。私が壊そうとしている、社会の『はたらき』。私の筆ひとつで押しのけられるものか、と不安になったりもした。漠然を漠然と酒で制し、夜もふけて、午前三時、ようやく宴会が終わると、民泊に戻った。管理人さんもどこかへ出かけて、一人、この記事を書いている。


 ここまで書いたところで、私の部屋に、一人の女の子がやって来た。中学生くらいの、そばかすのかわいい、純朴そうな子だ。

「どうしたの? 私になにか用?」と聞くと、「この村のこと、書くの?」と聞き返される。

「名刺見た。東京のネット記者さん。この村の『しきたり』について書くの?」

 建前を言って潜入している以上、隠そうとした。

「それに限らず、この村のいろいろなことを記事にして、観光の助けに――」

「私、この『しきたり』嫌いだよ」と話を遮られた。「私、期待してる。あなたがこの村を壊してくれるんじゃないかって」

 荒ぐ息を押さえたような声と共に、胸の前で握られる彼女の拳には、『おふだ』があった。

「このしきたりの何がおかしいのか、おじさんたちはわかってくれない。みんな『君のような子が食いっぱぐれないんだから良いじゃないか』って誤魔化してくる。それか、父さんが失業したのを持ち出して『ただでさえ辛いだろうに、教育方針をすら否定するなんて不孝だ』とかって紛らわしてくる」

「君、あの人の……」と呟くと、距離を詰めてきた。薄暗い部屋、視界の中、彼女の瞳が唯一、つやりを散らす。

「ねえ、あなたはどう思う? 納得できる?」

 たまらず彼女の肩を掴み、素性を打ち明けようとした、その時だった。

 庭に面したふすまが、がっ、と引かれ、月明かりが差してきた。驚いて振り向くと、一人の少年の、青白に縁取られたシルエットがあった。

「名刺見た。あんた『ふぇみにすと』さんだ」

 焦りっぽい、怒りっぽい、そんな所作と声色で、ざっざっ、と寄ってくる。

「なあ、またあんたら都会のエリート様は、僕らの暮らしを壊すのか?」

「私のお兄ちゃん」と彼女が耳打ちしてくる。

「村のことマトモに知るつもりもない外野が勝手に手を出してきて、上手くいったことなんかないんだ。……わかってるよ、この村の方がおかしいってことくらい。あの神社がここに建ったのはたった五十年くらい前。本社から御神体だけ貰ってきて、村民がノリで造ったんだ。伝説もその頃の創作。伝統だなんて威張れるもんじゃない。あの祝詞、微妙にダサいのは素人がそれっぽく作っただけだから。『|離果為神社《りはてい神社)』も、英語のLibertyの当て字。可笑しいよな。ウチの家系が金持ちでいられたのだって、神主さんになる予定だった村の陽キャと企んで『村全体から見れるように切り倒すべき』って話をでっち上げたから。で伐採して売り捌いてたら、国から『ダメだよ』って怒られた。それだけ。僕らの不幸なんて、自業自得でくだらない。村の皆さえ本音ではそう思ってるよ。村八分にされてないだけ。皆のサジ加減でどうとでもなる。だから誰にも逆らえないし、逆らう権利もない。――これで満足?」

 一気に捲し立てられて整理がつかない。しかしすぐ、整理できていないのはこの子の方だと気づく。村を散々こき下ろしていたのに、いつの間にか自分の身の上話になった。そうでなくても、声色、身の振りよう、目に映る星のまたたきの儚さからも、彼も誰も精神的に余裕がないと丸わかりだった。

「けど、くだらなくても、僕らはほんとうに寂しかったし、暮らしてたんだよ。あんたが記事を書いたら、しきたりに関わらない普通の暮らしにすらダメージが行く。そのくらいわかってるはずだ。そんなダメージは正しさのもとに無視できると思ってるから、あんたきっと、ただ批判するだけの記事を書こうとしてる」

 膝をついて、視線を合わせ、語りかけてくる。

「都会の勝手でふり回されて、積み上げた暮らしにダメ出しされて、それで、消えてしまうんだ、僕らは」

 彼の目も、みずみずしい。雑光を反射して、私の視界に数点、ちいさな光点を浮かばす。宴会で見た船灯を思い出した。私の想像力なんかでは追えない――だとか思っていたら、向こうから私の眼前に来てしまったのだ。

「――勝手なことを。お兄ちゃんだって男だから、そんなことが言えるんだよ」

 彼女が口を開いた。

「そんなことない! ちゃんとお前のイヤな気持ちだって」

「わかってる? じゃあしきたり前提で回ってるこの村に、心から納得できるはずはないんだ」

 彼は黙ってしまう。その場が一気に静かになった。あまりに静かで、あたりの色々な音が聞こえた。波、風に笹が揺れ、遠くで車が去る。こんな静かな中じゃ、これまでの会話は外にダダ漏れだったろう。そんなことを考えていた。

「――少なくとも」

 私は敬意をもって言った。

「少なくとも、そうやって、世の中のこと真剣に考えて、悩んでる君たちが、大人たち――考えることをやめて、ただ子供にバトンを負わせるだけの大人たちより、ずっと、えらい」

 ふと、ひょんな考えがよぎった。

「お社、行ってみようか」


 虫のしらせ、というものの類だったかもしれない。私は二人を連れて民泊を出た。すると、近所に数人の村人が集まっていた。私たちの話を聞いていたらしだった。

「なああんた。うちの村に良い記事を書いてくれるからって言うんで、俺たち全部話してやったんだ。だから、約束は守ってもらわなきゃ――」

 話すと同時に、私の右隣にいた『彼女』に男の手がゆっくり迫っているのに、『彼』が気づいた。その手を弾く。「なんだボウズ!」と怒る男に、彼が吠えた。

「それでも、僕らの方が、えらいんだ!」

 走ろう! そう叫んだ。手を繋いで、村人を置き去りにして、ひたすら山へ走った。誰も追いかけては来なかったが、全て振り切ってしまうつもりでお社へ参り上がった。到着するまで、体感時間は零だった。

 ヒノキ色のお社に乗船する。屋形船は、船首側の屋形の壁が、参拝用の面になっていて、そこから中の御神体が見えた。小さな鏡。反射して、私たちもまた小さい。その後ろ、もっと小さく、村がある。

 私たちは祈った。二人が何を祈ったかはわからない。彼らの長い祈りに乗せるようにして、私も一言、頭の中で奏した。

 ――俗世を直視していますか。神のまにまに、それで、苦しくはないですか――。

 瞬間、山が泣いた。

 本当に泣き声が聞こえた。きゅるきゅると、姫子の泣き声のように聞こえるそれは、どんどん大きくなって、ごごご、という音さえ伴うようになる。そして大地から、ぴゅーっ、と涙があふれ出した。

「雪崩だ! 山雪崩やまなだれだ!」

 もうそれは始まっていた。未明、淡く広がる水平線へ、土石と雪とが濁落する。お社はもう何の比喩でもなく船だった。私たちを運びはじめた。振り落とされないよう、何かに掴まり、目を見開く。

 雪飛沫のとばりが上がった。薄紺の世界が白に透け、あやしく綺麗な世界の中で、私たちは滑り落ちていく。すぐ、そのまま船は街に乗り上げた。昔ながらな木造家屋は、ひとたまりもない。しゃーっと滑る喫水下、少し手前で一軒、また一軒、ふぁさりふぁさりと爆ぜる。木材のイルカが雪水面ゆきみなもに舞う。たぶん、人が死んでいる。

 次いで一点、また一点、海螢うみぼたるのような光が現れ、群を成す。見覚えある灯だ。雪崩を見た漁師たちが、逃れるために出港せんとしている、その船灯だった。気づいて一泊、ガクンと社が落ちる。海に差し掛かって雪が沈み始めたのだ。しかし船速、勢い死なず、雪崩津波はそのまま海螢を呑む。殺戮の銀世界。金属のひずみか人の叫びかも知れない残響。右手側で、左手側で、灯が一つ、一つ、沈んでいく……

 船が止まった時には、ずいぶん沖合にいた。半分泡になって残った雪の塊と一緒に漂流している。三人共々起き上がった。雪解け水と海水とで水浸しの甲板は、泣いた後の顔のようだった。足を滑らせないよう、船の端に寄って、村の方を見る。

 すべて、消えていた。

 空に橙色が顔を出し始めている。うっすら見える村の残骸。海に放り出された土。雪。朝日を反射さして妙にきらきらしている。壊れたのだった。視界に入るすべてが今や、泣きはらしたベッドの上か何かだ。

「――書かなきゃ」

 ふいに私は、そうつぶやいた。

「神のまにまに任せていたら、かわいそうだ」


 この小説は、私が高校三年生のとき、12月ごろに仕上がったものを、全くそのまま投稿したものです。
 大学生になってから作成した、前日談と後日談がございます。前日談は、てーしんさんのアンソロジー企画「朧光のカーテンコール」に掲載されているものです。後日談は近日中に公開いたします。お待ちください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?