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信じることと、愛すること

なんだか、近頃は、結構、途方もない気持ちになることが多い

神さまがいたとしたら、今のわたしの状況に対する俯瞰的な説明と、より自分のことを好きになれる未来のためにどう生きたらいいのか、どうか教えてほしいなと思う

この途方もなさ、人生のどうしようもなさに折り合いをつけるために、人は何かを信じるのかなと思う

神さまがいて、善い行いと悪い行いがルール化されている宗教というシステムは、とても機能的なものだと思うし、そうやってたくさんの人の心と命を救ってきたのだろうなと思う
信じる力というのは、社会的な生き物である人間にとって、あいまいで理解し難いこの世界から自分を守るために必要な生物学的な防衛機能なのではないかとすら思う

神のみぞ知る、とも言うように

自分が本気でその人と向き合えたのか、やれるだけやったのか、とか
本当にその人は運命の人じゃなかったのか、とか
わたしと彼と、どちらの方がつらい気持ちだったかとか
そういうのって、本当のところは一生分からない

愛なのか、愛じゃないのか

目の前にいた人に対して、溢れんばかりの愛おしい気持ちがあって
幸せになってほしい気持ち、出来ることはなんでもしてあげたいという気持ちがあるのだけれど、
これは愛なのだろうか、愛なのだとしたら、恋愛というより家族愛に近いものなのだろうか
でも、そもそも愛という概念の中で、家族愛と恋愛が明確に分かれているようにも思えないし、
社会制度的にも、恋人が夫婦になるように、両者はつながっている
だったら、離れる必要はなかったのだろうか

でも、そんなことを言っていたら、誰とも離れることができなくなってしまうな
一緒に時間を過ごした人には、同性でも、異性でも、「愛している」という言葉がしっくりくる気持ちを抱く🤔
もしかすると、自分はやはり愛の人で、周りの人に愛情を抱くのが得意なのかもしれない

でも、愛することは、信じて待つこと、といった言葉もあったな
それで言うと、わたしは待つのは苦手なので、ただの自己愛という可能性もある

愛なのか、愛じゃないのか
良いことが起きるのか、悪いことが起きるのか、分からないけど
彼も言うように、良いことを起こす気持ちで、ポジティブに自分なりの愛を信じて、振りまいていきたいなーん

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