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干瓢について物申す 第3話 そして伝説へ…

前回の記事で干瓢に関する報告は終えた。残念な検証結果に終わったままでは干瓢に申し訳がないので、今回は干瓢の可能性を見いだせないかを探ってみた。

地球の変化

最近やたらと新聞紙面を賑わせているESG、SDGs、TCFDといった言葉。頭の良い人たちが提唱しているのにこれらの概念同士の関係性や取り組み方がわかりやすく整理・提示されておらず、『ルールを創る側に回った人たちがコンサルティングやアドバイザリーといった胡散臭い名目でお金稼ぎしようとしているだけやないか。ええ死に方せんぞ。』という印象は免れない。(もちろん清い目的を持って取り組んでおられる方々もいらっしゃいますし、この方々の活動等を否定するつもりはありません。)
という話はさておいて。これらの言葉の背景には「このままじゃ地球がもたへん。何とかせなあかんで。」という危機感があるらしい。どのぐらい何とかしないといけないかというと環境省によると2100年の日本の気温はこんな感じらしい。

2100年手金予報

     (http://www.env.go.jp/press/107008.html)より引用

男塾塾長の江田島平八であればこの程度の気温でも「快適である。」と言えるかもしれないし、また、油風呂に耐えられる男塾の塾生であれば問題ないのだろう。しかし我々は現実社会に生きる普通の人間である。気温が40℃を超えた世界での屋外活動など耐えられるわけがない。これは植物も同様であろう。
そうするとこの世界では『何を育て、そして、食べるのか?』はとても大きな問題になる。

実は干瓢は…

このような外部環境の変化に干瓢はどの程度対応可能なのか。webサイト(https://horti.jp/17891)によると、干瓢は夕顔の実であり、
・発芽や育ちやすい気温は25~30度である
・北アフリカやインドなど温かい地域が原産で、種まきは気温が25度以上になってから行った方がよい
らしい。すなわち、気温が高くても育ちうる植物で、食糧になりうるということだ。
もっとも、良いことづくめではなく、
・実が大きくなる時期は、たくさんの水を必要とする
ようだ。上に示した2100年の世界にたくさんの水が果たして存在するのかには疑問も大きい。

まとめ

このように、地球の平均気温が上昇した場合には、干瓢が貴重な食料になる可能性は残されているものの、たくさんの水の確保が必要であり、中々現実的ではないのかもしれない。

干瓢に関する記事は今回で終了です。
次回の連載をお楽しみに。
                         以上

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