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オポジションの学び②〜厳しい校則と自由な音大、大都会と田舎〜

太陽ー冥王星オポジションと
月ー天王星オポジションを持っている私のオポジションの学び経験②です


片方の世界から
反対側の、全く違う価値観のあるもう一方の世界へ移動した経験も、オポジションのものかなあと感じています。

一つは、音楽高校への入学です。
私は前記事にも書きましたが、私立の小学校に入学し、そのままエスカレーターで中学校へ進んでいます。

伝統を大切にする校風があり、校則や立ち居振る舞いなど、かなり「制限」を感じる面の多い校風でした。窮屈さもありながらも、素直な面のある私は「いい子ちゃん」に育ったものです。

「先生の言うとおりにする」ことが正義で、正しいことだった中学時代までを過ごし、その後音楽高校に入学して、それはそれは驚きます。

まず、私の進学した音楽大学附属の高校は、校則がありませんでしたし、制服もなく、服装や身なりに関する決まりも一切ありませんでした。

私たちは同じ校舎に通う大学生たちと同じような生活を送ります。カリキュラムも、必修科目と選択科目から高校3年間で必要な単位数の授業を各々組み合わせるシステムです。

入学して数日の間に、授業のレジュメを読み込んで、各々で授業を見学し、各々に必要な授業を選択する。
人によっては丸一日休みの日を作ったり、1年生の間にできる限りの単位を取ったりと、自主性が求められるわけです。

ほんの1ヶ月前まで、「言われたとおりにする」ことが正義だったのに、4月に高校生活がスタートした途端、「自主性を求められる」毎日。

高校初日のオリエンテーションが終わった後、クラスの担任の先生のところに「明日は何時に登校すればいいのですか?」と聞きに行ったら、「自分で資料を確認して、自分に必要な時間に来てください」
と呆れ顔で言われたとき、「なんて適当な学校なんだ!」という感想を抱いたことを覚えています。

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さて、もう一つのオポジション体験。
それは、都会で生まれ育った私が、今田舎に暮らしながら農家さんで働いているということです。

私の両親は東京都と埼玉県育ち。
両親のそのまた両親も、みんな関東近郊の育ちです。

「田舎のおじいちゃんの家に行く」だとか、「畑でとれた野菜」なんかとは無縁で育ちました。

音楽高校に入ると、全国から音楽の英才たちが上京していましたから、クラスメイトには北は北海道、南は沖縄からの友人がたくさんできました。
山手線の内側で生まれ育ったことが、そこでは珍しいほどに、全国のいろいろなところから集い、寮生活の子たちもいました。

そんな彼女たちに「地元はどんなところ?」ときくと、「なんにもないよ」と口を揃えていいます。

「えー!!!空が広いでしょう?星が綺麗でしょう?空気が美味しいでしょう?自然が豊かでしょう!!!!」と、都会生まれ育ちの私は、地方へ行くたびに感じる「田舎の素晴らしさ」を説くものの、本人たちはその素晴らしさには気づいていない様子。

「私は小学校から満員電車に乗って学校へ通っていたんだ」というと、「私は田んぼの間の道をチャリンコで通って田んぼに落ちたことがある!」とまるで漫画の中でしか見たことのないようなエピソードを耳にして、自分とはまるで違う世界を生きてきた友人たちに驚かされました。

そして、都会生まれの私から見て、地方でのびのびと育った彼らの音楽は、すごく豊かで、あたたかくて、おまけに人柄も温和で精神的に安定しているように感じる友人が多かったんですよね。

都会という忙しなく、なんでもあるように見えて、心や人とのつながりを感じにくい、競争社会のエネルギーを全身に感じながら育った自分にとって、田舎は未知の世界であり、憧れの対象でした。

こうしていま、移住をして田舎に住んで2年が経つわけです。

今の暮らしをとても気に入っていますが、田舎で暮らしてみて、彼らの言いたかった「何もないよ」もなんとなく理解はできましたね。
住んでみて改めて感じる田舎の良さと同時に、ネガティブな側面ももちろんあるわけです。

そして、田舎という都会とは対極の側から都会での生活を眺めたときに初めて気づくことや、初めて気づく都会のいいところ、感じられるようにもなりました。

いかがでしたでしょうか。
オポジションは、人生の折々で色々な現れ方として感じられると思いますが、自分の経験を通して学ぶことで、多角的な視野を手にすることのできる、ハードさもあるけど愛のあるスパルタアスペクトだなあと改めて感じています。

沙紬



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