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児童文学は

岩波少年文庫の「第九軍団のワシ」を生まれて初めて読みました。ちなみにワタクシ、今年で23歳です。

イギリスのローズマリ・サトクリフさんという人が書いた本で、書評を読む限りおそらく児童文学史では偉大な方だと思うのですが、文学少女でもない私は全く知らないお人でした。

言い訳をするのならば、小学生時代のわたしは決して本を読まない子ではありません。むしろ、クラスで1.2番を争うくらい冊数は読んでいましたし、さらに言うならば、毎月何かしら好きな本が出るものですから、限りある収入をどう配分するかを考えることが幼いわたしにとっては常につきまとう問題でもありました。

でも、岩波少年文庫は全くと言っていいほど通っていない…というよりも、名作と呼ばれる児童文化を見事にスルーしてここまで来てしまいました。

小さいわたしにとっての本は、青い鳥文化であり、フォア文庫、カラフル(ポプラ)文庫に角川つばさ文庫、そしてハードカバーでした。表紙もカラフルで、振り仮名もついています。何よりこれらの作品の主人公はほとんど、同じ時代を生きている同年代の人々、つまり身近な人々でした。

加えて、小さいわたしはカタカナと象徴的な表現がとっても苦手です。今も苦手意識はありますが、当時のわたしは、それらに対して苛立ちすらあったのです。ハリーポッターを名前が覚えられずに3回は諦め、星の王子様は10ページ足らずで閉じました。

そんな私でしたから、宮澤賢治やコナン・ドイルといった「超」有名文学作家も読んでおりません。

そして中学生になり、高校、大学と進んだわたしは、多少なりともカタカナと象徴的な表現に耐性をつけてきました。特に大学時代に学んだ社会学はカタカナや象徴的な表現が苦手など言ったら卒業できません。理論を学び、また自分も理論で返答するのが大学での勉強でしたから。

児童文学を再び振り返りはじめたのは大学も終わりがけの頃です。
特に何か理由があったわけではありません。ただ、カタカナと象徴性に耐性をつけた今なら、面白く読めるのではないかと思っただけです。それに、育ちも良く見えますから。

こうした経緯で、児童文学、それも古典的な作品を少しずつ読み進めています。

内容は面白くて泣いてしまったり、響かなかったり、やっぱり難しくて読解しきれなかったり、まぁ、まちまちです。

読まなくても生きていく上で困りはしないと思いますが、私の見栄っ張りな部分やら負けず嫌いの部分やらが踏ん張っている限りはウンウン唸りながらチマチマ読んでいこうかと思います。

にしても、カタカナは日本語名に直したちゃイカンのだろうか。

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