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ペーパーバックを読む①

悪魔の計算:マイクル・クライトンとダン・ブラウン

もうずいぶん長いあいだ、英語の本はkindleで読んでいて、ペーバーバックを買うことはなくなったのだが、いまだに英語の本=ペーパーバックと思ってしまう。高校生の時に、英語の勉強のために、アガサ・クリスティを読み始めて以来、今に至るまで数百冊のペーパーバックを読んできた。そんな中から、昔読んだペーパーバック、最近読んだペーパーバックのことを少しずつ書いていきたい。

藤沢周平が山本周五郎の後継者と呼ばれることを喜ばなかったように、あるいは、ジョン・ル・カレがグレアム・グリーンの再来だと言われるのを嫌うように、ダン・ブラウンはマイクル・クライトンの後継だと呼ばれることを拒絶するだろう。でも、私にとっては、ダン・ブラウンはマイクル・クライトンの後継者以外の何物でもない。マイクル・クライトンは、私が心から愛した作家だった。アメリカ人で、ハーバード大学医学部卒。SF的な近未来科学ミステリを得意として、「ジュラシック・パーク」「アンドロメダ病原体」など、映画化された世界的なベストセラー小説をたくさん書いた。自ら映画を監督したり脚本を書いたりもした。有名なテレビドラマ・シリーズ「ER」も彼の作品である。私は、日本で「恐怖の存在」と訳された2004年の小説  "State of Fear " を読んで以来、(政界やマスメディアを「不安産業」と名付けたことでも忘れがたい小説ですが、)「地球温暖化」説を科学者たちによる国際的な陰謀だとする思い込みから今でも抜け出せない。だって、この小説で、クライトンが実に説得的に科学資料を駆使して陰謀説を展開していたから。今では、頭では「地球温暖化」説の正しさを理解しているのだが、身体と心が、どうしても納得しない。それほど、私のマイクル・クライトンへの信頼は厚かった。ただの小説なのに。まあ、司馬遼太郎で日本史を理解しているようなものですね。そんな、2メートル以上の長身で映画俳優のようにハンサムだったマイクル・クライトンは、残念ながら、2008年に66歳で亡くなってしまった。今の私よりも若い。

さて、ダン・ブラウン。この人の経歴をネットで検索していたら、意外な発見があった。この人は、ニューハンプシャーにある寄宿制の名門高校フィリップス・エクセター・アカデミーの卒業生なのだが、その卒業生の先輩の中に、ゴア・ヴィダルとジョン・アーヴィングがいた。アーヴィングは私の最愛の現役作家の一人。もっと驚いたのが、望月新一という日本人。ダン・ブラウンの後輩になるようだが、この人はなんと、最近、ABC予想を証明した事で世界的な大ニュースになった京大の数学者だった。アメリカ育ちだったんですね。話を戻す。ダン・ブラウンは、いうまでもなく、「ダ・ヴィンチ・コード」で一躍有名になったベストセラー作家だ。作品数があまり多くないので、私は彼の小説を全て読んでいる。今回、話題にしたいのは、2013年の作品 "Inferno"(「インフェルノ」)。トム・ハンクス主演のラングドン教授シリーズの一本として映画化されたので、ご覧になった人は多いと思う。でも、原作を読まれた方はわかると思うが、映画と原作ではラストが違う。そのラストシーンの話をする前に、この小説のあらすじを書いておくと、(あらすじだけでは、小説を読んだことにはならない。この小説の面白さは、観光ガイド的なヨーロッパ各地の名所めぐりと、多彩な歴史文化への薀蓄の深さなどの細部にある。)自殺した大富豪の遺伝学者が残した、ダンテ「神曲・地獄篇」(インフェルノ)の謎を解くために、フィレンツエやヴェネチアなど各地を巡ったラングドン教授は、WHOの事務局長から、その死んだ遺伝学者が世界人口の大部分を死亡させる病原菌を開発し、その病原菌の容器をある場所に隠したことを知らされる。その容器はある期限が来れば溶ける。今、ラングドン教授やWHOが解こうとしているのは、まさにその容器の隠された場所を示す謎なのであると。結局、ダンテの謎を解いたラングドン教授は、その容器をイスタンブールで発見する。間一髪、人類は救われた。というのが映画のラスト。でも、原作のラストは違うんですね。すでに容器は溶解していて、病原菌は世界に向かって拡散を始めてしまっていた。しかし、その病原菌は世界の人口の大半を死に追いやるものではなかった。感染者の一部を不妊にするものでしかなかったのである。自殺した遺伝学者は、世界の人口爆発がもたらす危機を憂いて、人口抑制の特効薬としての病原菌を開発したのである。それでも、彼は自らの犯すであろう罪の大きさを自覚し、自殺するとともに、誰かがこの病原菌の発効を阻止してくれるかもしれないと思って、容器ととともに、ダンテの謎を残したのである。最後の、遺伝学者の思いのところは私の推測です。いずれにしても、この原作の、ハッピーエンドとは言えない最後は、読者に共感と反発と、賛否両論を呼んだ。私自身の感想は、ダン・ブラウンも人口問題の深刻さを認識しているのだなということだった。私自身、地球温暖化なんて世界の人口が半分になれば解決するのに、なんて不可能なことを考えたこともあったからだ。まあ共感した。この小説に描かれたような病原菌がもし存在すれが、核戦争なんか起こさなくても、環境破壊や食糧危機によって大量に人間が死ななくても、自然な形で地球の人口は減っていく。それは悪い事ではないのではないか、というわけだ。まあ、悪魔のささやきですね。(念のために書いておくと、地球の人口爆発はすでにピークを越えている。人口爆発を防ぐ最良の方法は、貧困の追放と女性への教育であることはすでに多くの専門家によって証明されている。)

日本における新型コロナによる非常事態宣言が、あと一ヶ月ほど延長されることになった現在、私が、何年も前に読んだ「インフェルノ」のことを思い出したのは、尊敬する経済学者、野口悠紀雄先生が、最近、こんなことをツイッターに書かれたからである。

悪魔の計算: コロナ で高齢者の半数が死亡したとせよ。年金給付は半分になる。医療費も激減。病院での待ち時間は少なくなる。税収は不変だから、一挙に財政再建ができる。労働生産性も上がる。よいことばかり。旅行を 自粛 しても何も貰えないのだから、遊びに繰り出そう!

断るまでもなく、これは野口先生のお考えではない。逆に、野口先生は、こんな意見が、特に若い世代に広がることを恐れておられるのだ。たぶん。野口先生も私も、コロナに罹患すれば重篤化して死ぬ可能性が高い年代に属する。だからと言って、自分たち高齢者を守るために若い世代に自粛という犠牲を要求し続け、結果的に経済を殺すことにも賛成できない。私たち高齢者は、実に困った状況にある。こんな悪魔の囁きを野口先生に書かせるなんて、新型コロナという感染症は、やはり悪魔の病気だと改めて思う。そして、作家というのも、時には悪魔の代言人になるのだとも。

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