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信頼

あかいひぐま氏の記事に目を惹かれた。

医学・科学、政治・経済………分野を問わず専門家が専門家たりうるには、彼らが信頼に足る人間性を備えているということが絶対に外せない条件だと思っている。この人間社会に於いては。

自らの持つ専門知識・専門技術を、善なる方向に使わないならば、ただの、特定方面にのみやたらと詳しい偏執狂者でしかない。

一般人のことを、何も知らない者よと侮って、整合性のない言説で抑圧し翻弄するならば、彼らは単なる偏執狂的マウンティストとなる。

一方で、優れた知見を、門外漢の一般人に対してわかりやすく紹介してくれる専門家がいて、日々助けられる。『わかりやすい』は、必ずしもその内容が『簡単』『単純』であることととイコールにはならない。高度な内容の大切なエッセンスを、結局のところなんなのか・日常レベルでどうすればいいのかに落とし込んで紹介してくれる。難解なことを難解な言葉で説明するよりも、難解なことを平易な言葉と事例で説明する方が遥かに高度な知見や能力が求められるのだ。

使命感を持ち一心に治療に従事する医療従事者は、上のようなタイトルを目にすれば、『?』がついているとはいっても不快感を覚えるだろうとは思う。けれども、では、例えば…?医療従事者の中に、「無知の知」とは無縁であるがゆえの自信家がいたとしたら?今手にしている技術と知識の正しさを疑ってもみない人が仮に少なくないとしたら?今標準とされている治療法が10年経てば否定されることもありうることを認識したうえで、しかし現時点では一定のエビデンスが認められている医療を、生きている人間に対しておこなっているということを畏れとともに我が身に引き受ける覚悟でいるのは全員だろうか?患者は患者として診察室や病室でだけ存在しているわけではなく、日常を生きている存在であることを全ての医療従事者がほんとうの意味でわかっているのだろうか?

杞憂であってほしい。現場を知らぬ素人のたわごとならば良いと思う。私はなにも、医療機関で医療従事者に対してこんな質問をしたりなどしない。ひとり、湧いてくる疑問を書き綴るだけだ。もしかしたら、多くの優しい医療従事者と出会っているおかげで逆にこんな甘えたことを書けているのかもしれない。だが、それでも、これで気づかなければ迂闊過ぎようと思うようなこともあるのだ。

職業倫理は全ての職業で当然に要求されるが、医療従事者や政治家、大マスコミの場合は、他者の人生に及ぼす影響が桁違いとなる。ワクパスなど、後日弊害がわかったとしても、そのときにはどれほどのことが犠牲になっているだろうか。

予防接種は、問診・予診がある。予測できなかった異常な事態というのはあり得るにせよ、問診・予診で接種可となったならば担当医師が安全と認めたということ。なのにどうして、報告されているだけで1300人を超える接種との時期が近接した突然死が起きているのか?死に至らずとも健康被害は?基礎疾患があったなかったと取り沙汰されるが、仮に基礎疾患があったらその悪化のせいになっておしまい、のような論調になるならそもそも接種不可だろうに。死ぬ直前の状態の人が予診で接種可になるのか。迷走神経反射による失神は他の予防接種でも特段珍しくないことなのか?なら何故今回だけ目立つのか。

通過儀礼であるかのように語りあわれる昨今、5歳から11歳をも対象に加える動きが出てきている。当然私は5歳から11歳にはあたらない。小学生の頃から、「自分がされたわけじゃないんなら余計なことに首を突っ込むべきではない」「事情がよくわからないことをわざわざ取り上げて騒ぎを大きくするのは迷惑な行いだ」と、洗脳を受けてきた。教員しかり、クラスメートしかり。私は、私自身が所属する社会が信頼できる場であってほしかっただけ。たまたまその立場を免れた者は遠巻きにして関わりを避け、不運な者が孤独に苛まれているのを存在しないことにされるような社会には恐ろしくて情けなくて、いられたものではない。

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