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郵便をきっかけとして、価値観について考える

こんな、つぶやき記事を書いた。
チェブラーシカさんから、コメントをいただいて、国内の普通郵便が遅いことよりももっととんでもない状況があることを知った。

チェブラーシカさんからのコメント抜粋

…それだけでなく、ロシアへの配達は、2022年1月27日で辞めています。軍事作戦が始まる前にすでにやめていました。その前ですら、船便しか動かさず、半年位かかっていました。

一方、ロシア郵便は、コロナ禍でも航空便が動き、ロシアから日本へ10日ほどで到着しています。現在もロシアから日本へ航空便が動いています。

コロナ禍になり、半年後の2020年9月には、ロシアから日本へヨーロッパ経由の航空便で送ることができました。この時は2~3週間くらいかかっていました。

2021年4月にロシアから日本へ送った時は、直行便で10日くらいで届いていました。

ロシア郵便のホームページを見たら、今も日本へはEMSを含め、航空便、船便すべて動いています。


一方日本郵便は、ヨーロッパ各国の航空便が再開しているのに、ロシアには、船便しかありませんでした。ウクライナへさえも航空便が再開していました。それなのに、ロシアには、船便のみとは、嫌がらせとしか思えません。

国際情勢が変化する前にすべての郵便が止まったので、ロシアに住む日本人は、困っています。

大使館で申請する書類なども大使館便も出ていないようで、大使館職員が帰国するときに、書類を持って帰国し、戻ってくるときに運ぶというまさかの人力となっています。今までであれば、2か月で届いたものが、4か月かかっています。大使館関係は日本郵便の管轄ではないのかもしれません。

現在もウクライナへは航空便が行っていますが、ロシアへはすべて動いていません。
日本郵便のホームページリンクhttps://www.post.japanpost.jp/int/information/overview.html
今回の国際情勢になってから、すべて×になったのなら、分かりますが、その前からですし、コロナ禍になってから、半年もかかる船便で動いていてもあまり機能していませんでした。

ロシア側も動いていないのなら、納得しますが、ロシア側は動いているので、本当に配達できないのか?と思ってしまいます。(コメント引用ここまで。チェブラーシカさん、許可ありがとうございます。)

国際郵便について国際情勢変化の結果としてストップしたわけではないらしい。現在日本は戦争をしない国であるはずだが、戦争をしている当事国の片方にだけ極端に肩入れする報道・募金活動・人の受入等が行われていることに違和感を持っていた。これは、戦争に加担しているのとは違うのか?と考え込んでしまった。
そんな今朝、たまたま開いたFacebookで、Chihiro Sato-Schuh さんの記事に目が止まった。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid02cPtktZ3xWRaXc8uTcU7Ra9m47GGJirZDwavpcPETjj7zNqosv4ySxuCEDpAuT92ul&id=100000165488492

【価値観を押しつける社会とそうじゃない社会】

ロシアに住むドイツ人ジャーナリスト、トーマス・レーパーの新しい本「プーチンの計画」が数日前に届いてきて、今読んでいるところだ。西側がグローバリズムとネオリベラリスムによる「新しい世界秩序」という一極支配を計画しているのに対して、ロシアには世界に対して別な計画がある。それは、多極的なネットワークで成り立っていく世界だ。トーマス・レーパーの新しい本は、それがどういうものなのかを書いている。

一極支配とは、つまりすべての国々、すべての民族が、同じ一つの価値観に従うべきだというもので、それは西欧ではローマ帝国のときからすでにあった。ローマ帝国は、ローマ人以外の民族を野蛮で遅れた民族だとみなして、ローマの文化をすべての属国に押しつけることで支配したのだ。多民族の聖地を破壊し、聖なる森を焼き払ったりさえした。

それぞれの民族には、それぞれの生活様式があって、それはその土地、その気候に合っていて、合理的なものだったりする。だけど、外からやってきて、それがわからない人たちは、野蛮なやり方だと思い込んだりする。

かくして西欧諸国は、アジアやアフリカに行って、植民地支配を始めたときも、その土地の文化を野蛮だとみなして、キリスト教に改宗させ、洋服を着せて、彼らのプランテーションで働くようにさせた。そして、そうすることによって、西洋文化の方が高いのだという意識を植えつけたわけだ。

それは、今日グローバル化と呼ばれているものでも、同じことだ。自由化とか民主化とかきれいな言葉を使っているけれど、つまるところ西側資本主義の消費生活を押しつけ、もともと機能していた地元の経済や生活様式を破壊してしまい、西側のお金に依存するようにさせている。

私たちはそうしたことにあまりにも慣れてしまっていて、それ以外の世界秩序のあり方などないように思えている。これが誰にとっても最良だというような生活様式があって、それを世界中の皆ができるようにするのが進化なのだと思い込んでいるようなところがある。

ところで、ロシアはそうではないのだとトーマス・レーパーは言う。ロシアは、西側諸国と違って、多民族国家だ。それも、何百という民族がいて、宗教もそれぞれに違い、何百という言語がある。ロシアは、過去数百年の歴史でも、この人たちにロシア語を強要することもなく、宗教を押しつけることもなかったのだそうだ。そして、それぞれの民族にそれぞれのやり方で生きさせ、それを尊重することによって、ロシアはこの多民族国家を支えていくことができたのだという。

それは、ソ連の時代でさえもそうだったのだそうだ。共産主義国家といったら、誰もが同じような生活様式を強制されているというイメージがあるのだけれど、それもあるいは一部だけを見せられていただけなのかもしれない。ロシアには広大な土地があり、シベリアや、極東、中央アジア、コーカサスなど、さまざまな民族が住んでいる。トナカイの群れとともに遊牧生活をしている民族もいれば、シャーマニズムの伝統を持つ民族もいる。イスラム教徒も2割くらいを占めている。ロシアは、そうしたさまざまな民族が、それぞれのやり方を続けていけるようにしてきたというのだ。

実際、そうでなかったら、これほどの大国を保っていくことはできないのかもしれない。皆が同じような生活をというグローバリズムは、とたんに資源の枯渇だとか、環境汚染の問題だとか、格差や貧困、そしてそこから来る争い、といった問題を引き起こす。ロシアはものすごい多民族国家であるにもかかわらず、民族差別の問題や争いもほとんどなく、分裂することもなくやってこれているのは、どんな民族もそれぞれのやり方で生きていけるようにしているからなのらしい。

ロシアでは、どんな思想も趣味も宗教も自由だけれど、ただ他の価値観を否定して自分の価値観を攻撃的に押しつけるようなことだけは禁止されている。だから、たとえばエホバの証人だけはロシアで禁止されているのだそうだ。他の宗教を否定して、攻撃的に勧誘しているからなのだと。しかし、禁止といっても、逮捕されて牢屋に閉じ込めたりしているわけではなく、罰金が科されるだけだ。

だから、LGBTについても、それぞれの自由だし、こういう人たちを差別することは厳しく取り締まられているのだそうだ。しかし、性について保守的な考えを守りたいという人たちも、その自由を尊重されるべきだと考えられていて、だからこうした性のあり方を子供に教えたりするのは禁止されている。

ところで、西側では、ロシアはLGBTを弾圧しているみたいに報道しているらしい。ロシアは共産主義だから自由がなくて、というイメージを持たせたいのだ。そして西側では、自由を守るために、と言って、保守的な性のあり方を守ろうとする人たちに揺さぶりをかけているというのが、実際のところだ。それは、特殊な性のあり方を求める人たちのためなどではなく、多くの人たちに極端なことをしてみなければ自分は自由ではないかのように思わせて、自分に対する自信を失わせ、保守的な生活様式を破壊して、いいように支配するためなのだ。

してみると、ロシアでは何がいいとか正しいとかいうことを指示するのではなく、それぞれの生き方を尊重することを徹底しているということになる。実際、それはうまく行っているらしくて、ロシアの人は相手がどこの国の人だとか、どの民族だとかいうことを本当に気にしないらしい。ドイツ人なんていったら、戦時中にはロシアの最大の敵だったわけだけれど、それで差別的な対応を受けたことは一度もなかったとトーマス・レーパーは言っていた。国がしたことと個人は関係ないし、あなたはあなたでしょ、という感じの対応なのだそうだ。

人というものは、どっちが偉いとかどっちが進んでいるとか、どっちが上だとか、そういうことを言われて育っていなかったら、自然に相手を尊重するものなのかもしれない。実際、自分を卑下する気持ちを持たず、自然に自分のことを信じられている人は、人のことも見下したり、どっちの方が上だとかは考えないものだ。だからロシアでは、違う価値観を差別したり攻撃したりすることだけが禁止されているのだ。

それぞれの土地、それぞれの気候で、効果的な生き方というのは違ってくるし、それはその土地でしばらく暮らしてみないとなかなかわからない。同様に、それぞれの人にはそれぞれの性質があって、何が効果的なやり方なのかは、それぞれに違うのだ。それも、別の性質を持った別の人にはなかなかわからない。だから、つまるところは、それぞれのやり方にまかせておけば、一番効率がいいし、すべて丸く収まるということになる。

今、西側世界で世界経済フォーラムの「新世界秩序」なる世界の一極支配化が進められているのだけれど、実のところはもう一つの新世界秩序が一方では進められていて、それがロシアを中心とした多極的な世界、つまりそれぞれの民族のあり方を守って尊重する新しい世界なのだ。今ウクライナで激しく行われている戦闘は、実のところはロシアとウクライナの戦争などではなく、一極支配を進めようとする西側権力と、多極的な世界を作ろうとするロシアとの生き残りをかけた戦いだ。そして、ロシアの側には、西側以外の国々や、一極支配を望まない西側の人々もついている。

一極支配は、支配するためにつねに人々に圧力をかける必要があってストレスが大きいから紛争も起こりやすく、効率も悪いので、結局のところは長続きしない。ロシアがあれだけ世界中から経済制裁をかけられていながら、経済が安定し続けているのは、それぞれの民族にそれぞれの生き方をさせるという効率のよさがあるからなのかもしれない。それは、外から見ると奇跡のようにも思えるけれど、やってみたら、今までどうして気がつかなかったんだろうと思うようなものなのかもしれない。

私たちは、どういう生活がまともな豊かな生活、進んだ生活なのかと考えて、ただ一つだけの価値基準で測ろうとしてしまうのだけれど、そろそろこの考え方を変えるべき時が来ているのかもしれない。それぞれがそれぞれに最適な生き方を知っているのだと尊重できたら、つまるところ自分も自分の生き方に満足できるし、人の生き方をとやかく言う気も起こらなくなる。多極化への移行とは、実はそんなことから始まっていくのかもしれない。(以上引用)



記事中の文章の中で、

西側では、自由を守るために、と言って、保守的な性のあり方を守ろうとする人たちに揺さぶりをかけているというのが、実際のところだ。それは、特殊な性のあり方を求める人たちのためなどではなく、多くの人たちに極端なことをしてみなければ自分は自由ではないかのように思わせて、自分に対する自信を失わせ、保守的な生活様式を破壊して、いいように支配するためなのだ。

というところに、「ああ、それだわ!なぜか感じる違和感は」と腑に落ちた。
LGBTQに対する異様なまでの肩入れについて、権利が保障されるのはいいことだけれども不審に思っていた。mRNAやウイルスベクターなど、新技術を用いた予防接種に慎重に対処している人への言われようや、ロシアに対しての言われようと、LGBTQに対する態度が違いすぎる。LGBTQの人たちは、なんらかの思惑で利用されていて、いつか梯子を外されるのではないか?と思えてならなかった。決して多様性を尊重しているとは見えないのに、多様性多様性と喧しい。

尊重すると決めた『多様性』だけを大切に贔屓する。どれを尊重してどれを排除するかは、ウエが決める。判断基準は下々の者には知らせられず、判断できない状態に置いて翻弄する。そういうことではないだろうか?

国内郵便の配達が遅い(実際のところ仕事に影響するレベルに遅くなっていて困る)という私のぼやきつぶやきがきっかけで、思いがけず、価値観について考えることとなった。
中高生の頃、ヤーコブレフの小説が好きだった。ロシア文化には魅力を感じていた。なんとなくの興味程度だったのだが、最近表現者塾を通じて堀茂樹氏の講義を聴いたりエマニュエル・トッドの本を読んだりし始めたこともあり,
ロシアについてもっと知りたいと思うようになっていたところでもあった。
『トーマス・レーパー 本』で検索してみたら、『機関車トーマス』の本が出てきた💦。困ったなあ。私が探しているのは、それではないなあ。

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