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20200126-反ラーメン的二元論

神は「味噌ラーメンあれ」と言われた。すると味噌ラーメンがあった。
神はまた言われた、「味噌ラーメンの中に流派があって、ピリ辛とそうじゃないのを分けよ」。そのようになった。

絶対今日は味噌ラーメンだ、ピリ辛の。それ以外有り得ない。私は夕方になって急に思い立ち、最寄りのスーパーまで文字通り走った。わずか7,8分のジョギングでモラルを騙くらかして暴食に耽る。大盛だ。大盛を作る。大盛りあれ。生麺とスープのセットを2人前カゴに放り込み、野菜コーナーへと逆走する。もやし、椎茸、人参、ニラ、九条ねぎと次々に狩る。迷ったが、麦とホップを最後に手に取り優勝を確信する。帰宅するとまず寸胴にたっぷりの湯を沸かす。家にあった玉ねぎ、舞茸、白菜を手早く刻みながら買ってきた野菜を炒める。頃合いを見て塩胡椒と豆板醤、中華だしを加える。馴染んだら一旦取り出しておく。解凍した豚ロース肉に塩胡椒と小麦粉を軽く振ってソテーする。湯が沸いたら麺を固めに茹でる。スープを丼で混ぜ合わせ、茹で上がった麺と具材を盛り付けていく。丼の倍近い高さまで野菜と肉が積み上がったら、最後に九条ねぎを乗せる。いただきます。さようなら。暫しの間、胃腸にはくたばっていただきます。美味いなあ。美味いものって、美味いよなあ。半泣きになりながら完食する頃には麺も流石にのびきっていた。スープも食欲も、ぬるく冷めていた。いつも幸せの後には決まって苦しみが待っている。グノーシス主義的二元論で考えれば、食前の世界は食欲で構成され食後の世界は膨満感で構成される。お腹いっぱいでもう食べられないよ〜と考える私が存在する宇宙は偽の宇宙である。真の世界での私、そのイデアは味噌ラーメン2人前でお腹いっぱいになったりはしない。何故なら味噌ラーメンは物質であり偽の存在であるからだ。偽神によって齎された偽のラーメン欲は容易く私の世界を裏返した。偽神は言われた、「食後のコーヒーあれ」。そのようになった。

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