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朝起きられない自堕落な大学生だった僕が、陸上自衛隊に入隊して任期満了して除隊するまで。

皆さんこんにちは、初めまして。
僕は萬路山(まんろざん)といいます。
普段はX(旧Twitter)などで地理や歴史、乗り物や近代建築、資格の勉強(基本情報技術者・ロシア語)などについて話しています。

この度、始めてNoteの投稿に挑戦しました。
初めて故お見苦しい点があるかもしれませんが、よろしくお願いします。

さて早速本題ですが、僕は大学生の頃に「学校に行けなくなる」という挫折を経験し、その後自分を変えたくて自衛隊に入隊したという経歴があります。
その時のことについてX(旧Twitter)に投稿したところ、意外とたくさんの方から反響を頂いたため、それならNoteにまとめてみようと思い、この記事を作成しました。

なお、この記事では、自分がどういう経験をし、どう思ってどういう行動を取り、その結果どう変わっていったか?ということに焦点を当てて制作しています。
「自衛隊は具体的にどういう訓練をしてるのかな?」ということが知りたい方は、駐屯地や部隊・地方協力本部などのホームページや広報動画、または他の方が書かれた記事をご覧ください。

大学新生活スタート!…と思いきや

ある年の春、僕は田舎町の高校を卒業し、東京の有名な私立大学へ進学する切符を掴み、大都会での新しい生活に胸躍らせ、下宿先に引越して入学の準備を進めていました。

そして迎えた入学式、ここまで育ててくれた母がとても喜んでくれたのを覚えています。
翌日から始まる授業のガイダンスに備え、早く床につきました。

そして朝5時にしっかり目覚め、いざ大学へ!



…行けませんでした。
最寄駅へやってきた満員電車に乗り込もうとした時、猛烈な目眩と吐き気に襲われ、ホームのベンチにグッタリと倒れるように座り込んでしまいました。

朝ラッシュが終わり、ある程度人がはけるのを待って、必死の思いで大学へ辿り着きましたが、ガイダンスは全て終了しており、学生課へ相談しに行くも「そんなこと言ってどうせ寝坊したんでしょ?そんな生活態度じゃやってけないよ?そういう学生はすぐに留年・退学してくよ。君はどうかな?w」と相手にしてもらえませんでした。

翌日はもっと早起きして駅へ向かいましたが、結局満員電車に乗れず、大学の一限に間に合わず、必修講義の履修登録ができず、その時点で留年するか退学するかが決定してしまったのです。

そんなことを繰り返しているうちに、気付いたら夜眠れなくなってしまいました。当然朝起きることもできなくなり、あっという間に昼夜逆転生活の罠に嵌ってしまったのです。

朝起きて学校へ行くという「当たり前のこと」ができない自分にイライラし、眠れず、起きられず…ということを繰り返していました。

僕は現実逃避に走りました。
あちこち出かけることが好きなので、大学とは全く関係ない方向の電車に乗っていろんな地域へ出かけ、地形の成り立ちを調べたり、その地域の歴史などについて学んだり、近代建築を見に行ったりして、取り返しのつかない現実から目を逸らしていました。

しかし、やがて因果はまわってきます。
夏休みを迎え、両親の元に前記の通知表が届きました。
「取得単位0どころか、どの講義も全く履修していない」という現実に、両親は言葉を失っていました。

僕はそのうち、希死念慮、いや明らかな自殺願望を抱くようになりました。
朝起きることすらできない、やるべきことが果たせない僕のような人間に、社会的価値なんてあるわけない。生きてる意味がない。いっそ死んでしまいたい。
ただ、どうせ死ぬならその時くらい人に迷惑かけたくない。電車に飛び込むなんてもってのほか。
どうせなら誰か・何かのために、白虎隊や特攻隊のようにカッコよく散っていきたい。

…日本のため、人柱になってやろう。

そう考えるようになり、元々ミリタリー系に興味があったことから、自衛隊への入隊を考えるようになりました。
「自衛隊に入って厳しい訓練に耐え続ければ、こんな自分でも変われるかもしれない」という期待もありました。
気付いたら、自衛官の募集を行っている「地方協力本部(地本)」という施設へ通い、いろいろと話を聞かせてもらったり、相談に乗ってもらったりしていました。

実は大学のカウンセリングセンターに通っていたのですが、何を言っても「まあいいんじゃない?」と言われるだけで全く頼りにならず、
一方地本の広報官の方々は親身に耳を傾けてくれ、前向きな言葉をかけてもらったりアドバイスをくれたりして、とても良くしてもらってました。

かくして自衛隊受験を決意!しかし…

そして僕は、海上自衛隊を受験する決意を固め、受験に向かいました。
海上自衛隊を選んだのは、海軍の艦船を擬人化したゲームが流行っていたことや、その関連の作品を見ているうちに「海の男」への憧れを抱くようになり、航海士や機関士として勤務してみたいと思ったからです。

そして試験当日、手応えを感じて帰宅しました。
しかし結果は不合格でした…
これにめげず、翌月の試験にも全力で望みましたが、また不合格。
翌々月も不合格…
諦め悪く10回連続で受験しましたが、海上自衛隊に合格することはできませんでした。

そのうち「やっぱり自分は社会に必要とされてないんだ」と思うようになりましたが、志願先を陸上自衛隊に変更したところ、アッサリ合格。
ついに自衛隊への道が開けました。

なお誤解のないようにお伝えします。
まるで仕方なく陸上自衛隊を受験したような書き方になってしまいましたが、決してそうではなく、元々陸上自衛隊に対しても興味を持っていました。
ただ海上自衛官へ憧れる気持ちの方が強く、引き摺ってしまっていました。
ともかく、かくして僕は陸上自衛隊への内定(という名の召集令状)を受領し、覚悟を決めて過ごしていました。

【解説】自衛隊へのいろいろな道

ちなみに、自衛隊に入隊すると言っても様々なコースがあります。
僕が受験したのは「自衛官候補生」というコースです。これは「任期制自衛官」とも言われ、陸自は2年間、海・空自は3年間を「一任期」とし、その区切りごとに転職するか継続するかを決められるというもので、もし自衛隊への入隊を考えているけど将来どうするかじっくり考えたいという方にはオススメのコースです。概ね月1回程度入隊試験が行われています。

他にも将来的に下士官クラス(陸曹・海曹・空曹)になることを前提としている「一般曹候補生」というコースも一般的です。
ただしこちらは(私が受験した時点では)年に2回しか試験がありませんでした。
実際に入隊した後の待遇にそれほど大きな差はない(一般曹候補生の方が昇進が少し早くなる程度です)ので、どちらでも大丈夫です。

個人的には自衛官候補生(任期制自衛官)がオススメです。
辞めても続けても任期満了すると「任期満了金」として約60万円貰えます(※私の時代の話なのでもし下がってたらすみません)。が、一般曹には特に何もありませんので…

いざ自衛隊入隊!御国のために頑張るます!

そして学校に対しても退学することを伝え、担任の先生と面談しました。
先生は僕の話を真剣に聞いてくれ、これまでのことは水に流し、「凄い覚悟で挑戦するんだね。ぜひ投げ出さずに頑張ってくれ!もし僕らが困った時は、必ず助けに来てね!」と微笑みながら前向きな言葉で送り出してくれました。

やがて春を迎え、運命の日、僕は関東近傍にあるとある駐屯地へ「自衛官候補生」として足を踏み入れ、陸上自衛官としての生活がスタートしました。珍しく雪混じりの雨が降っていたのを覚えています。

とんでもないところへ来てしまった…と緊張と不安の入り混じった気持ちで隊舎の居室(生活する部屋)へ入ると、既に到着していた同期達と、厳格さがありながらも爽やかでイケメンな班長・班付が優しく迎え入れてくれ、少し安心しました。

【解説】自衛隊のさまざまな教官たち・え、新隊員の僕がいきなり分隊長ですか!?

ちなみに、班長・班付とは、僕ら「自衛官候補生」などの新入隊員を教育してくれる教官達のことです。
居室一部屋で「班」となり、班長は名前通りその班の司令官(陸曹という下士官クラスの隊員が任命されます)、班付は副司令官(陸士という兵クラスで優秀な隊員が任命されます)となり、訓練では厳格に、しかし普段は気さくに楽しく、メリハリをもって自衛官として大切なことをたくさん教えてくれます。
さらに、複数の班(概ね3〜4班)で「区隊」を組み、訓練は区隊単位、食事や入浴は班単位で行動します。ただしヘマをした時の反省(懲罰的な腕立て伏せ)は基本的に、区隊全体で行います。
言うまでもありませんが、訓練の際は区隊長(幹部自衛官)や区隊付(ベテランの陸曹)が司令官となります。

ちなみに部隊配属されると、区隊が「小隊」に、班が「分隊」と名前が変わります。というよりも、部隊配属後は小隊や分隊単位で活動することが基本になるので、前期教育のうちから区隊や班で行動することでそれに慣れされている、とも言えましょう。

また、区隊長や班長ら教官とは別に、(僕のいた教育隊では)「区隊リーダー」「班リーダー」という役職があり、これは僕ら学生(教育を受けている側の隊員)が交代で勤務します。
任務としては、訓練中は区隊リーダーが区隊全員を引率して走って次の訓練場所まで移動します。基本的に足を怪我している隊員以外全員駆け足(走り)で移動します。
食事や入浴の際は、班リーダーが班員を引率して食堂や浴場へ走ります。風呂上がりだろうが雨降ってようが関係ありません。
新隊員教育隊の頃から区隊や班を引率する経験を積むことで、部隊に配属された直後にいきなり分隊長を任されてもしっかり務められるように教育しているのだそうです。

いよいよ訓練開始!

初日は訓練らしいことはありませんでしたが、縫い物や書き物で大忙しで、ひと息つく暇もなくあっという間に一日が終わっていきました。
その日の終わりを知らせる消灯ラッパが鳴り、班長から指定された二段ベッドの下段へ潜り込みました。

最初は今日会ったばかりの知らない人達ばかりの環境でなかなか緊張がほぐれず、上段で寝ている同期がゴロゴロ寝返りを打って大きく揺れていたのもあり、なかなか寝付けませんでしたが、疲れからかほどなくして眠りに落ち、班長の「よし、皆朝だ!起きろ!」という優しい声で飛び起き、ここから3ヶ月に及ぶ長い長い前期教育(新兵訓練)が始まりました。

【解説】前期教育とは?自衛隊の新隊員教育の流れについて・職種希望調査【重要】

かくして僕は陸上自衛隊へ入隊し新隊員の教育訓練が始まったわけですが、陸上自衛隊の新隊員教育には大きく分けて「前期」と「後期」の2種類あります。

前期教育では、一人前の自衛官になるために必要な体力・精神力・道徳心・遵法意識・基礎的な戦闘技術などを3ヶ月かけて学習・習得します。男女それぞれ別々に教育を受けるので、新隊員教育隊には同性しかいません。

基本的に、将来どこの部隊へ配属されても困らないよう、「回れ右」「敬礼」などの「基本教練」といわれる基礎動作、武器の扱い方や整備方法、実弾射撃や匍匐前進などの皆さんが一般的にイメージされる戦闘訓練などに加えて、自衛隊に関わる法規や職業倫理などについてもしっかり叩き込まれます。

前期教育が終わると、後期教育に移行します。後期教育では、特科(砲兵)や機甲科(戦車兵)などの「職種」と呼ばれる分類ごとに分けられ、特科なら大砲の撃ち方、機甲科なら戦車の操縦の仕方など、それぞれの特徴に合わせた教育を受けることになります。後期教育では男女関係なく一緒に学んでいきます。

なお、前期教育中に職種と任地の希望調査があります。これは結構大切です。当たり前の話ですが、前期教育で優秀な成績を残せば希望が通りやすいです。

陸上自衛隊には16個の職種があります。
主なものを挙げると
・最も一般的に兵士らしく戦場で射撃して戦いたいなら「普通科」
・大砲や対艦ミサイルを撃ちたいなら「野戦特科」
・高射砲や対空ミサイルなら「高射特科」
・戦車を操縦したいなら「機甲科」
・戦闘ヘリのパイロットになりたいなら「航空科」
・通信や暗号に携わりたいなら「通信科」
・語学力を活かしたいなら「情報科」
・戦闘支援や災害派遣で活躍したいなら「施設科」(オススメです)
・装備品の整備や兵站に携わりたいなら「武器科」「需品科」
などがあります。
ただし、一部の職種は過去の経歴が問われたり、ある一定の階級にならないと配属させてもらえない場合があるため、注意が必要です。

また、適性に関する試験も実施され、例えばここで「機甲科(戦車兵)は不適」と判断されてしまった場合、どれほど戦車に乗りたくても機甲科部隊へ行くことはできません。

さらに、陸上自衛隊の特性として、北海道に重点的に部隊を配置しているため、北海道以外の地域から北海道の部隊へ必ず何人か行くことになります。基本的に希望する人から順番に…ですが、定員に満たない場合は成績の悪い人から強制的に北海道送りになります。どうしても北海道へ行きたくない人は前期頑張りましょう!

ただ僕はこれを逆手に取り、最初のうちから「北海道行きたいです!」と何度も言っていたためか、希望していた施設科部隊へ行かせてもらえました。

自衛官候補生(任期制自衛官)で数年間勤務して転職しようと考えている人には、個人的にむしろ北海道行きをオススメしたいです。
どうせ数年間働いて地元へ戻るなら、あえて全然縁の無さそうな地域へ飛び込んでみることで、文化の違いなどを経験し見識を広げ、将来的に他地域に大して理解を深められるのでは?と思うからです。

若いうちは思い切っていろんなことに飛び込んでみることが大切だと思います。年取ってからではできませんし…
僕ももっと前にいろいろ挑戦しとけばよかったと思うことがたくさんあります。まあ「今が一番若い」ので、今から頑張ります。
(僕の個人的な価値観なので、無視してください。)

入隊して見つけた、自分の弱さと本当の気持ち。

ここまで読んでくださった方ならお気付きでしょうが、こんな僕なので、入隊してすぐに心が折れてしまいました。
そして区隊長と何度か面談しました。
恥ずかしながら泣いてしまった時もありましたが、面談をするたびにそれは確たる「覚悟」へ変わっていったのを覚えています。

区隊長の「そうか、お前もそうやって嫌なことから逃げるのか?別にお前が何をしようが何も構わないが、俺は司令官として逃げることだけは許せない。」という言葉が胸に深く刺さりました。

いろいろと「できない理由」を探してはそれを大袈裟に捉え、「だから自分はできないんだ」と自己正当化し、やらなければならない課題から目を背けて逃げる。それが僕の弱さでした。

「自分は一体何をしにここに来たのか?何故ここに来ざるを得ない状況に"追い込んでしまった"のか?誰かのためにカッコよく死ぬと決めたのではないか?変わらなきゃダメだ、今逃げたら一生このまま、誰からも相手にされず野垂れ死ぬ人生が待ってる。死ぬか、必死に努力して変わるか、自分にはもうその二つしか残されてない…これが最後のチャンスなんだ。死ぬのは嫌だ、変わりたいと願って心を決めて、自分と、周りの人達と約束してここに来たんだろ?」

そう自分に何度も何度も言い聞かせ、班長や区隊長から「お前は変われるよ。俺はそう信じて課題を出してるんだ。お前は俺らの気持ちに応えてくれるか?」という力強い言葉をかけて貰い、そんな日々の中で、僕の中に自我のような熱い思いが湧き上がっていきました。

「この人達を信じて付いていこう。さよなら昔の自分、お前なんか大嫌いだバーカ!バイバーイ!」笑

班長はよく「お前らポケモンやったことあるか?ポケモン育ててくといつか進化して強くなるだろ?お前らは今あれと同じだよ。体鍛えて鉄砲打てるようになって、少しずつ進化してる。ピカチュウのままじゃダメだ、ライチュウになれ!」と言ってました。実際その通りでした(僕はポケモンやったことないので間違ってたらすみません…)。

夜眠れず朝起きられなかった僕が…上官に教わった眠れるワザ!

夜眠れず朝起きられなかった僕でしたが、睡眠については入隊してすぐに強制的に治り(し)ました。
毎日目がまわるほど忙しく、消灯ラッパが鳴った瞬間意識を失い、起床ラッパが鳴るタイミングを体が覚えているのでその時間に自然と目が覚めるようになりました。

朝起きるとすぐに「点呼」が行われます。5分以内に着替え、縦横ビシッと揃えて整列し、当直係という役職の隊員(教官)に対し、大声で「第○区隊!総員○名!事故(熱などで不在にしている隊員)○名!現在員○名!番号!はじめ!」「1!2!3!…1欠!」「〇〇自候生腹痛!その他健康状態異常なし!」と報告します。
少しでも声が小さかったり、回れ右などの基本教練動作ができていないと「やり直せ!」と振り出しに戻ります。これを夜寝る前にもやります。

朝終礼の時、車輌に乗車する前・下車した後、訓練開始・終了時、移動した後なども、毎回必ず整列して番号を数えて教官に報告します。延々それの繰り返しです。
朝から晩までそんな生活なので、夜更かしなどする余裕がありませんでした。

いつも朝早くからトラックに乗り、マトモに座る場所すらない激混み・鮨詰め・激揺れな環境に耐えながら訓練に向かっていましたが、都会の満員電車とは違い、信頼できる仲間達ばかりだったためか不思議と具合が悪くなることはなく、むしろ酷い環境の中で一生懸命助け合って耐えているという一体感を得られ、僕はそこに「青春ってこんな感じだったよな」という感情を抱いていました。

また、時系列が前後しますが、僕は部隊配属後にとある上官から「寝る前にやるとよく眠れる方法」を伝授されました。それは、明日明後日・来週・来月・来年の予定ややりたいことを思い浮かべ、準備するものや必要なことを考えるというものです。
「なにをそんな当たり前のことを?」と思われる方もいるかもしれませんが、こうすることで自分の今置かれているレベルが分かり、やるべきことがハッキリし、スッキリした気持ちで眠ることができますし、考えているうちにいつの間にか眠くなって寝落ちします。

将来を見据えることで時には不安になるかもしれませんが、もしそうならその時にできる準備を済ませ、どうすればいいか考え、ノートなどにメモして枕の下に敷いて、成功した自分をイメージして布団に入りましょう。

新隊員教育隊だけでなく部隊配属後も自衛官は基本的に多忙なもので、面倒なことは少しでも前もってやっておきたいのですから、先を見据えて考えて行動することが求められます。
いちいち言われずともちゃんと準備できていなければ腕立て伏せが待っていますし、できればしたくありませんからね…寝る前に、明日明後日来週のことを考えて準備する癖が付きました。

除隊した今でも朝6時になると自然と目が覚める…ことは流石にありませんが、ネガティブなことを考えず、そんな無駄なことを考えている暇があるなら明日明後日と先々のことを見据え、準備しなければならないものなどを考えるように習慣付けているため、考えているうちに寝入ってしまいますし、朝もちゃんと起きられています。

見えるか?黄金はここにありて

また、僕は前期教育中、休日以外スマホを見ることはありませんでした。
自衛隊は毎日訓練していると思われるかもしれませんが、基本的に平日の8時15分〜17時の間だけとなっています(※とはいえ大規模な演習は連日連夜行われます)し、土日祝日は休日となります。

前期教育もそれは同じで、休日はもちろん、17時を過ぎれば掃除や点呼の時間を除き、やることを済ませていればスマートフォンを触ってもいいことになっているのですが、それでも僕は平日はスマホを触らずに教育を終えました。
僕は不器用で動きが遅く、やるべきことがなかなか終わらずスマホを触る時間ができなかったというのが実情ですが、それでも自分にとってはいい刺激になりました。

入隊前の僕はいつもTwitter(現在のX)に入り浸り、自分の努力不足を「社会が悪い」と責任転嫁し、もっと酷い生活を送っている人達を見て嗤い、下には下がいるんだと安心して朝日が昇る頃に寝る、そんな最低な生活でした。
しかしそんな生活環境から強制的に切り離され、情報を遮断された厳しい環境に身を置くことで、矯正されていったと感じています。

同じ班・区隊にはいろんな人達がいて、時には衝突することもありました。そして個人的に一番衝撃的だったのですが、僕は喧嘩ができなかった…「自分はこうだ」という意思が全くなく、いつも他人の意思や知らない誰かが流した情報に踊らされ、流されているだけなんだと気付きました。

いろいろな挫折を経て、人との正しい付き合い方を学ぶことができましたし、それはSNSに対してもそうでした。
入隊前とその後、そして今では、実社会でもSNSでも付き合う人が変化しました。前向きに頑張ってる人が周囲に増えたと感じますし、自分もそうなれつつあると感じています。

時間は誰にでも平等ですが、どんな人と何をして過ごすかよく考えて行動することで、人生はどうにでもなると気付きました。

前期教育を無事完走!北の大地へ!

そして、長い長い3ヶ月間の前期教育が無事に終了しました。
長い長いとはいえ、思い返せばあっという間、短い間にいろんなことを経験できました。
何も知らない癖にすみませんが、きっと大学やアルバイト、普通の民間企業に勤めるだけでは得られなかったものがたくさんあったと思います。

そしてその翌日、僕は関東近傍の駐屯地を離れ、北海道へ旅立つことになりました。
朝皆が元気に見送ってくれたことを今も思い出します。厳しかった教官の一人は、少し涙を浮かべていたように見えました。
そして飛行機に乗り北海道へ渡り、後期教育を受ける駐屯地へ到着しました。
そこからまた約2ヶ月半に渡る長い生活が始まりました。

【解説】陸上自衛隊の「縁の下の力持ち」施設科!漢なら是非!オススメです!

施設科(外国軍でいう工兵)とは、前線で普通科(歩兵)や特科(砲兵)、機甲科(戦車兵)などの主に「戦闘職種」と呼ばれる部隊の人達と一緒に行動し、彼らが戦闘力を最大限に発揮できるように、敵の地雷を探知して除去したり、大規模な地雷原を爆破処理したり、逆に攻められないように地雷を埋めたり、地下陣地を作ったり、川や湖で船を漕いで物資を運搬したり、船などを利用して橋を架けて戦車や自走砲などが渡れるようにしたり、山を切り拓いて道を作って部隊が通れるようにしたりと、様々な戦闘支援の役割を担っています。

また、その技術や器資材を応用し、災害派遣の現場では最も活躍する(と言っても過言ではないと思います)部隊です。
パワーショベルやブルドーザー、グレーダーやそれらを運ぶトレーラー、浮橋や架中橋といった特殊な機材を活用し、地震や洪水で土砂崩れに巻き込まれた道路を復旧したり、瓦礫を解体・取り除いたり、川に仮橋を架けて救援物資を乗せたトラックや避難者を乗せた緊急車両・現場へ向かう重機が通れるようにしたり、洪水で完遂してしまった区域で船(渡河ボート)を漕いで孤立している被災者を助けに行ったりと、さまざまな場面で大活躍します!
もし自衛隊の活動の中で災害派遣に貢献したいという方は、職種選択の際ぜひ「施設科」を選んでください!

僕はこの施設科の隊員になるために、また新たな教育訓練を受けることになったのです。
前期教育では一人前の自衛官になるためにどこの部隊でも共通する基本的なことを、後期教育では様々な職種の中で専門的な分野を学びます。
そんな後期教育がスタートしました。

後期教育スタート!しかし前期とは全然違い…


後期の教育隊には全国の様々な駐屯地から大勢の仲間が集められ、遠くは九州から遥々やってきた隊員もいました。
前期教育の内容は全国共通なのですが、号令の掛け声や物の呼び方などが地域によって異なっており、最初の頃は誤解や思い違いなどがよく発生して大変でした。そのうち慣れていき、次第に「そういう言い方もあるんだ」とむしろ地域差に興味関心を覚えるまでになりました。
僕は大学の地理学科在学中に方言などに興味を持っていたので、そういう性分なのだと思います。

また、後期からは女性隊員とも一緒に教育を受けるのですが、彼女達と意思疎通を図るのもまた大変でした。
思いのすれ違いから何度か喧嘩してしまったこともありました。

それでも、施設科に関するさまざまな知識や技術を学習・習得できたことは嬉しかったです。
中でも特に「漕舟」という、川や湖などで「渡河ボート」という船を漕ぐ訓練は楽しかったです。

残念ながら海自へは行けませんでしたが、まさか陸自に行った先で船を漕ぐことになるとは思ってもみませんでした。
あまりに嬉しかったので、舵を取る係(かなり大変)をやらせてもらい、「おもかじ(右旋回)」「とりかじ(左旋回)」をたくさん経験でき大満足でした。

もちろん楽しい訓練ばかりでなく、TNT爆破薬を起爆する「爆破」という非常に危険な訓練もあり、かなり緊張しましたが、なんとか無事に教育を完遂することができました。

いよいよ部隊配属

約2ヶ月半の後期教育も無事終了し、9月の半ばには晴れて正式な一般隊員として、部隊へ配属されました。

ということで、ここからは部隊に配属されたらどうなるのか?ということをお伝えしていきますが、部隊によって雰囲気や慣習などの差がかなり大きいため、ここからは「自衛隊全体がそうなんだ」とは捉えないでください。
「ふーん、そんな部隊もあるんだ」くらいに思ってもらえると助かります。

さて、私は晴れて一人前の隊員として北海道の施設科部隊へ配属されました。一口に部隊と言っても任務は様々で、配属される中隊や小隊でそれぞれの任務は変わってきます。それら中隊や小隊が各個の任務を遂行することで、大部隊が前進することができるのです。
私はその中で、部隊司令官の直下で通信を担う部署へ配属されました。

【解説】さていっぱい地雷埋めて船漕ぐぞ…え?自分は野戦電話線を張る係ってマジっすか!?土木の次は通信…?【施設科通信小隊の任務】

ここまでしっかり読んでくださった方の中には「え、施設科部隊へ行ったのに何で通信?全然関係なくない?」と思った方もおられるかと思いますが、通信部署は基本的にどこの職種でも部隊に必ず一つはあると言っても過言ではありません(音楽隊とかは分かりませんが…)。

お恥ずかしながら、僕は入隊するまで「陸上自衛隊は有事の際には駐屯地に籠城して戦う」と勘違いしていたのですが、決してそうではなく、野山の中に紛れて見つからないようにコソコソ移動し、野戦陣地を構え、敵を迎え撃つという戦法で戦うことになっています。
陸自の車輌がグレーや緑一色で、隊員の迷彩服がジャングル柄(?)なのは、野山で見つかりにくくするためなのです。

そして、移動中や各部隊の野戦陣地の間を繋ぐ連絡手段が必要になります。戦争中いつ途絶するか・盗聴されるか不明確な携帯電話を使うわけにはいきませんからね。
そのために、各部隊が必ず通信部署を保有しています。

通信といっても、主に有線・無線・暗号の3任務に分類されます。
「有線」とは、戦争映画などで登場する野戦電話を繋ぐ電話線のことです。敵に切られないよう、見つからないように張り、ちゃんと繋がれているか定期的に確認する必要があります。
基本的に誰でも最初は有線通信からスタートするはずです。
電話線を巻いた重いドラムを背負い、真っ暗闇の山の中、敵に見つからなさそうな場所を選んで線を這わせ、どこかへ転がらないよう木々に巻きつけ、敵に見つかってきられないよう土で埋めて偽装していく作業を延々繰り返します。

一口に野戦陣地とはいっても、部隊の全てを一箇所に集めるのではなく、部隊司令部とその指揮下にある各中隊の司令部は分散して構築されます。敵に見つかって砲撃された時に全滅するリスクを減らすためだったり、作戦区域へ進出する都合であったり、様々な理由がありますが、基本的に一定以上の距離を離して設置されます。
それらの野戦陣地司令部の間を電話線で繋ぐのが、有線通信の主な任務です。

次に「無線」ですが、これはご想像の通り携帯電話と同じように無線電波を使用して通信する方法です。基本的にはモールス符号を用い、盗聴されないように暗号を掛けて通信します。
移動間はもっぱら無線が大活躍します。

続いて「暗号」ですが、これは言うまでもなくコメントを差し控えさせて頂きます。
…それでももし「どうしても気になる!何が何でも知りたい!」という方は…一つだけ、たった一つだけ方法があるんです。ここまで来たら、もう言わなくともお分かりですよね?
ぜひご自分の目と体で確かめてみてください!

思い返せばの話ですが、通信小隊に配属されたことで任務を通じて施設隊全体の動きを学ぶことができ、とても良い経験になったと思っています。
施設科に限らず、大部隊の中の通信小隊というお仕事に興味を持たれた方は、後期教育中に「どこの中隊に行きたいか?」というアンケートが実施されるはずなので、そこで「本部付隊(通信)」「本部管理中隊(通信)」などと回答してください。
あなたに通信の適性がない場合や他に適任者が大勢いる場合、身内に某北の国などの怪しい国と繋がりのある人がいる場合でもない限り、基本的に希望を通してくれるはずです。

もちろん言うまでもありませんが、通信業務の傍、施設科隊員として地雷の埋設・除去や爆破、漕舟などの訓練もたくさんありました。

新兵は体罰地獄!かと思いきや…

また、部隊(中隊)の雰囲気としては、比較的リベラル(自由主義・革新的)な風土だったと感じています。鉄拳制裁などの体罰を覚悟していましたが、いざ配属されてみると体罰らしいことは一切なく除隊を迎えました。上官達は静かに「そんな時代遅れで無意味なもの、やるもんじゃないよ」と語っているように感じました。

自分もそれに応えようと一生懸命働きました。特に掃除についてはかなり厳しく指導されましたが、そのおかげで最終的には完璧にやり遂げられるようになりました。
新隊員教育隊ではよく「中隊配属されると中弛みする奴が多いが、そういう奴は先輩隊員に目付けられていじめられる。気をつけろよ」と言われましたが、僕の場合は朝から晩まできりきり舞いで中弛みしている暇がありませんでした。

なお、同じ部隊内でも他の中隊では体罰があったと噂程度に聞いているので、配属ガチャの差はかなり大きいと思われます。
通信小隊のある部隊に配属されたからといって必ずしも楽とは限りませんし、却ってそういう中隊ならではの辛さ(同期がおらず、全部自分1人でやらなきゃいけない、など)に苛まれることになるので、そこはご注意ください。

また、前期教育の頃に「陸自に入った以上、どこの部隊に行っても必ず行軍することになるよ」と散々言われていたのですが、実際に後期教育→部隊配属と経験した限りでは、行軍らしい行軍はほとんどありませんでした。重機やトラックなどをたくさん保有しているためか、ほとんどの場合それらの車輌に乗車して移動することが多かったです。
「陸自に来ちゃったけどどうしても行軍したくない」という人は、機甲科や施設科など車輌をたくさん持っている部隊へ行くのが良いかもしれませんね(保障はできませんが…)。

大昔は旧大日本帝国陸軍と同じように頑張って歩いていたそうですが、「あの時代と同じレベルではソ連から日本を守ることはできない!米軍のように車輌をたくさん用意して、人員や器資材を大量かつ迅速に輸送できなければならない」という考えのもと、部隊が「機械化(または「自動車化」とも言う)」されていったようです。
もちろん車輌が使えない時は頑張って歩きますが、逆に言えばその時くらいしか行軍の機会はないです。

そして任期満了!無事に除隊

施設科部隊での約1年半に渡る勤務を終え、無事に除隊の日を迎えることができました。
様々なことを学習・経験させてもらえたり、資格を取らせてもらえたり、最後は次の仕事の斡旋までしてもらえたりと、大変ありがたかったです。

今はとある地方都市で働いていますが、自衛官時代に培った知恵と経験を大いにフル活用して頑張ってます。上司からも結構頼りにしてもらえているので、ありがたい限りです。

「使命の自覚、個人の充実、責任の遂行、規律の厳守…」
「使命に対する自覚と誇りを持ち、常に技術の錬磨と創意工夫に努め、周密機敏にして堅忍持久…」
これらの言葉は、今も僕の中で光続けています。

東京で寝腐っていた大学生時代とは打って変わり、今は朝早くしっかり目覚め、誇りを持って仕事へ行っています。
仕事を通じ、大学生の頃にもっと資格を取れていたら…と思うこともありますが、それはそれこれはこれ、今自分にできることを探して取り組んでいます(基本情報技術者資格とロシア語検定試験の勉強など)。

また、再就職先選びの際に、東京を避けたことが大きかったとも思います。
今もたまに旅行に行きますが、やはり東京の人の多さや煩さ・灯りの眩さにはうんざりしてしまい、いつも気分が悪くなります。北海道の演習場に住み着いてるシカ達のほうがまだ可愛げがあっていいです。

もし東京近郊で全く同じ仕事に就いたとしても、公共交通機関を利用しなくていいほど職住近接でもなければ、同じ精神状態で勤務することはできず、すぐ辞めてしまうだろうな…と思います。

最後に皆さんに伝えたいこと【戦争と平和】

僕が行ったのはハッキリ言って「荒治療」です。普通の人にはオススメしません。
ただ、もし「絶対に変わりたいんだ」と思うなら、ぜひ自衛隊という逃げ場のない厳しい環境に身を置いてチャレンジしてみるのは良いと思います。

また、「自分探しをしたい」「人に役立つことをして自己啓発・研鑽したい」という方にもオススメです。よくそういう方々を狙って「俺はこんなに稼いで成功してるんだ!君も絶対成功できるよ!」と怪しい輩が絡んでいるのを見かけますが、そんな奴に付いていくくらいなら、自衛隊で体鍛えて訓練頑張ってお金稼ぐ方が絶対よくないですか???
国家公務員待遇で衣食住タダで大勢の国民から感謝されるお仕事ですよ?「自分が本当にやりたいこと」「自分がなるべき姿」が必ず見つかるはずです。

そして何より、個人的に「絶対戦争反対!平和が一番!」という若者こそ是非入隊してみてもらいたいです。彼らほど自衛隊に対して嫌悪感を抱いている存在はないでしょうが、平和を語るにはまず「戦争とは何か?」を知らねばならないというのが僕の持論です。

・一口に「戦争」とは言うけど、戦争って実際にどんなものなのか?
・(学校教育では太平洋戦争期の戦いまでしか教わりませんが)現代令和の戦争とはどうやって戦うのか?
・自衛隊はどういう戦略、戦術、戦法で日本を守るつもりなのか?
・そのために、普段からどういう訓練を行なっているのか?
・それらを踏まえて、平和を護持するためには自衛官民間人問わずどんな取り組みが必要なのか?

これらを肌で学び、体得し、よく考えることで、はじめて「現代の戦争と平和」が何たるかを理解することができると思います。
僕自身、大規模な演習を経験するたびに「やっぱり戦争になるのだけは勘弁してほしいな。平和が一番だな」と強く思いました。

そして…僕のオススメは、
空自>陸自>海自です。
どうしても護衛艦に乗りたい!戦車を操縦したい!という強い思いが"ない"なら、第一志望は空自にしておくことをオススメします。
陸は2年、空は3年と一見陸の方が楽そうに見えるかもしれませんが、空の方が汚れにくいですしカッコいい仕事が多い印象です(※個人の感想ですが)。
まあ実際に陸へ来て訓練で泥だらけになってみれば、この言葉の意味がお分かりいただけるかと思います。

もし「別に戦車とか乗りたいわけじゃないけど、陸しか受からなかった…」というキミへ。
施設科はいいぞ!
一任期のうちからたくさん資格取らせてもらえますし、災害派遣でも大活躍ですし(もちろん出番が無いに越したことはありませんが)、華々しさはありませんがたくさん人の役に立てる職種です。

何より、お前が言うなという話ではありますが、一度しかない貴重なあなたの人生、自衛隊に入隊しなくてもいいように、夜早く寝て朝早く起きてちゃんと学校や会社へ行きましょう。頑張りましょう!
それでもどうしても…という方はどうぞいらっしゃい。

それではそんなところで、この記事を締め括らさせて頂きたいと思います。
大変長文となり恐れ入りますが、ここまでお読みくださり、誠にありがとうございました。

今後とも、どうぞよろしくお願い致します。

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