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不思議夜話6

第六夜

懐かしい夢を見た。
私はどこか大きな料亭の大広間に案内されている途中だった。普通は廊下側が庭に続いていることが多いのだろうが、廊下側は迫る木々に邪魔されて先の景色は見えなかった。足袋裏が廊下をこする音がリズミカルで心地よい。案内の娘さんが障子を開けると、大広間は宴の準備に大わらわで、赤い襷をした十人ほどの仲居さんが膳を持って右に左に駆け回っていた。その先のガラス障子の向こうに広い中庭が見える。どうやら、いくつもの大広間でロの字型に囲まれた庭のようで、春霞の所為だけではあるまい、向かいの広間が幽かに見えるかどうかというほど、その一辺が長かった。こちらから見ると左右の広間は、長谷寺の回廊のようにやや上へ向かって登っており、山肌をうまく利用した造りだったと思う。中庭には大きな池があり、そこから小さな川が流れていた。いくつかの築山とランダムに配された岩との間には、大きな山桜の木が何本も茂っており、桜餅のように見事な桃色の塊がたわわに実っていた。少し調子はずれの鶯も木々の間を鳴き渡る。穏やかな風が吹く度に花びらが雪のように流れていった。
随分立派な料亭に来たものだと思ったが、その用事はとんと思いつかなかった。呆然として障子の前に立ち尽くしていると、先ほどの案内の娘が、少し腰を折って手を添え、どうぞどうぞと言わんばかりに床の間を背にした席に誘導する。催される会合の主旨も中身も判らないので躊躇していると、後ろから、
「何をしている。」
と声が掛かった。振り返ると、幼馴染がやけに古風な背広をまとって笑っていた。顔は確かにそうなのだが、名前が出てこない。確か去年の同窓会は、病気療養中ということで初めて欠席した奴だ。そうそう、幼さない頃から明るくて、みんなを毎日のように笑わせていた。大学を出てからは商社に勤め、海外勤務を長くしていたが、3年に一度の同窓会だけは、遠くロンドンにいる時も戻ってきて、相変わらず女子をからかいながら皆を楽しませていたっけ。
「随分顔色が良いじゃないか。もうすっかり良いのか。」
「ああ、やっと退院できるということだ。」
「で、今日の会合はなんだ。」
「何を言っている。俺の快気祝いの席じゃないか。」
声を出して笑った。
そう言われて、同窓会の時、あいつが退院してきたら、クラス仲間だけでも集まろうとみんなで話し合っていたことを思い出した。
「じゃ、お前が主賓だ。俺はこっちへ座る。」
「何を言っている。クラス委員長は俺の横へ座るんだよ。お前は左、副委員長の大野は右に。」
と楽しそうに燥いでいる。
「雛飾りじゃあるまいし。」
名指しされた女子が横で笑った。不思議なことに、彼女の立ち振る舞いはすっかり大人なのだが、面立ちや髪形はあの頃のままだ。首を傾げていると、どやどやと見知った顔が入ってきた。

いつの間にか部屋に灯が入り、中庭はライトアップされた景色に変わっていた。相変わらずみんなワイワイガヤガヤと騒いでいるが、ガラス一枚を隔ててあちら側とこちら側にいるような感じがする。一緒にいて楽しいのだが、耳がツンとした時のように場を共有していない感じが気持ち悪かった。そして、料亭の大広間はいつの間にか去年の同窓会の時のように立食パーティー会場になっていた。
みんなの姿をぼんやりと見ていると、さっきの男が声を掛けてきて、回廊のような広間を渡って、中庭の向かいまで行って良いかと聞いてきた。戸惑っていると、お前の家ではないかと言う。いやいや、私の家は実家も含めてこんな大きくはなく、町中の小さな家だし、ましてや料亭みたいに立派な部屋はないと答えると、大叔母の遺産だと聞いたという。そう言えば、大叔母は先年百歳を超えて田舎で大往生し、出掛けたことはないが、確かその実家は、地域で指折りの大旅館だったということだ。葬儀の席で叔父が、世が世ならばとその財産のあれやこれやを肴に酒を飲んでいたことを思い出した。
「その話なら、俺のというわけではない。大叔母の財産だ。遺産は俺にはないよ。」
「まあ、細かいことは良いではないか。お前が了としてくれれば、途中で誰かに咎められても問題が起きない。」
ついでなので、一緒に行こうと持ち掛けられた。何かあっては申し訳ないので、付いていくことにした。
次々と現れる広間の襖を開けて足早に進む。最初はガラス戸越しに中庭に点された灯りも差して、部屋内も良く見えたが、段々と辺りの様子が薄暗くなり、挙げ句には長く使われていない屋敷のようにかび臭く暗くなってきた。いよいよ前が見え難くなって、行灯のような明かりが照らす幾つめかの広間は、畳も上げられ板間状態で、隔てる襖には蜘蛛の巣がかかり、行く手を阻む。
「もうよそう。引き返した方が良さそうだ。」
と声を掛けたが、男は一顧だにせずずんずんと進んでいく。更に二つ目の広間の襖を開けたときには、中央の梁まで外れ落ちて、潜らないと進めなくなていた。
「とし坊、もう帰ろうよ。」
そうだ。彼の名前はとし坊だった。唐突に思いだした。小学校の裏手に有った小さな商店街の八百屋の次男坊だ。あの頃、悪ガキが連れ立って大池脇の神社の森にあったボロボロの四阿を「基地遊び」の拠点にして遊んだものだった。四阿は葦の林に囲まれていて、そこに行くにはようやく子供一人が通れる程度のけもの道のトンネルを10メートル程這う必要があった。
とし坊は小柄だが気丈で、皆がちょっと躊躇する場所でも先頭を進む。葦のトンネルも慣れれば平気になったが、初めて見つけたときは、彼以外は尻込みした。あの時も半べそをかきながら、同じことを言ったように思う。
「先に行くぞ。」
と、返事が聞こえた。しかし、あの時と違っていたのは、とし坊が少し申し訳なさそうに振り返り軽く会釈したことだった。
私は頷いて、もう見えなくなったとし坊に手を振った。
雀の鳴き声に促されて、目覚めつつある意識の中で、とし坊が一月余り前に亡くなっていたことをぼんやりと思いだした。

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