バセドウ病闘病記① 発症
30代のはじめ、ちょうど前厄の頃に、バセドウ病を発症した。四半世紀を超えてもいまだに治療中。
手が小刻みに震えるのと、異常に空腹になるのと、食べても食べても痩せるのとで、家系的に多い糖尿病を心配したが、検査結果は甲状腺ホルモンが過剰分泌されるバセドウ病だった。
ひどいときは1日のうちに理由なく1kgやせる。そんなときは、嬉しいどころではない。不気味にしか感じない。
そんな頃、11月の半ばに、身内の結婚式があって数ヶ月ぶりに実母に会った。そのとき母は、久しぶりに会ったことを喜ぶより先に頸元の腫れと、眼球突出、動作に落ち着きがなく、早口でしゃべることへの違和感を指摘して不安そうに私を見た。実母は、橋本病(甲状腺機能低下症)の持病がある。
とにかく早く診てもらえと急き立てられて近所の耳鼻科を受診して検査を受け、フリーT3とT4の数値が異常値だった。TSHは測定できない低値だった。
紹介状を持って受診した総合病院の内分泌内科では、即時入院と言われた。
小学校2年生と幼稚園年中組の子どもがいる転勤族家庭の専業主婦で、夫は仕事を休めない。頼れる身内は何百キロも離れたところに住んでいる。とても無理ですと話して、だからこそ入院しなければならないのだと医師からは強く勧められた。とりあえず2週間後に再診予約を入れてもらってその日は帰った。その日受診するために、近所の人に子ども達を預かってもらっていた。
夫に相談すると、彼はあからさまに機嫌を悪くした。オレのせいだと言うのか!と、非難された。そんなことはひとことも言っていないどころか、考えてすらいなかったので、困惑した。
2週間後に、夫の言動を報告して、とても入院などできませんと話すと、そんなストレスフルな家庭環境で配偶者の言動がそれでは、病状に悪影響があるからなおさら入院が必要だと医師は強く勧めた(その日も子ども達を近所の人に頼んで受診しており、入院などできる状況ではなかった。医師と押し問答の末、結局入院はしなかった)。
処方された抗甲状腺薬を服用しはじめると、2週間もすると手がガサガサになってあかぎれができた。寒く気だるく眠くなった。薬が効くのはラッキーだと主治医は言ったが、よく効く薬は結果的に、短期間で身体の状態を劇的に変えるので、治療が『あるべき状態』に変えてくれたのだとしても、治療前の異常な状態からの落差がありすぎるのだ。
その頃季節は既に12月だったのに、考えてみれば治療が始まるまでブラウス1枚でカーディガンすら羽織らず外出できていたのは、異常に代謝が活発になっていたからだった。もともとは睡眠時間が短い方で、明け方3時4時に寝て朝7時に起きていたのに、眠くて眠くて仕方がなくなったのには困った。私は、ひとりの時間が取れない状況に弱い。だからそれまでは、睡眠時間を削って読書をしたり、書き物をしたり、考え事をしたりする時間を確保していたのだった。
結局、バセドウ病との付き合いは四半世紀を超えて続いている。その間に1回、放射線管理区域に入院してアイソトープ治療(放射性ヨード剤服用)を受けている(このときは夫の単身赴任のおかげで入院できた。二十歳の専門学校生の次男と2人暮らしだった)。
バセドウ病になって以来、無理が利かないのでこまめに休まなければ破綻するのだが、一見元気そう(というか一般的に他者の体調不良など、『でも歩いてるし平気でしょ』という受け止め方しかされないものだ)だそうで、『病は気から』という、非常に不愉快かつ言われる筋合いのないアドバイス(この言葉を他人がいうのはハラスメントだと思う)を、やたらとされる。この、体調不良の当事者に対する『病は気から』的な貶め方は、コロナ感染症については使われなかったが、なぜかコロナワクチンやHPVワクチン接種後の体調不良には使われる。恣意的でご都合主義な概念だと言いたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?