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書くこととは。綴るということとは。

文字を書くこと。文字を綴るということとは。

私は普段、サラリーマンをやっているので、仕事が終わって一息つけるようになった夜にnoteを開く。そして、何かしらのエッセイをアップしてから眠りに就くことを習慣にしようとしてる。


今日、違うネタで投稿しようと思っていたけど、書き始めるとちょっと長くなりそうで、終わりがだいぶ先に感じてしまったので、「最近よく思うこと」を書いてみようと切替えた。ちなみに、その投稿予定記事を書きながら感じていたことというのが、まさに「最近よく思うこと」である。


書くこと・綴ること。最初は、在宅出来るし、好きな時間に書けるし、正直楽そうでいいな!って思っていた。


でも、いざ自分が書き始めると、当初の考えが間違いだったことに気が付くのに、時間はかからなかった…。気持ちを込めれば込めるほど、すごくエネルギーを使うんだなと思った。運動とは違うんだけど、書き終えた後の達成感とかは、5キロ走った後の爽快感にも似ているところがあるかもしれない。(人によって、5キロを楽勝と思うかも知れないけど、私にとっては”楽勝”ではない)


5キロは例えだけど、長編小説と言えば、フルマラソン以上かもしれない。人によって感じ方とか気持ちの入れ込みようによって、全く違うと思う。ノウハウの伝授だって、過去に心を痛めた出来事のふり返りを綴ることだって、物理的な労力や、精神的なエネルギーが費やされているんだ。書くことを生業としてる方も、毎日相当のエネルギー費やしてるんだ…。


それこそ、私が読み手だったら、書き手のそれを感じ取りながら読もうと思う。


そう。だから。


エッセイを書く・綴るっていうのは、文字を起こしている人の人生のおすそわけであり、共有であり、伝達であり・・・とにかく、書く方としては、感情や経験というエネルギーを費やしているわけで、そこに価値が発揮されているんだと思う。


なんて、面白い世界なんだ。もっともっと、ハマっちゃいそうだぜ。


文字を通じて、エネルギーを感じたい。感じてもらいたい。


本日は、リーマンとしての任務を遂行し、エネルギーをだいぶ食ってしまったので、もう休もうと思います。残りのエネルギーでは、当初のエッセイを満足いくように書き終われない。元気なときに、思い切り綴り切りたい。


文章は、素敵だ。可能性が無限だ。


(おわり)

2020/05/14







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