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R3.4.9 高松興正寺別院


高松興正寺別院、定例法座でのお話。


一休さんと蓮如上人


御文章の作り手としても良く知られる、第八代門主「蓮如上人」。

布教活動へ特に力を入れられた方でもあり、浄土真宗中興の祖とも言われる。


そんな蓮如上人の生きた時代、同じく京都にはアニメでも有名な禅宗の僧侶「一休宗純」が在った。

二人は21歳という年の差がありながら、どこか通じるところがあったのでしょう。

お互いに敬意を持ち、時には冗談を交えながら学び合ったという逸話がいくつも残されている。


破戒僧


一休宗純は、当時禁じられていた行動をいくつも行っており、型破りな僧侶の代名詞としても有名だ。

その昔、蓮如上人の留守中に部屋へ上がり込んで、阿弥陀如来像を枕に昼寝をしたという逸話も残されている。

しかし、ここで凄いのは、蓮如上人がそこで怒らず「俺の商売道具に何をする」と言って、二人で笑い合ったというところだろう。

当時の宗教界は幕府の庇護下にあり、そこに属する僧侶は求道よりも漢詩の上手さを競ったりと「貴族のサロン」のような存在に成りつつあった。

一休宗純の一見すると「僧侶失格」ともとれる言動は、そんな宗教界の実態に対する嫌悪から来ていたのかもしれない。


人は、何を以て「僧侶」とするのか。

戒律を守り、衣を着ていれば僧侶たりえるのか。

仏教の本髄とは何か。


むなしくすぐるひとぞなき


浄土真宗の開祖である「親鸞聖人」は、阿弥陀仏のはたらきを「空しい人生」から救って下さるものだと説かれた。

人は皆、出来ることなら「豊かな人生」を歩みたいと願う。

しかし、その「豊かさ」とはどこから来るのか。


幸福な人生


門松は冥土の旅の一里塚


一休宗純の有名な逸話の一つに、このようなものがある。

新年を迎え、人々がお正月のお祝い気分で町がにぎわう中、ドクロを付けた杖を持ってお経を唱えながら歩いた。

門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

新しい年を迎えるということは、死に一歩近づいたということでもある。

世は、新たな一年を迎えたことのめでたさばかりをもてはやしているが、死に近づくことはめでたくもない。

「禍福は糾える縄の如し」という言葉がある。

幸不幸は糾う縄のごとく絡みつき、常に表裏一体に在るという意味だ。

人は、この世に「良いこと」と「悪いこと」があると考え、「悪いこと」を避け「良いこと」を求める。

しかし、本来世界に「良い・悪い」は存在しない。

在るのは「事実」だけである。

それを「良いこと」「悪いこと」とするのは、人間の心なのだ。


へだつる心


ある時、一休宗純は蓮如上人にこんな句を送った。

阿弥陀には まことに慈悲は なかりけり たのむ衆生 にみ助ける

蓮如上人の書いた御文章にある「たのむ衆生」という部分に目を付け、「たのまぬ者は助けない、如来は衆生を差別するのか」と問うたのだ。

得意のとんち合戦である。

これに対し、蓮如上人はこう答えた。

阿弥陀には へだつる心 なけれども 蓋ある水に 月は映らじ

阿弥陀の慈悲を月にたとえ、「月は映る水を選ばないが蓋があっては宿れない」「月が選んでいるのではなく、蓋をしている器の問題」だと返した。


この「蓋をしている器」は、そのまま私たちに当てはめることが出来る。

この世の出来事に「良い」「悪い」は無い。

故に、すべてが「めでたくもあり めでたくもなし」なのだ。

誰もがうらやむような環境や出来事にあったとしても、それを自身が「これは良くないことだ」と捉えては、幸福たり得ないだろう。

逆に、誰もが心配するような逆境にあったとしても「これは良いことだ」とよろこぶことが出来れば、その者は幸福と言って相違ない。


安心


世は、人知の及ばない事柄に溢れている。

人間同士はもとより、自然や動物など、生きる上で様々な未知と遭遇することだろう。

それは、とても恐ろしいことである。

「何が起こるか分からない」

しかし、どんなに恐怖しても避けることは出来ないのも事実だ。

家に籠って、誰にも会わず、自給自足で生きたとて、この世界に生きる以上、自然という他力の影響下でしかない。

自然災害は起こるし、病気に侵されることもあるだろう。

そんな、起こる出来事を変えることは難しい。

けれど、受け取り方は己次第で変えられる。


起きた事実をありのままに受け取り、よろこぶ。

よろこぶことが「叶う」ことを知る。


さすれば、どんな苦に際したとしても乗り越えゆけるだろう。


まだ死にたない


上記は、一休宗純が臨終に際し、遺した最後の言葉である。

「煩悩が残っている」などと揶揄されることも多い逸話だが、先述した話を踏まえるとまた違った色が見えてくる。

一休宗純の著書に「狂雲集」というものがある。

自らの型破りな生活が赤裸々につづられ、そこに対する自己嫌悪など、苦悩の様が見て取れる。

当時禁じられていた飲酒や肉食・女犯といった事柄は、実は皆隠れて破っていることでもあった。

暗黙の了解とでもいうべきか、「戒律」は形骸化していたのである。

それゆえに、一休宗純は表立って戒を破った。

民衆はもとより、裏で戒を破っていた僧侶連中からの非難も想像に難くない。

だが、僧侶という存在に対して真摯であるからこそ、破戒僧という道を選んだ。

そんな一休宗純の人生は、易しいものではなかったであろう。

しかし、最後に「まだ死にたくない」と発した。

一休宗純は、そんな苦悩に満ちた人生でもよろこんでいたのだ。

これは、僧侶として真に目指すところでもあり、正に仏教を「体現した者」と言えるだろう。


社会が豊かさを増す一方で、そこに暮らす人々の幸福感は下がり続けているという。

寺離れも進み、自分の所属する宗派や宗旨を離せないという者も少なくない。

しかし、宗教は人が人である以上、国や時代に関わらず通じる教えだ。

これからさらに変わってゆくであろうこの時代に、だからこそ、「むなしくすぐるひとぞなき」教えを繋いでゆく。

それこそが、真宗における念仏の歩みというものなのかも知れない。


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南無阿弥陀仏

ありがとう、だいすき。