マイケルよ、ちょっとまだ難しいみたい
家族で旅行に行きました。直前まで本当に決行するのかと思っていたのですが、父の意見に逆らうのと、コロナにかかるリスクを高める行動のどちらが怖いかと言ったら正直わからないのです…ずるい言い方ですけど。
普段離れて暮らすわたしはPCRを受けて、さして遠くもない実家に戻りました。
途中までは旅行もよかったのです。ちょっと良いホテルで温泉に入り、人生初のナイフとフォークを外側から順に使うタイプのフランス料理。高いレストランってなんでお皿の余白が大きいんだろうねなんて話しながら、まだ味の善し悪しがわからないワインを飲みます。
数ヶ月ぶりに会った父の顔が亡くなった祖父に似てきたことに気が付き、年をとったなと慣れない感傷がつとよぎることすらもありました。
良くも悪くも影響が大きいのが親です。父がいなければわたしはこんなに文章に依存するようになったかはわかりませんし、感情を言語化することの意義も見いだせなかったかもしれません。他者に対しての振舞い方だって、根っこをたどれば父がいるのです。
わたしの根幹の部分に父はいて、その中にはいつ癇癪を起こして殴れらないかとおびえ、完全には治癒しないであろう痛みも、あるのです。
そんな父も還暦が近くなってきました。人生100年といわれる中でも、いったんは区切りを迎える日がそう遠くありません。そう思うと、少しだけ優しくなろうと思えたりもします。
2日目は観光で、写真をたくさん撮られました。父は写真が好きなのですが、わたしとしては小学校4年生の時に、写真で笑わないからという理由で殴られて以来、写真を撮るぞと言われるたび、うすら寒くなるのです。父の枠に沿った「家族」から外れた「笑わないわたし」。それが意味することに気が付いて以降、嫌々撮られる写真は中途半端に口の端を上げたぎこちないものだらけになってしまいました。
そんなわけで、観光はとにかく心を無にしてこなすに尽きます。あと数時間、あとこの場所だけ、と、気分はまるで修行僧。
幸いわたしは翌日仕事のため、途中で抜けることが決まっていました。ようやく終わると思い、駅に向かいます。
家までのルートは在来線と特急、それから新幹線を乗り継がねばならないといけないらしく、取り急ぎと在来線の切符を買いました。切符を見せると、父がいきなり怒鳴り始めたのです。
どうやら在来線の切符だけでなく、特急も新幹線も全部抱き合わせの切符を買わないとお金か時間が無駄になるらしいのです。でも、怒鳴られたらもういつ殴られるかわからないので、とにかく怖いんです。怖いから、言ってることの半分も理解できないし、聞いても、とにかく買いなおせと言われるだけ。こういう時、泣いてもなんの意味もないことはとっくの昔にわかっているので、顔は無表情。感情と脳みその接続が瞬時に切れるようになってからは、対処の仕方も覚えました。
なんでもないことのように、なるほどね、わかったと言って窓口に行きます。本当はなんにもわかってないけれど。
切符を買いなおして、トイレに行くと、ペーパーを取る手が震えていました。情けない。たった一人の癇癪に、今でもおびえるのか。
かの有名なマイケルジャクソンはオックスフォード大学の講演会で語りました。「無償の愛は親から子どもに与えるものではない。無償の愛は、子どもから親に届けるもの」だと。どれだけ努力をしても、親というものは間違うものだから、親にどれだけ傷つけられたと思っている人でも、どうかその手を親に向けて差し出してほしい。そうすることで初めて、荒れて寂しいこの世界に愛り戻すことができるのだと思っている…そうマイケルは言ったのです。そしてこうも言いました。「若いころ私は父を気否定していましたけれども、今は、父は父のやり方で私を愛してくれていいたのだ、と認めないわけにはいかなくなったのです。」と。
マイケルが言ったことは、とっても難しいことではありますけれど、確かに、父は父のやり方でわたしを愛しているのだと思います。育ててくれて、感謝もしています。
でも、そう簡単に許せないし、おびえている。
それでも、実家を出てたまにしか会わない関係になってからは少しずつ許せるかもしれないと思えていましたが、やっぱり今全てを許すことはできません。わたしのことを愛していたとしても、何かをきっかけに殺し、殺されることだってあるかもしれないと疑わずにはいられないのです。もしかしたら、死ぬ直前になったとしても、言えないかもしれません。
いつかはと思うけれど…これくらいの歩み寄りが、いまの精一杯です。
トイレを出て、それじゃあと別れようとしたら最後に写真を撮ろうと父が言います。肩を強くつかまれ、震える手のまま、ぎこちない顔を暗いレンズに向けました。
※マイケル・ジャクソンのオックスフォードにおける公演(2001)はyoutubeで全文を読むことができます。https://www.youtube.com/watch?v=iIRoQN96cjg
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