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『夏物語』川上未映子

川上未映子が好きだ。
まずはヴィジュアルから入った。ボブがとても似合っていて、結婚式のために伸ばした髪の毛を、翌日真似してボブまで切った。
エッセイの『きみは赤ちゃん』は妊娠前だったのに謎に妊婦心理に共感してボロボロ泣き、妊娠してからも出産してからも何度も読んで何度も泣いた。サインだってしてもらった。

が、小説の方は全部読んでいます!というわけではなく、読んだことがあるのは『わたくし率イン歯ー、または世界』、『乳と卵』、『すべて真夜中の恋人たち』くらい。この『夏物語』は『乳と卵』の続編とも呼べるもので、第一部は『乳と卵』を改稿したもの。関西弁で書かれたこの作品、関西圏以外の方はどう感じるのかと思いながらも関西圏で暮らす私にはスラスラ読め、とても共感しやすい作品でもあった。饒舌に書かれた『乳と卵』は川上未映子本人の若さと小説家としての駆け出しの頃だということもあって勢いが凄まじいのだけれど、『夏物語』は少し落ち着いた印象。

第二部は、主人公の夏子がAID(精子提供)によって自分の子どもに会いたいと奮闘、葛藤する作り。精子提供によって生まれた当事者との出会いで、子どもを生むってなんなのか、自分の子どもに会いたいってなんなのか、本人の了承を得ずに勝手に作って勝手に生む暴力性、エゴ。それは私もよく考えていることで、考えていたことで、自分が子どもを持つか持たないか決める上でよく悩んでいた問題。自分だって子どもの頃、なぜ生まれてきてしまったのか、生んでなんて頼んでいないのに、死ぬよりも生きていることの方が怖いし、生まれてきてしまったことのどうしようもなさを抱えて生きていたので、登場人物の善百合子の気持ちと言葉にズサズサと心臓を刺されている気分だった。

そう、子どもを生むことなんて、賭けとエゴ以外のなにものでもない。病気だったら?障害があったら?散々考えて想像した。今はなくても事故や病気でこの先そうなる可能性はいくらだってある。なのになぜ私は勝手に子どもを作って勝手に生んだのか。賭けとエゴだ。そうでしかない。それがわかっているからこそ、善百合子の言葉に責められているような気がして居た堪れなくなった。善百合子に対して、そして息子に対して。息子はいま不登校で、彼なりにいろいろ悩み苦しんでいる。私が生まなければ、そんな苦しみなかったかもしれないのに。あなたのせい、と善百合子に言われている気がした。生まなければそんな苦しみなかったのに、と。

善百合子の言わんとしていること、その境遇の途方もない悲しさ、生まれたことを肯定したら生きていけないこと、夏子はきっと頭ではわかっているし、理解もしようとしていたし、とても悩んだ。それでも。。。
夏子の選択に、少し励まされたような気がした。

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