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第168回芥川賞候補作について〈後編〉―「新時代」は来るのか?受賞作予想ー

〈前編〉で三作品について触れたが、今回は残りの二作品について。そして最後に受賞作品を予想してみた。

☆『荒地の家族』佐藤厚志

1.大まかな話の流れ

海の膨張で亡くなった晴海を思い、造園の仕事をしながら残された啓太を育てる祐治。三年前、知加子と再婚したが身ごもった子を流産してからふたりの関係がうまくなくなり、離婚を言い渡されている。踏ん切りがつかない祐治はたびたび知加子の勤務先へ押しかけるのだが、職場の人たちがガードになり手紙を渡すことさえかなわない。そんなとき、かつて同じ小学校、中学校に通った明夫と再会する……祐治は今を生きながら、あの日のことを含めて少しずつ過去を回想していく。

2.感想

語弊がある言い方かも知れないが、「震災」だから最強のテーマなのではなくて、命の重さがとてつもないのだ。震災に触れて書かれる作品はこれからも続くと思われるが、この作品は間違いなくその軌跡に強烈な一点を打ったと感じた。

見たくないから見ないように、触れたくないから触れないように。当事者でないからという冷淡な理由で、そうした態度をとりがちだった私自身が、読み進めるうちに露わにされていった。共有できないつらさや哀しみと一線を画してきた、情けない自分。でもどうしていいかわからない、やるせなさが満ちてくる。

物語は、この地区に暮らす人間にとって拠り所である烏鳥屋山(からすとややま)が大雨で崩れる件で終わる。自然は人間の営みに対して無情であるだけでなく、山もまた自然の営みに被害を受ける。明夫の生を肯定し、祐治のなかに思いが固まる。再会してからずっとつっけんどんだった明夫が果物の詰め合わせを母の和子に渡したと聞くところから涙が止まらなかったので、祐治が発するその力強い言葉に心を打たれた。

作者の描写力にも触れておきたい。冒頭の一斗缶に火を焚く老人は三か所に書かれているが、創り出された老人と祐治の空間描写がすばらしい。感情がこもった描かれ方だと感じた。「あの日」の描かれ方や、晴海や知加子との関係も、まるで波が寄せては、ひいて、また寄せてひく……そんな具合に(同じ文章が繰り返され)読者に示される技巧が効果的である。また「時間」がよく確認されて、祐治にあの日のことが深く刻まれていること、そして今、丁寧に生きていることが伝わっている。

もしかしたら、この世のものではないのでは?と思われる麦わら帽子に、張りつめていた気持ちがふと緩む。わずかな時間で髪の毛が真っ白になった祐治やそれを見て啓太がげらげら笑い出すラストは、かすかな救いだろうが、その意味はやはり重たい。

読んだあと、半日くらい心を持っていかれて、立っていられないくらいだった。さまざまな家族の軌跡があり、そのひとりひとりに声をかけたい衝動が起きる。そんな感傷を抱きつつ、日々を生きる我々もまた、来るべき試練に耐えうる力を備えなければならない。肉体を強くして、精神をきたえて。無力な一個人として。宇宙に生きる埃にも満たない存在として。

3.読むときのポイント

信頼できる語り



☆『ジャクソンひとり』安堂ホセ

1.大まかな話の流れ

ロングティーシャツにプリントされたQRコードを読みこめば、ベッドに磔にされた自分の動画が流れ、職場のスタッフに勝手な想像を噂されるが、ジャクソンは俺じゃないと噓をつく。動画の男を自分だと言う人物は他にもいて、ホテル・サジタリに四人のジャクソンが集う。ジャクソンは被害届を警察に出したが、犯人を特定するよりも、「純ジャパ」には自分たちブラックミックスが同じように見えることを逆手にとった、四人が入れ替わるという手法で、めいめいのターゲットに「復讐」することを思いつく。そしてその「入れ替わっちゃう作戦」は『嘘とパイ投げ』の配信のなかで、味方であるジャクソンまでがだまされるほど最高の形で決まるのだった。閉館するクラブでロンティーから始まる一連の真相が明かされるが……

2.感想

さびついた私の頭では、一度読んだだけで犯人を特定するどころか、ストーリーを追ったりキャラを個別化することさえ難しく感じた。とくに養子のユニが登場したところから、頭がフリーズしてしまった。それでも、タクシーを三人で乗り継ぐ場面は面白く、在留カードの件とか読んでジェリンの身の上を思ったりと、二度目に読んでみればだんだん物語を楽しめるようになっていた。ジャクソン、もだけれど「アダム」も何人もいて面食らった。

自分たちはこんなふうに蔑まれている、と一方的に訴えるのではなくて、日ごろのまわりの態度を逆手にとり、彼らの偏見を利用して復讐していくストーリーが非常に面白かった。けれど偏った見方をするのは「純ジャパ」だけでなく、ジャクソン四人組の中でさえイブキとエックスの違いを区別できないという自虐的なトラップで読者の笑いを誘うあたりは、エンタメ色が濃い作品だと思った。

読みながら、世の中に偏見は無数にあることを思った。男女差別にはじまり、LGBTQ+、障害者、高齢者、ひとり親家庭、、、SNSにもそうした状況に激しい風は当たり、砕けた心の断片が散乱している。そして、今どれにも当てはまらなくても、近しい人が、あるいは自分自身がいつか当事者になる可能性はあるのだ。もちろん、みんなで手をつながなくてもいい。せめて、理解を深めるために、キーワードを学ぶだけでなく、ひとつひとつのケースに触れて感じていくことが大切なのではないか……などと思ってみたものの、何だかこういうことを書いても偽善的な気がするし、この作品を読んで抱くべき感想でもないと思う。

『ジャクソンひとり』面白かったよ。あなたも読んで惑わされてほしいな!くらいな感想が好ましいのではないか。

3.読むときのポイント

アダムをさがせ


☆「新時代」について

今回も候補作を並べてみると、バラエティに富んでいる。「新時代」を芥川賞選考委員会が受け入れる覚悟があるのかどうかで、選ばれる作品が変わってくる気がする。予想するまえに、少し書いておきたいことがある。まさに「新時代」について。
『文藝』の編集部の「文藝賞はジャンルを明確に掲げて募集しているわけではない……」というインタビュー記事(2020年1月17日に「monokaki」に掲載)を読んだ。純文学という保守的な括りを解いていきたい、という意味だろうかと思った。2022年の第59回文藝賞受賞作品が、今回芥川賞にノミネートされた『ジャクソンひとり』であるから、この作品はある意味では編集部の出した答えのひとつなのだろう。そういう意図で選ばれた文藝賞受賞作品を、日本文学振興会が受けとめて取りあげた意味は大変大きい。
純文学という日本特有の括りが、かすかにではあるけれど、緩められようとしている気配を感じている。まあ、でもすぐに大変革ということはないだろう、と目論んだうえで予想してみた。


☆芥川賞受賞作品を予想してみた

本命  : 『 荒地の家族 』
対抗  : 『 開墾地 』
穴   : 『 ジャクソンひとり 』

まあ、当たらないと思う。
私が今回の候補作品のなかで一番好きだったのは『開墾地』かも知れない。単行本の表紙をネットで見たときに、思わず手を伸ばしたくなった。たぶん、私は静かに流れる物語が好きなのかも知れない。その次は『この世の喜びよ』かな? 育てていた子どもが成人を迎えたという経験をお持ちなら、きっと共感できる作品だろう。

どの候補作も1日~2日あれば読める分量なので、ぜひ読んでみてほしい。



万条 由衣


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