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不思議夜話4

第四夜

とても怖い夢を見た。
気が付くと高校の中庭に立っていた。あの時と変わらず、真ん中に十メートル四方程の浅い池があり、数匹の錦鯉が悠々と水草を掻き分けている。見上げると、二棟並んだ学舎の二階を渡り廊下が繋いでいた。校舎の色も淡い緑色で、「ああ、みんなあの時のままだ。」と思った。
振り返ると、体育館に隣接した下足場から、ゾロゾロと制服を纏った学生達が出てきた。数人づつ群れになって、肩を組んだり、小突きあったりして、たち振る舞いもあの時のままだ。化学を習っていた先生が相変わらずシワだらけの白衣を引っ掛け、スリッパをペタペタ鳴らしながら、南棟1階の廊下を歩いている。随分以前に他界されたと聞いていたのだが、なんだお元気ではないか、さては誰かにガセを掴まされたかなと苦笑いした。グラウンドは校舎の陰で見えないが、恐らくはダラダラと走っているであろう、気の抜けた掛け声が聞こえる。南棟4階にある音楽室からは女生徒の張りのある高い声とそれを導くピアノの音が溢れてくる。そう言えば、音楽の教育実習に来た美人の先輩を男子学生らでからかい、最後には泣かせてしまったことがあった。校長室に呼出されてこっ酷く叱られたっけ。
あの頃はこんな毎日が永遠に続くように感じていた。
そうだ、食堂のおばちゃんはどうしてるだろうと、プール横にあった学食の中へ入った。スレートの大屋根で体育館ほどあるコンクリート床に、アチコチ傷だらけの6人掛けテーブルが無造作に並んでいる。その奥にご飯物、うどんそば、定食等に分けて窓口があり、カレーはご飯物窓口の定番だ。具は何処にあるのか分からぬほどで、味もダダ辛いだけだったが、当時100円玉でお釣りが有ったのと、常連になるとおばちゃんが、少し多めにご飯を盛ってくれるのとで、特に男子生徒の人気メニューだった。二番人気は中華そばで、おばちゃんのその日の気分で、トッピングのもやしの量が変わる。窓口へは慌てず、ご機嫌を見てからアプローチするのがコツだ。
食堂はガランとしており、バックヤードで湯気と白衣が動き回る中、鍋釜が賑やかな楽曲を奏でていた。もう直ぐ4時間目の授業が終わって、余り上品ではない悪ガキどもを先頭に沢山の生徒が詰めかけるのだなと、あの頃の他愛ない日常が妙に懐かしくなった。
事はその時唐突に始まった。

物凄い勢いで何かが落下して来る気配に、思わず身を竦めると、轟音とともに目の前に広がっていた食堂の屋根が吹き飛んだ。もうもうと上がる硝煙と土埃の中にテーブルや椅子の欠片があちこちに散らばっていく。慌てて北棟の廊下へ飛び込んだ。
中庭に面した教室の窓が機銃のけたたましい音とともに、砕けていく。時折ロケット砲のような物が切り裂くような音とともにその間を縫うように飛び込み、辺りの壁や柱を砕いていく。耳を塞ぎ、かがみ気味で一番端にある階段を目指して駆け抜けた。
息が切れて鼓動が高鳴り、恐怖しかなかった。全身に震えが来て気が違いそうだった。何がどうしてこんな事になってしまったのか分からなかった。さっきまで見えていた生徒や先生はどこにも見えず、一人、機銃の止み間をつなぎ合わせて走っていた。突き当りにドアが見えたので、慌てて飛び出したら、校舎の屋上だった。背後からプロペラ機の飛行音が聞こえる。それとともに機銃掃射の弾丸がコンクリート床で跳ねる音が迫ってきた。頭を手で覆い、角までジグザグに走る。目を瞑る。もう後がない。ダメだと思った瞬間、「こっちだ!」という声が聞こえたような気がして目を開くと、グランド隅のクラブハウス脇で蹲っていた。見上げると、5メートルほど先に転がっているがもう原型を留めないコンクリートの塊の陰で誰かが手招きしていた。慌ててその背後に滑り込むと、巻上がった砂埃があたりの景色を隠した。
拳銃を手にしたその人は、様子から見て兵士のようであったが、顔は逆光でよく見えなかった。何か言おうとしたが、強張って声が出ない。周りでは相変わらず機銃やロケット砲がけたたましい音を立てていた。兵士と思しき影が応戦しているようだが、如何せん、拳銃の乾いた音では太刀打ちできない。どんどん相手の機銃音が近づいてきた。ほとんど意味もないのだが、コンクリート塊が地面に作る影に、より一層身を屈めた。汗が落ちる。息が上がる。心臓は張り裂けんばかりの恐怖を奏でた。
次の瞬間、真っ暗なその影の中に、でんぐり返りをするように落ちていった。落下するあの血の気が引くような感覚に思わず、
「わーっ!」
と大声が出た。
その自分の声に目が醒めた。
汗が流れ、心臓は相変わらず高鳴っていたが、気分は徐々に落ち着いていった。眠る前に争いごとの映画や小説を目にしたわけではない。ましてや戦争の経験も無いのに何という夢を見たんだろう、あの時、兵士のように見えたのは誰だったのだろうと不思議に思ったが、これといった答えは見つからなかった。何となく不安で落ち着かないまま、諦めて頭を枕に置くと、夜明け前に戸外で鳧が一声高い聲で鳴いた。


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