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ペーパーバックを読む⑤

ノーベル文学賞:オルハン・パムク&カズオ・イシグロ

今回は、ノーベル文学賞を受賞した、私とほぼ同世代の作家二人の話。私はデビュー当時からの村上春樹ファンだが、ノーベル文学賞には村上さんの登場以前から関心があった。一般的に日本人のノーベル賞に対する視線はとても熱いが、結局は、日本人が受賞するかどうかにしか興味がないように見える。私だって偉そうなことは言えない。谷崎潤一郎が生きていたら、日本人最初の受賞者は川端康成ではなく谷崎だっただろうとか、川端の受賞が、結局は、その弟子だった三島由紀夫と川端自身の自殺につながったとか、安部公房がノーベル賞が欲しいがために離婚できなかったとかいうような、ノーベル賞に関わる文壇ゴシップをたくさん知っている。ノーベル賞は、狭い日本の文壇事情とは何も関係ないのに。それでも、大江健三郎が1994年に二人目の受賞者になってからもうだいぶ時間が経ったので、そろそろ三人目を期待するのは日本人として自然だろう。もっとも、三人目が出るとして、その受賞者は村上春樹ではなく多和田葉子だろうと、文学通の一部では噂されているようだが。

本論に入ろう。今回の話題の主の一人、オルハン・パムク(Orhan Pamuk, 1952年6月7日生 )はトルコの作家。2006年に54歳でノーベル文学賞を受賞した。大江さんの受賞は59歳だったので、かなり若くしての受賞だ。(ちなみに、彼は村上春樹より年下でもある。)ネットで検索した年譜によると、彼はイスタンブールの裕福な家に生まれ、イスタンブール工科大学で建築を学んだが、その後志望を変えて、イスタンブール大学でジャーナリズムを学んだ。30歳で文壇デビュー。すぐに才能を認められて、トルコ国内の各種文学賞を次々に受賞した。作品は英語などにも翻訳されて、特に「白い城」が国際的な評価を得た。1998年出版の「わたしの名は紅」は世界的ベストセラーになり、エーコの「薔薇の名前」と比較された。2002年には「雪」がベストセラー。2003年に自伝的作品「イスタンブール」を出版。この頃、人権問題への言及でトルコ政府から国家侮辱罪に問われるが不起訴になっている。この出来事が、2006年のノーベル文学賞受賞につながった、というのは私の推測。ノーベル文学賞は、案外、政治的な賞で、強権的な政府に抵抗する反体制的作家が高く評価される傾向がある。

しかし、ノーベル賞委員会が、その時、パムクを選んでくれたおかげで、私はこの素晴らしい同時代の作家と出会うことができたのだから、この選定には感謝するしかない。ノーベル文学賞は特定の作品に与えられる賞ではないので、まずは、その代表作を読むことになるわけだが、私が最初に選んだパムクの作品は、英訳の"My Name Is Red" 「わたしの名は紅」だった。感動で身体が震えましたね。傑作だと思った。先ほど、この小説がエーコの「薔薇の名前」と比較されたと書いたが、16世紀、オスマン帝国の首都イスタンブルで起きた細密画師の殺人事件を扱った小説だから、確かに似ていると言える。どちらも傑作だ。私が "My Name Is Red" で感心したのは、物語そのものの面白さ以上に、小説中の芸術論などの知的な蘊蓄の数々であり、章ごとに語り手を変えるといった、モダニスト的な構成や語り口の面白さだった。芥川龍之介的迷宮の世界でもあった。いや、この小説には確かに谷崎潤一郎の影響も見られた。パムクはきっと「春琴抄」を読んだのに違いない。そんなこんなで、すっかりパムクのファンになった私は、 その後、"Snow" "Silent House" などを読み 、更には、パムクが故郷の街イスタンブルの歴史を懐旧した、素晴らしい写真入りの "Istanbul" に小説とは違った感動を覚え、最近作の"A Strangeness in My Mind" 「僕の違和感」や"The Red-Haired Woman" 「赫い髪の女」では、今や巨匠になったパムクに、良くできた小説を読む楽しみを改めて教えてもらっている。私にとって、ウッディ・アレンがニューヨークの象徴であるとしたら、パムクは、まだ行ったことのない街、イスタンブルの象徴である。そう、まだ行ったことがないんですね。行きたい。実は、今年3月、未読だった、パムクがノーベル賞受賞後に初めて発表した長編小説 " The Museum of Innocence"「無垢の美術館」を遅まきながら読んで、改めて、イスタンブルに行きたいという感を深くした。この小説は700ページもある長編で、少々長すぎるということもあるが、大金持ちの息子の主人公のやや常軌を逸した愛情表現に違和感を覚えて、なかなか感情移入ができなかった。パムクの小説では初めて、途中で読むのをやめようかと思ったほどだ。でもなんとか最後まで読んで、これは、ガルシア=マルケスの「コレラの時代の愛」に匹敵する至上の愛の物語なのだと納得した。この物語の主人公は、愛する女性の死後、世界中の博物館を訪ね歩いた末、ついに、彼女を永遠に記念する私設博物館を建設することを決意する。それが「無垢の美術館」なのだが、驚いたことに、パムクは実際にこの美術館を建ててしまった。ノーベル文学賞の賞金を全てこの建設に注ぎ込んだそうだ。虚構と現実が一つになったこの美術館はイスタンブルに現存する。ぜひ見に行きたいが、このコロナ禍が続く限り、それは不可能だろう。というわけで、今のところは、ネットで紹介されている美術館の紹介写真で我慢している。

カズオ・イシグロ(Kazuo Ishiguro, 1954年11月8日生)がノーベル文学賞を受賞したのは2017年。63歳の時だった。日本でも、カズオ・イシグロのブームが起こったことは、まだ記憶に新しい。日本でブームになったのは当然だ。彼は英国籍だが、元々は長崎県生まれの日本人だった。その受賞の時、一部の人たちは戸惑った。彼は英国人作家として受賞したのか、それとも日系人作家として受賞したのか。後者なら、今後の村上春樹の受賞に影響するのではないかと。実は、私も一瞬、そう考えた。でも、そんな事をノーベル賞委員会に確かめることはできない。心配するのはよそう。それよりも、カズオ・イシグロの話。私がカズオ・イシグロを読み始めたのはノーベル文学賞がきっかけではなかった。それよりずっと前、彼の長編小説、"The Remains of the Day"「日の名残り」が1989年にブッカー賞を受賞したことがきっかけだった。現在ではマン・ブッカー賞と呼ばれるこの賞は、英語圏で最高の栄誉とされる文学賞で、私は、この賞と日本の谷崎賞の受賞作品は必ず読むことを長年の習慣にしていたから、イシグロの作品もすぐに手に入れて読んだ。驚嘆した。紛れもない傑作だった。こんな文章を、生粋の英国貴族ではない人間がどうして書けたんだろうと不思議に思った。それほど見事な英語だった。ネットで年譜を検索してみると、イシグロの祖父は滋賀県大津出身の実業家で、中国大陸で活躍した人だったそうだ。イシグロの父親は上海で生まれ、後に東大から博士号を授与される海洋学者になった。英国に渡ったのは、「国立海洋研究所」の所長に誘われたからだった。そこで、北海の油田調査に携わった。カズオ・イシグロが父や母とともに英国に渡ったのは6歳の時だった。1974年にケント大学英文学科、1980年にはイースト・アングリア大学大学院創作学科に進み、批評家で作家のマルカム・ブラッドベリの指導を受け、小説を書き始めた。"A Pale View of Hills"「遠い山なみの光」や"An Arist of the Day"「浮世の画家」が高く評価され、それに続く、"The Remains of the Day"でいきなりブッカー賞を受賞した。まだ35歳の若さだった。実は、私はブッカー賞受賞以前の作品はまだ読んでいない。でも、その後の作品は全て読んだ。悪夢の世界を忠実に描いた(かなり退屈な)実験作"The Unconsoled"「充たされざる者」、戦前の上海租界を舞台にした"When We Were Orphans"「わたしたちが孤児だったころ」(これは面白かった。)、今では彼の代表作だと考えられている"Never Let Me Go"「わたしを離さないで」、あまり成功しているとは思えない寓話風の長編小説"The Buried Giant"「忘れられた巨人」。そのほか、音楽と夕暮れをめぐる短編集"Nocturnes"「夜想曲集」。わたしは、これらの作品の中では、上海租界の話もいいが、「夜想曲集」が一番好きだ。イシグロは、ミュージシャンを目指したこともある人だから、彼としても愛着のある作品のようだ。人気の高い「わたしを離さないで」については思い出がある。この小説を読む直前に、私は「アイランド」というハリウッド映画を見ていた。2005年に公開されたSFスリラー映画で、スカーレット・ヨハンソンとユアン・マクレガーが主演していた。アイランドと呼ばれる快適なコミュニティに暮らしていた人間が、実は、自分たちが人間に臓器を提供するために作られたクローンであることに気づき、外の世界に脱出するというストーリーだった。カズオ・イシグロの"Never Let Me Go"は同じ2005年に発表されている。だから、イシグロがこの映画の影響を受けたはずはないのだが、不幸なことに、映画を先に見てしまった私は、イシグロの小説を読み始めて、同じ話じゃないかと思ってしまった。それなのに、後半に至っても、映画にあったような大脱出劇やアクションシーンが出てこない。物語は、何事もなく終わってしまった。一体なんなんだ、これは。というわけで、私がこの小説の真の価値に気づいたのは、今度はこの小説が映画化されてからだった。(映画も傑作です。)反省している。これは「アイランド」とは全く次元の違う、哲学的な物語だったのだ。カズオ・イシグロは、確かにノーベル文学賞に値する作家だった。

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