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今月読んだ本(2)

2023年5月

 毎月一冊は(kindleで)読むことにしている英語の本、今月読んだのは、 Ursula K. Le Guin "Words Are My Matter"でした。彼女がとても嫌った紹介の仕方をすると、「著名な女性SF作家」だったアーシュラ・K・ル=グインが最晩年に刊行した講演と書籍や作家の紹介文を集めた本です。日本では「私と言葉たち」という題名で翻訳出版されています。日本でも彼女のファンが多いのはたぶん、彼女が"Earthsea Cycle"「ゲド戦記」の作者だからだろうと思います。私も「ゲド戦記」は大好きな作品ですが、私が彼女の名前を知ったのはSF作家としてでした。私が本格的にSFを読むようになったのは1960年代の後半以降、高校生の頃ですが、SF界で最も権威のある「ヒューゴー賞」と「ネビュラ賞」を1970年にW授賞した「闇の左手」は、当時SFを読むものにとっては必読書だったのです。

 SFを読み始めた頃に私が主に読んでいたのは、1950年代、いわゆるSF黄金時代に活躍した作家と作品でした。アシモフ、ハインライン、ベスター等々、凄い作家が何人もいました。中でもレイ・ブラッドベリはその後の私の人生を変えたといってもいいくらいの圧倒的な存在でした。夢中になりました。もうひとりはアーサー・C・クラーク。彼の「幼年期の終わり」は三島由紀夫も傑作だと認めた名作です。1960年代は、SF界では「ニューウエーブ」の時代だと言われています。その代表はJ・G・バラード。もう一人規格外の作家がいました。フィリップ・K・ディック。私が彼の作品を読むようになったのは映画「ブレード・ランナー」の原作者としてでしたが、原作は映画ほど面白くなかったことを覚えています。でも、彼はまさに天才でした。

 そして、1970年台に入って、SF界も女性の時代を迎えますが、その代表がアーシュラ・K・ル=グインでした。彼女は1929年にカリフォルニアのバークレーに生まれ、2018年に亡くなりました。90歳近い長寿だったのは喜ばしいことでした。今回読んだものの中に面白い文章がありました。彼女は父親が文化人類学者で、名門のカリフォルニア大学バークレー校の教授をしていた関係でバークレー高校で学んだんですが、同じ高校の1年上にフィリップ・K・ディックがいたらしいというのです。でも、彼女には全く記憶がありませんでした。同窓生にきいても誰もディックの事を覚えていなかったそうです。謎ですが、いかにもディックらしい。

 この本に収録された講演録を読むと、SF界の女王と呼ばれた彼女も、純文学、特にリアリズム系の文学界の人間たちが、当時はSFをジャンル小説として一段低く見ていた風潮に我慢ならなかったようです。その事に講演のたびに何度も抗議している。今ではそんな風潮はかなり変化したと思いますが、たとえば、カナダの女性作家で、ノーベル文学賞候補でもある、M・アトウッドが自身の作品をSFと呼ばれるのを拒否している。ル=グインはアトウッドに同情しています。でも、ル=グインこそ、SFも立派な文学である、文学には良い文学(文章)と悪い文学(文章)だけがあって、そもそもジャンル分けなど営業政策以外には必要ないと認めさせた作家なのです。ですから、ル=グインにこそノーベル文学賞をとってもらいたかったと思います。彼女はそれに相応しい作家でした。

 次は、三浦展「再考 ファスト風土化する日本」。三浦さんは私より7歳も年下ですが、優れたマーケッターとして尊敬する人物です。広告会社に勤めるサラリーマン時代、マーケティングをする部署にいた私は三浦さんが編集長を務めていたマーケティング雑誌「アクロス」を定期購読していました。そしていつもながらの、その目の付け所や、鮮やかなデータの分析解釈にいつも感心していました。その彼が「下流社会」でいちやく有名人になった時にも、そのデビューは遅すぎたくらいだと思ったものです。その三浦さんのもう一つのベストセラーが「ファスト風土化する日本」でした。今回読んだ本は、自らの造語である「ファスト風土」論のその後を検証しようとするものです。これを読んで、いまや世間には、三浦さんの影響を受けた若い都市プランナーが各地で活躍していることを知って、実に心強く思いました。陣内さんが書いているように、日本を脱ファスト風土化するにはイタリアの動きなどが参考になるのでしょうが、三浦さんに共鳴した若い世代らによって、今後、日本が世界の手本になるようになればと思います。

 別の文章に書いたように、今月、一週間ほどクルーズ船の旅行をしました。船の旅だからたっぷり読書の時間があるだろうと3冊ほど持っていったんですが、実際に読めたのは、原武史『線の思考』だけでした。原さんも私よりずっと年下の学者ですが、昔から特に鉄道関係の本を愛読していました。原さんは鉄道ファンとしても有名な学者です。私自身は特に「鉄ちゃん」ではないんですが、原さんの文章は鉄道オタクでもある日本政治思想史の専門家が書いているものなので、一石二鳥というか、読むと、普通の学者の本の2倍も3倍も勉強になるのです。とにかく面白い。この本の副題は「鉄道と宗教と天皇と」。まさに原さんのこれまでの仕事のエッセンスを詰め込んだような著作でした。それにしても、「線の思考」というのは画期的ですね。原さんにしか思いつけなかった。史料によって事実を確定しやすい「点の思考」と想像力をともなって抽象的になりやすい「面の思考」、その双方の相容れない思想の中間に「線の思考」があるというわけです。原さんが愛する鉄道はまさに「線」でした。その「線の思考」によって、昭和天皇のキリスト教への接近などという驚くべき考察が生まれてくるのも、実にスリリングな読書体験でした。

 次の本は、荒川洋治さんの「文庫の読書」。荒川さんが推薦する文庫本100冊を紹介する短い文章を集めた中公文庫オリジナル編集の本です。いろいろと教えられましたが、できれば、もっと長いエッセーや評論を読みたかったなというのが正直な感想です。荒川さんは私よりも一歳年上の詩人ですが、申し訳ないことですが、その詩はほとんど読んでいません。でも、ボードレールが詩人こそが最良の批評家になると言ったように、荒川さんは素晴らしい批評家であると思います。だからこそ、本格的な批評集を読みたかった。この本では、同年代である荒川さんの読書の幅広さに驚きました。でも、詩人や詩に関する本についての紹介文が一番面白かったのは、やはり著者が現役の詩人だからでしょう。荒川さんがこの本の中で褒めていた寺山修司の詩論は一度読んでみたいと思いました。そのように、この本は格好の読書案内になっていたと思います。

 今月、文庫本として出版された、坂本龍一「音楽は自由にする」を読みました。読み終えて、ますますその早すぎた死が惜しまれてなりませんでした。坂本さんは私よりも一学年下ですが、東京芸大には現役で入っているので、一浪の私とは同じ年に大学生になった(もちろん違う大学)、まさに同世代です。同じ年に大学生になったのに、その後の人生のあまりの違いに茫然とするばかりですが、まあ、私だけではなく、ほとんどの同世代の人たちがそう思っているでしょう。まさに眩しいような人生でした。同世代のチャンピオンの一人でしたね。この本は、インタビューをもとに、十数年前に書かれた自伝的文章なので、晩年というか、最近のことは書かれていませんが、このような文章を残しておいてくれて感謝します。例えば、YMOの結成から解散まで、武満徹や大島渚監督との出会いなど、私たちがリアルタイムで目撃したり見聞きしていた様々な出来事の背景は実はこういうことだったんだよという内輪話を聞く楽しさがありました。あまりに早すぎた死による空虚感が、すこし癒やされたような気持ちがします。私と坂本さんとはバッハやドビュッシーを愛したということだけが共通点で、学生運動もせず、楽器ができず楽譜も読めない私とはまったく比較にはならないのですが、坂本龍一と同時代を生きたんだという実感が得られた読書でした。

 坂本龍一というと、私などは伝説的な編集者だった父親の影響を考えていましたが、この自伝を読むと母親の影響が大きかったようです。そもそもピアノを始めたのは母親の意向だった。母親の父親である著名な実業家も少年時代の坂本少年に大きな影響を与えたといいます。今、坂本龍一の人生を俯瞰してみると、そもそも彼のは人生は目的に向けてまっしぐらに進んだというものではなく、なんとなく周囲の事情で進んでいった、まるで台風のような人生だったわけですが、そんな中で彼が自ら決断した瞬間というのは、彼が「格好良い」と思う人物に出会って、そちらの方向に進んだという事だったようです。格好良いというのは大事な事です。今では、坂本龍一が格好いいと思った若い人々が彼の後を追って世界で活躍するようになっています。

 サラリーマン時代の読書というと通勤電車の車内が中心でしたから、どうしても文庫本や新書本が中心になります。たくさん買い集めた全集本や単行本の多くは「つん読」状態になっていました。12年前に早期退職の道を選んだのも、これらの本を自由に読みたいというのが理由のひとつでした。ところがうまく行きませんね。ついつい新刊の文庫本や新書本に目が行ってしまう。「つん読」状態はなかなか解消しませんでした。もう70歳を越えたのだから、このままなら多くの本は読まないままになってしまう。というわけで、今月はとりあえず一冊、そんな本の中から選んで読むことにしました。その本を選んだのは題名が私の思いそのままだったから。松岡正剛+佐治晴夫の対談と講演の記録である「20世紀の忘れもの」です。松岡さんについては今更言うことはありません。この人こそ知の巨人と称すべき人です。もう畏怖するしかない。この、20世紀に出版された本を読んでも、既に松岡さんは巨人でした。その松岡さんと対等にわたりあった佐治さんは、物理学者であり数学者です。松岡さんと対談するくらいだから、ただの学者ではない。恐るべき博識の持ち主でした。この二人の対談を読むのは、まるで名人戦を観戦する将棋の素人になった感じでした。内容はほとんど理解できない。でも、松岡さんの文章を読む時はいつもそうですが、いわゆる上から目線で正面から教えられるのではなく、本人が楽しそうに夢中になっている様子を後ろから眺めているような感じがいいんです。この本もそうでした。

 今月最後に読んだのは、長澤信子「台所から北京が見える」。この本で初めて知った著者は私よりもずいぶん年長で既に故人になっている方です。この本も過去に何度か出版された本をあらためて文庫化したものでした。その事に感謝したいと思います。よく出版してくれた。36歳の主婦が、子育てに一段落し後に、当時は一般的ではなかった中国語の学習をはじめ、4年間で通訳ガイドの国家試験に合格。その後も、自ら中国語教室を開いたり大学に行ったり。ガイドとしても、日中国交回復以来の業界の先駆者として70代まで活躍された。なによりも凄いのは、中国語の学習経費を自費でまかなうために学校に通って准看護婦の資格をとった事。もうスーパーウーマンですね。どうやら大企業の取締役まで進んだらしいご主人はとても理解があったようだから、主婦の趣味として中国語を学習してもよかった。それが普通でしょう。でも、長澤さんははじめから中国語のプロとして社会に貢献することをめざしてそれを実現した。その志と実行力には感嘆するしかありません。そもそも私がこの本を選んだのは、私自身が定年退職後に中国語の学習を始めていたからですが、私は10年以上学習してもいまだに初級学習者の域を脱することができていません。語学の勉強は学習時間が全てです。私の場合は10年以上といっても、実際に学習にさいている時間があまりに少ない。それはよく分かっていますが、もっと早くこの本にめぐりあっていたら、私の中国語学習意欲はもっと高まっていただろうと思います。いや、今からでも遅くはないか。でも、英語も韓国語もやらないといけないしな。


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