3月27日ー母になった日ー

今日という日は、なんという事はない普通の日だけど、
実は私が母になった記念日。

私の実子はYOUTUBEで「小川馨」という名前でゲーム実況をあげている。
個性豊かな愉快な子なのだが、生まれた時からエピソードには事欠かない
生まれた時からネタ満載。

「どうやら陣痛が来たらしい!」とわかって病院に行ったのは
25日の夕方。そのまま入院となる。
だがしかし、そこから非常にスローペースとなり、翌日の昼頃陣痛のさなか
実家に帰される。

26日夕方、また病院に戻る。
途中に信号待ちで生まれたらどうしようか、と思いつつ、なんとかたどり着くが、そこからもまだ生まれる気配なし。

陣痛は、「ぐわあああああ」という雰囲気で
お腹が一気に硬くなり、なんともいえない恐怖心が襲ってくる。
この時に、この恐怖に自分の心をのっとられるとえらい事になる。
痛みが耐えられないものになり、逃げ出したい衝動に変わり、パニックになるのだ。

だから、登りつめていく痛みの間、「怖い!!」という気持ちを睨みつけて
絶対に自分の心のハンドルを恐怖に渡さない!と気合を入れて
「ヒーヒーフー」と呼吸をする。
すると、痛みはそこまでピークに至らない。
でもいつでものっとってやるぞ!とピッタリ恐怖は張り付いている。
「冷静でいる事」それだけが陣痛を乗り越えるコツなんだな、と悟るくらい
陣痛なれしていった。丸一日陣痛と戦った。

乗っ取られない理由にはもうひとつあった。
私は確かに今とても痛い。
でも、お腹の子供はもっと痛い。頭蓋骨変形する痛みに耐える戦いをしてるのは、まだ見ぬ我が子。
私がパニックになって呼吸が乱れると、お腹の子供に空気が行かなくなる。
今の私に出来る事は、ただただ息をする事だけ。
産む作業は、わが子と私ふたりで登る山登りのような物なんだ、と言い聞かせてた。

そうやって戦った30時間あまり、まもなく27日になろうかというタイミングで、どうしても我慢できなくなり、
やっと「分娩台にのぼりましょうか」と言われる。
痛いのに自分でよじ登れという、なんという仕打ち。
登っていたら、助産婦さん(ベテランのおばちゃん)がチラっと覗いて
「あら!あんたもう頭覗いてるじゃない!先生呼ぼうね」
と事態が一気に動き出す。

いきむ時は息を止めるな
いきむ時は話をするな
いきむ時は目をとじるな
いきみをのがす時は力入れるな

そんな一気に言われてもわかんないよ。
それよりなにより、助産婦さん。
休憩中に私の膝に手を載せてリラックスするのやめて!
私は私で精一杯。あんたの体重1グラムだって支えれんわ!!
とこのあたりはもう冷静さは失くしていた。

4回くらいのいきみの後。
「よし!次は産むよ!がんばっていこう!」
と、ベテランさん。
私も、もうこの痛みから解放されたい。
それは多分、お腹の子も同じ想いだろう。

やってきた痛みのピークにあわせ、これ以上ないほど踏ん張る!
その時思わず口からでた言葉は

「出て行けーーー!!!」

だった。
いや、それはあまりに酷かろう。
生まれてくるときに出て行けはいくらないんでもかわいそうだよ。
と、とっさに思い

「出てこーい!!!」と言いなおす。

すると、助産婦さんが
「話したらダメっていったでしょ!あ、出てきた。」
と、言いつつ、ひっぱりだしたわが子は…。
長い長い戦いの為、これ以上ない程疲れ果て、ガッツ石松のような顔で出てくるなり、ひとこと

「うへぇええ」

と泣いた。
小川馨の生まれた瞬間でした。
時計は27日になって20分位すぎていました。

体重計ったり、綺麗にしてもらって、すぐ私の右脇に寝かされたわが子。
「よく頑張ったね。」と声をかけたら
ふにゃふにゃ泣いていたのに、声で
「!聴きなれた声!さてはオカン!どんな奴だかみてやるわ」
とでも言いたげに、まぶしそうな目で懸命に私をみた。

小さくて頼りないふやふやの赤ちゃんでしたが、
私が想像していたよりもっと「あ、以外に丈夫そう」でした。

あれから長い時間が過ぎて、いろんな事もあったけど
今はすっかり大きくなりました。
きっとこれからも、いい事悪い事いろんな事あると思いますが
是非、面白がって人生楽しんで欲しい。
人に迷惑かけなかったら、自由にのびのび生きて欲しい。
それが願いです。

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