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読書メモ『国家なる幻影(下)』石原慎太郎著より、長崎新幹線についてのエピソード


西九州新幹線開通とのこと、朝家族が教えにきた。
それを聞いて、先日読み返した『国家なる幻影』に、長崎新幹線についての記載があったことを思い出した。

(以下引用)
運輸省を担当しまたぞろ新幹線問題が浮上してきたそのときになって改めて慨嘆したのは、政治家がいったん口にしてしまった計画は、それがどのような前提のものであろうと地方地方の我欲がのさばり出てきて、計画として限りでの正当性を付与されてしまい、さらに時間の経過はその実現の可能性までも暗示することになりかねないということだった。
 長崎新幹線がそのいい例で、ことは、私も閣僚を務めていた福田内閣のときにきわめて隠微な動機で計画の台帳に記載されることになったのだ。
 ということは知る人ぞ知るで、当時のそのいきさつを知る人が次々に物故してしまえば、元々全くに近く信憑性のなかった計画が、段々、というよりますます信憑性の濃いものになってきてしまう。

(以上引用)

福田内閣?
私は小学生だったなあ。
読み進めていくと、今度は、「原子力船むつ」という言葉が出てきた。
毎朝のようにニュースで、「原子力船むつ」「佐世保受け入れ」などの言葉を聞いていたのを思い出す。

むつは、故障を起こして、たしか放射能漏れ…?で、来てもらってはこまると忌避され、寄港先がないというような話だった。佐世保港受け入れを巡って論争があるというような。
小学生だった私は、
むつ というからには、青森じゃないの?どうして佐世保?と思って聞いていた。

(以下引用)
参議院時代の同期生で今は長崎県知事となっていた久保勘一氏が福田総理に面会にやってき、新規の新幹線計画に長崎線を順は最後でいいから、とにかく載せてもらいたい、自分は次の選挙をその旗を掲げて行いたいと思っているが、そのための政府との取引として寄稿先の決まらぬ『むつ』の長崎入りは私が請け合います、ということで、環境問題がらみで環境庁長官の私も呼び出され話し合いに立ち会った。
 その折の久保知事の本音は、
「私だって高い金をかけて長崎まで新幹線なんぞ引けるものとはよも思ってもいませんが、県民の中からそんな声が出てきている今頭から否定もできず、せめて計画の末端に加えて頂ければということなんです」
 ということだった。
 であったものが、そのまま何年かの月日がたてば、総理も代わり知事も代わってしまったが故に一層、ことは信憑性の濃いものに化け変わってしまう。というところが、国民にとっての政治の恐ろしさということでもある。
(引用ここまで)

『国家なる幻影』初出は、『諸君!』1996年1月号〜1998年8月号。
単行本刊行は1999年1月。福田赳夫内閣は、首相官邸ホームページによれば昭和51年12月24日から昭和53年12月7日までの714日だったらしい。Wikipediaだと、昭和52年11月28日までと書いてあるけど。自民党のホームページだと昭和51年12月23日就任、2年間にわたる、らしい

小学生とはいえ、そのときその時代を生きていた。空気のようにその頃のニュースに触れていた。
そして西九州新幹線は今日、開通したという。
一般国民、普通に生きているつもりで、ある程度長く生きると結果的に歴史の中にいる。
歴史の中で、これからどのような生を?


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