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『寅に翼』より 法律というものは

「法律っちゅうもんはなあ
縛られて死ぬためにあるんじゃないんだ。
人が 幸せになるためにあるんだ。

幸せになることを諦めた時点で矛盾が生じる。」

NHKの今期の連続ドラマ『寅に翼』で、昭和24年の大晦日に家庭裁判所設立準備が完了したとき、最後に、法を守ってヤミの食料を食べずに餓死した花岡判事由来の画を掲げながら多岐川さんが言った言葉だ。

「人間のしたことは、簡単にひっくり返る。
簡単にひっくり返るようなものの為に死んじゃあいかんのだ。」

法律というものは 縛られて死ぬ為にあるものではない。
人が幸せになるためにある。
幸せになることを諦めた時点で矛盾が生じる。


私は幼い頃から、『こうしなければいけない』のに『そうはできていない』『世の中はそうなっていない』ということでしばしばディレンマに陥り混乱することがある育てにくい子どもだった。
そんなとき、戦時中生まれの母が話してくれたのが、ヤミの食料を拒否して配給の食料しか食べずに餓死した判事の話だったのを覚えている。
「死んではなんにもならない。いくら正しくても」
「立派だけれども、そこまでするものではない」
「世の中は、きまりどおりになるわけではない」
と。

多分その頃私は小学生になったばかりだったと思うので、『配給』『ヤミの食料』等の概念は伝わったのだろうか。母のその言葉によってなだめられ、記憶に残っているということは伝わったのだろう。当時は終戦後20数年しか経っていなかった。戦争に行った人もまだまだ社会の中で現役世代として生活していた頃だった。
私は、納得したわけではなく、母が私の疑問に向き合って話をしてくれたから落ち着いただけだろうけど。


社会が転機を迎えているように感じられるこのときに。

国会で次々と、私は承認する気のないことが閣議決定されていき無力感に肩を落とすこのときに。

『悪法も法なり』という言葉の方が正統な響きを持ちそうな雰囲気のこのときに。

1度国会を通過して成立すれば、いかようにも改正されていくのを見ながら、

多岐川さんの言葉を繰り返しかみしめ、考える。
NHKは、何を伝えようとしているのだろうかと。
法律が、人が幸せになる為のものであってほしいけれども。

19万近く寄せられたパブリックコメントには言及しないのが気になるけど。

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