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もう見放そう

   世の中の人間というのは「対等」というものをあまり求めていないのではと感じることが多々ある。

   そんなことわかっていると思っているだろう。だが本当に理解できているだろうか。「分かる」ではなく「理解」できているかだ。

   例えばあなたの家族、友人、恋人、その者たちから自分の考えに異を唱えられても受け止めることができるだろうか。あなたはそれができるのか。無理に論点をずらして自己主張することはないか。自分が全て正解を持っていると勘違いすることはないか。人それぞれ得手不得手があり、みな支えあって生きていることを理解しているか。これを理解できていない人間が俺は世界で一番嫌いなものたちだ。
 
 今までさぞかし「優しい」ものたちに囲まれて生きてきたのだろう。ここでいう「優しい」とは無償の愛だとか、母性だとかでもないし、時間やエネルギーの余裕からくるふとした優しさとも違う。対等を求めていない人間の欲する「優しい人」とはつまり「自分にとって都合のいい人間」のとこである。そう肌身で感じている。全てに共感を求め、返事はYESを前提に会話を進め、相手の都合を考えない。俺はこんな人間を相手にすることが我慢できないし、耐えられないし、辛抱ならない。

 ある意味こういったやつら同様に俺も完全に見下して雑に扱えば楽なのだろう。だがそれがどうしてもできない。なぜなら俺は、人に得手不得手があることを認めているつもりだからである。実際しょうもない人間たちだと思うが、そんなやつらも得意な部分はおおいにあるだろうし、自分みたいな考えの人間だけが世界中に溢れていても仕方がないとなんとなく感じているからである。

 でも、どうしてもそろそろ距離を置きたい。こういったやつらは「都合のよさ」を求めるので、自身にとって都合のいいときだけに声をかけてくる。もう俺はうんざりなんだ。これ以上利用されたくない。俺は小学校のころも、中学校のころも、高校のころもいつも将来の夢は「いいやつになること」だった。職業としてはコロコロ変わったが、本質的にははなにも変わっていない。俺は本当に優しい人に、優しくなりたい。

 同じ悩みを抱えている人がいたら、自分たちはきっといい友達になれるだろう。
   いつもよりもずっとノンフィクションで書きすぎてしまった。

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