見出し画像

【掌編】食人鬼

「食人鬼」

母が突然、食人鬼になった。


そういうことは稀にあるらしい。医者も珍しいケースですね、と興奮を隠せない様子であった。原因のわからない奇病で、いまのところ治療法も薬もない不治の病であるということだ。哀れな母は、一定期間身内の血肉を食べないでいると、弱って死んでしまう。食人鬼にとって、身内の血肉は、この世のものとは思えぬ極上の美味なのだそうだ。


医者は大学病院への紹介状を書きましょう、と言って、そそくさと診療を終わらせた。
帰りがけ、受付にいた看護師に、母の食事はどうすればいいのか、と尋ねた。看護師は、しばらくは食人の心配はありませんが、その間にご家族でよく話し合ってください、と言った。ご家族で、という所を心もち強調した言い方だった。なにを話し合うのかと困って、このような症状のでた他の患者はどうしているのですか、と聞くと、その看護師は淡々と、直接見聞きしたわけではないが、家族が身を捧げるそうですよ、と答えた。


故事に倣って、母に柘榴の実を与える。母ははじめは夢中になって唇を紅く染めて柘榴をむさぼっていたが、しばらくすると見向きもしなくなった。人工甘味料のようなそっけない味で食が進まないのだそうだ。


はじめは、一番小さな弟が居なくなった。久しぶりに顔色のよい母に弟の居場所を聞くと、甘くて美味しかったよ、と答えた。
全部食べちゃったの、と聞くと、きまり悪そうにそっぽを向いた。
唖然とした。
冷蔵庫のプリンではあるまいに。
母は大袈裟に泣きながら、アンタはこんな病気になった母を可哀想だと思わないのか、この母に飢えて渇いて死ねというのか、と切々と訴えた。


父は、子どもたちを犠牲にするわけにはいかない、今度、我慢できなくなったら、血はつながっていないが私を食べなさい、と威厳をもって母に言った。父は大学病院に母を診せたが、結局、対処療法しかないのだそうだ。日に日に父の眼窩は落ちくぼみ、青白い顔でちょっとした物音に怯え、ひと月後には子どもたちを置いて黙って姿を消し、二度とは帰ってこなかった。


それで今度は姉が居なくなった。
幼い妹を食べようとしたところを身代わりになったのだという。
私は黙って母を見つめた。
母はまた泣きながら、自分がいかに哀れかを掻き口説き、責めてもいない私をなじった。


こんな調子で次々と母は身内を食べ、生きながらえていった。
妹、叔父、叔母、いとこ、祖母、祖父……
血が近いほど、味が濃く美味だ、と恍惚と母は言った。
なにも言えない私に、アンタは長男だから最後にしてあげる、と恩着せがましく言う。
アンタは最後までアタシの面倒を見るのよ、だって長男だから。
母はまるで、ボロきれで着飾った女王さまのようだった。病という絶対的な特権で飾り立てられた、女王さま。


それで、最後に私の番になった。
前に姪を食べてから、もう半年ほど、母は人の血肉を食らってない。
身内はもう私だけだ。
おそらく今夜、私は母に食われるだろう。


オカアサン、ボクハ、家族ダカラ、トイフ理由デ、オカアサンニ、ボクノ人生ヲ、差シ上ゲル気ニハ、ドウシテモ、ナレナイノデス。
オカアサンノ命ト、ボクノ命、ドチラガ、ドレダケ大切カ、ナンテ、ボクニハ、ワカリマセン。




それで私は母を殺した。
私の刑期は執行猶予付きの3年だ。
現在の法律では、希少なケースである食人鬼化した患者の人権も尊重され、特に家族はたとえ正当防衛であっても殺人の罪に問われるのだそうだ。
一刻も早い法の改正と、食人鬼化の治療法の発見および治療薬の開発を望んでやまない。



┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
朗読会のご予約受付中!
所属劇団Mono-Musicaのメンバー・しひろと文学作品の朗読会を催します。

朗読
「獅子吼ノ会」

■ 日時
2024年8月2日(金)
18:00 開場
18:30 開演

■ 上演時間
約2時間半(予定)
※途中入場退出自由

◾️料金
前売 ¥5,000-
*1ドリンク付き
*当日精算/全席自由

■ 会場
ギャルリー・ラー
*東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル601
*銀座一丁目駅より徒歩1分

◾️ご予約フォーム



┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
[Profile]

マナ

パフォーマンスユニット"arma"(アルマ)主宰。朗読とダンスが融合した自主企画公演を上演している。ミュージカルグループMono-Musica副代表。キャストとして出演を重ねている他、振付も手掛ける。
ここには掌編小説の習作を置く。
お気に召さずばただ夢を見たと思ってお許しを。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?