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神須屋通信 #22

行動制限のない夏に

0807(日)晴
●大澤真幸+平野啓一郎「理想の国へ」読了。このご両人は何度も対談を重ねてきた関係らしいが、対談本は初めて読んだ。文明論から平成論、三島論などの興味深い話の他、コロナ禍からウクライナ戦争まで、現在進行中の出来事を含めて、真摯な話し合いがされていた。もちろん、何か結論じみた話があるわけではないが、時事問題の解決策を考えるにも、ちゃんとしたプリンシプルがないと議論は漂流すると言う指摘には納得。普通に考えれば、日本の将来に希望など何も持てないが、それでも絶望はしないことは大切な事である。でも、考えてみると、このご両人は、私よりもかなり年少なのだね。三島事件の時の年齢(大澤さんは小学6年、平野さんは生まれてもいない。)を聞いてがっかりした。事件当時大学生だった私が、彼らより三島のことをよく知っていると言う自信がないから。無駄に年だけとってしまった。

0809(火)晴
●長崎原爆記念日。●関東や関西は猛暑。東北や北海道では豪雨。同じ豪雨が韓国も襲っているようで、ソウルの一部が沈んだそうだ。映画「パラサイト」のような光景が生じている。●SARAMAGO "BLINDNESS"読了。パンデミックの時代の必読書として、カミュの「ペスト」に匹敵すると、テレビで高橋源一郎さんが紹介していた。恥ずかしいことに、サラマーゴと言う名前をそれで初めて知ったのだが、ポルトガルの人で、ノーベル賞も受賞している大作家だった。この作品も「白の闇」として日本語に翻訳され、アメリカで映画にもなっていると言うことだが、そんな事も全て知らなかった。英訳で読んでみると、確かに傑作である。原因不明の伝染病で人々の視界が全て真っ白になって視力を失う世界は、もし自分がそうなったらと想像するだけでも恐ろしい。そんな世界で、ただ一人だけ視力を保った一人の女性が、眼科医だった夫を始めとする数人の人たちを励ましながら生き延びる物語は、何やらゾンビ映画のシーンを思い出させた。いくつも忘れられない素晴らしいシーンがあるが、小説の最後で、突然、人々に視力が蘇るが、これまで一人で地獄と戦ってきた主人公が、入れ替わりのように視力を失うことを暗示する幕切には戦慄を禁じ得なかった。でも、彼女は生き抜くだろう。夫も他の人々も回復したのだから、時間が解決するだろう。たぶん。それにしても、なんという物語だ。作家的想像力の極地。確かに、サラマーゴはノーベル文学賞に相応しい作家だった。


0813(土)晴
●台風8号が東海から関東地方を襲ったが、関西は影響なし。暑い。●4回目のワクチン接種のために、心斎橋へ。大阪府の集団接種会場は、昔、東急ハンズがあったビルだった。改装工事が続く、地下鉄心斎橋駅で下車のあと、長堀の地下街にあったカフェで時間調整。予約した11時30分の15分前に会場に入った。●前回の自衛隊に劣らない、訓練されたスタッフの多い、システム化された案内で、スムーズに接種を終えた。●そのまま歩いて、観光客で賑わう心斎橋筋を歩いて、心斎橋パルコへ。館内の能舞台のある「三田屋」でステーキランチを食べた。贅沢だが、無事にワクチン接種を終えたお祝い。●食後、道頓堀から戎橋へ。観光客が溢れていて、もうここはほとんどコロナ以前に戻っていた。これで海外からの観光客が来たら、全く昔のままになるだろう。残念ながら、今回の7波が収まるまでは海外観光客の全面受け入れは難しいだろう。欧米並みというわけには行かない。●アメリカでの講演会場で、サルマン・ラシュディが刺されたというニュースに驚愕した。犯人は24歳の男だという。ホメイニの死刑宣告時には生まれてもいなかった人物による犯行。まだ背景はわからないが、統一教会といい、信仰というものの恐ろしさを痛感させる。

0814(日)晴
●腕が痛いのはいつもと一緒だが、今日は全身に倦怠感があって食欲がなかった。ワクチンの副反応なのか暑さのせいなのか。一日中、ほぼ静養。●中原清一郎「ドラゴン・オプション」読了。スパイ小説の分類に入るのだろうか、予想以上に面白かった。外国語に翻訳して出版できるレベル。「予想以上に」と書いたのは、この著者の作品を初めて読んだからだ。中原清一郎、本名は外岡秀俊。東大在学中に「北帰行」で文藝賞を受賞してベストセラーになった。頭が良くてハンサムな、この2歳年下の若者に、たぶん嫉妬したのだろう、私はこの作品を読んでいない。その外岡さんが作家にならずに朝日新聞の記者になったことは知っていた。その後の活躍は知らなかった。今回経歴をみると、ヨーロッパ総局長から本社の編集局長へと、まあ大出世していた。私は読んでいないが、新聞記者としての著書も多数ある。社長就任の話もあったそうだ。当然のことだ。その外岡さんが10年ほど前に退社して作家になった。ペンネームで書いていたので気づかなかったのだ。すでにいくつかの作品がある。このまま書いていれば、中原清一郎という名前もきっと一般に知られるようになったに違いない。そんな時に、昨年、故郷札幌のスキー場にいた外岡さんに、突然、死が襲った。今更ながらだが、その豊富な経験と知識を活かした、このル・カレ流の小説がとても面白かっただけに、なんとも残念でならない。改めて、冥福を祈りたいと思う。

0816(火)曇
●コロナ禍のせいで数年遅れた、母と義姉の17回忌。S寺にて。出席は、兄、久しぶりに東京から帰省した、兄の娘夫婦一家4人、私たち夫婦の計7名。前住職が昨年末に亡くなって初盆を迎えたばかりというので、後を継いだ養子の若い住職の法話は、前住職の思い出話ばかりになった。兄が両親と同居するために岸和田に新居を建てたのがほぼ40数年前。大阪市内から引越してきた父が近所で探してきて檀那寺になってもらったS寺の、当時はまだ若住職だった前住職は、私と同学年だったから70歳で亡くなったことになる。前立腺ガンだったそうだ。まだ若々しかったのに。前住職が健在だったら、母や義姉の思い出話が出たことだろうが、若い新住職は母らと面識がなかったのだから、前住職の思い出話が主になったのは仕方ないことだった。●法事の後の会食は岸和田城堀横の「五風荘」で。そこで2時間近くかけて食事した。●今夜は、3年ぶりに全面復活した、京都五山の送り火だったのだが、あいにくの大雨で点火が遅れてしまった。天気ばかりは思うようにならない。それでも立派に点火。お盆は終わった。日本の北部では大雨、関東北部では熱波が続いているが。

0817(水)曇
●文藝春秋で、今期の芥川賞受賞作、高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」読了。「コンビニ人間」系統の、ありふれた普通の現実から不気味な世界が垣間見える、あまり読後感の良くない小説。その意味では芥川賞に相応しいと思った。特に不気味なのが主人公の二谷という男。文学を捨て経済を選んだ男で、そこそこの企業で、このまま定年まで勤めたいと思っているようだが、食事に対して異様な敵意を抱いている。そんな男が、食事を大事にする、料理好きの、よく定時退社する身体の弱い同僚女性と交際を始めた、という話。著者はハッピーエンドも破局も描かない。後は、読者の想像でというところ。読みながら考えたこと。マルクスは、確か、資本主義から共産主義への一歩はまず、労働時間を減らすことと書いていたはずだが、日本の現状は全くそうなっていない。いまだに過労死が存在する。主人公の食への拒否感情は、そんな現代社会において、マスメディアを含めて、食レポなど、異様に多い食の情報が溢れていることへの無意識の抗議でもあるのではないかと思う。こんなに忙しいのに、食を楽しむ余裕なんかない。栄養補給さえできればいいじゃないか、というわけだ。人間は、一日8時間以上働くべきではない。いつも定時退社する芦川さんが食を大事にしているのだから、二谷さんも、働く時間を少なくして自分の時間を持てるようになれば、きっと食とも和解できるだろう。つまらない感想だが、そんなふうに、様々なことを考えさせる小説だった。小説を読んでから各選考委員の評を読んでみると、ほとんどのみなさんは、芦川という女主人公に注目していたので、私の読みはあまり一般的ではないのかもしれない。

0821(日)曇
●久しぶりの新幹線で東京へ。品川駅で下車。山手線に乗り換えて渋谷駅で下車。今回のホテルは、Mark Cityの上階にある「渋谷エクセル東急ホテル」だった。駅から空中回廊伝いに濡れずに行けた。雨は降っていなかったが。●ホテルにチェックインすると、すぐに部屋に入れた。部屋は、有名な渋谷のスクランブル交差点とは反対側。窓からは、渋谷ストリームやフクラスの他、建設中の高層ビルが見えた。●すこし部屋で休憩した後、渋谷見物に出かけた。今回の東京行きは、家内が明治神宮を見たいと言ったのがきっかけだったが、今日は、体力温存のため、神宮は明日にして、渋谷界隈を歩くことにした。私は、昨年一人で渋谷見物に来ているので、今日は案内役。●まずは、スクランブル・スクウエアの「渋谷SKY」に行こうと思ったのだが、家内が、私が見たがった「渋谷ストリーム」を優先してもいいと言うので、そちらに行ったが、外見を見ただけで、ビルの内部にまでは入らなかった。一人なら入っていたが、家内に遠慮した。その後、これは家内も関心を示した、宮下公園へ。屋上公園は日差しが強く、下のレストラン街も若い人たち向けなので、ざっと通り過ぎただけでホテルに戻った。

●疲れたので、ホテルに戻って、少し昼寝。若い頃と同じようにはいかない。●夕食は、ヒカリエの中ですることにした。「ときのとき」という和食ダイニングの店を見つけたので、そこで食事をすることにした。赤ワインで乾杯。家内の72歳の誕生日は明日だが、前祝い。大きな窓からスクランブル・スクウエアビルが見えて、なかなかのロケーションでの食事になった。料理の味もまずまずだった。●食後、そのままホテルに戻ろうとしたが、昼は日差しがきついのを敬遠していたのが、夜なら良いと判断したのだろう。家内が「渋谷SKY」の夜景を見ていこうというので屋上に上がることにした。これは大正解。夜景も素晴らしかった。カップルがたくさんいたのも頷ける。これは絶好のデートコースだ。●夜景見物を終えたホテルの部屋に戻ったら、ちょうど、「鎌倉殿の13人」が始まる時間だった。念のために録画をセットしてきてあったが、リアルタイムで見られたのはラッキー。目的のためなら、平気で子供を殺せるようになった北条義時と、それと反対に、年老いて、人間味を取り戻した殺し屋善児の対比が見事。いつもながら、三谷脚本は凄い。●その後の、「7日の王妃」も今回が最終回だというので、久しぶりに見た。初回放送で、王妃が絞首台に登るシーンが放送されたので、悲劇的な結末を予想していたのだが、実際は、ハッピーエンドではないにしても、ややホッとできるエンディングになった。まあ、史実とは違うのだろうが。

0822(月)晴
●今日は、朝から神宮見物に行く予定だったのだが、家内に神奈川県に住む友人のKさんからメールが入って、神宮に一緒に行くことになった。急遽予定変更。午後1時に原宿駅でKさんと待ち合わせることにして、午前中は、私の希望で、国立競技場を見物することにした。路線を調べて、JRで行くつもりだったが、以前、早稲田大学から渋谷まで乗ったバスが国立競技場の目の前を通ったことを家内が記憶していて、バスで行こうと主張するので、渋谷に何箇所もあるバス停から、なんとか早稲田行きのバス停を発見して乗車することができた。バス停の近くに係の人がいたので尋ねたら、「明治公園」で降りるといいと教えてくれた。競技場は、バス停の目の前だった。近くに、有名なラーメン屋の「ホープ軒」もあった。東京五輪の前に何度かテレビで紹介された黄色い店だ。●事前に調べたら、一般向けのスタジアム・ツアーは3日前に終了したことがわかったが、ひょっとしたら内部も見学できるかもしれないと一縷の望みを持っていた。でも、行ってみたらやっぱりダメだった。中学校の修学旅行の時に、当時の国立競技場の内部を見学した。東京五輪の翌年のことだった。今回も東京五輪の翌年。でも、内部には入れなかった。残念。外観と、オープンしていた、小さな「秩父宮記念ギャラリー」だけを見物して、再びバスで渋谷に戻った。なお、建築ファンである私は、隈研吾さんも好きだが、できれば、ザハ・ハディッドの設計した国立競技場を見たかったなという人間である。ついでに東京五輪について書いておくと、私はそもそも東京五輪の誘致に反対の立場だったが、手を挙げて、決まった以上は国際的な責任があると思った。だから、いろいろ不祥事はあったが、昨年のコロナ禍最中の無観客開催を菅首相が決断した事にも反対ではなかった。やって良かったと思う。

●昼食は、Mark Cityの地下の喫茶店で済ませた。カフェオレとミックス・トーストサンド。●昼食後、JRで原宿駅へ。古い駅舎は影も形もなくなり、風情のないピカピカの新しい駅舎。古い駅舎はどうしたのか。Kさんは時間通りにやってきた。●贔屓の作家、朝井まかての小説「洛陽」を読んで、神宮の森を見たいと家内が言い出してから何年かになる。それがやっと実現した。この目で見て歩いた神宮の森は、予想をこえていた。伊勢神宮とは全く違った、本物の森のイメージである。その中を通る玉砂利の参道は、伊勢神宮よりも幅広く、定規で引いたように真っ直ぐだった。曲がる時も、直角に曲がる。これには少し違和感を覚えたが、これが明治の精神なのだろう。いずれにしても、造成から百年で、人口の森はここまで育った。感動的なことである。●広大な明治神宮の参拝を済ませてからの帰途、参道沿いにある、新しい施設らしい「杜のテラス」で珈琲休憩。緑の中の洒落た現代的空間は、明治神宮とは異質だったが、気持ちのいい場所だった。●休憩の後、さらに歩いて、今度入ったのは、新国立競技場と同じく隈研吾さんの設計。根津美術館の建物を思い起こさせる、深い庇のある和風モダンの素晴らしい建築だった。2階の展示物がなかなか良かった。明治天皇が利用した馬車や衣裳類などの展示。明治神宮の1年間を描いた映像作品の上映もあった。

0823(火)晴
●朝、ホテルで朝食を済ませて渋谷駅へ。大きなトランクを持っているので、前日、階段を使わなくて良いルートを確かめてあった。山手線の内回りで東京駅へ。新幹線の乗車まで少し時間があるので、駅の構内でロッカーに荷物を預けて東京駅周辺を散策。丸の内側と八重洲側の駅前をそれぞれ見物した。●その後に大事件。いざ、ロッカーに戻ろうとしたら、そのロッカーの場所がわからなくなった。しかも、あちこち探している間に家内とはぐれてしまった。私は、ロッカーの預かり証の紙が手元にあることに気づいて、駅の人に尋ねてロッカーのある場所を見つけた。同時に、家内から電話があって、ロッカーの場所を見つけたが、貴方はどこにいるのと聞いてきた。そんなすれ違いがあったが、なんとか無事にトランクを回収。一時は、富山行きの北陸新幹線に乗り遅れるのではないかと心配した。●無事に乗車した新幹線「かがやき」は、途中停車駅が少なくて、2時間ほどで富山に着いた。今回の宿泊は、工事中から見ていた、駅前に完成して間もないショッピング・センター「MAROOT」の上階にある「ホテルヴイスキオ富山」だった。チェックインの時間には早かったので、フロントに荷物を預けて、先に昼食をとりに行った。目当ては、いつもの馴染みの駅構内の「すし玉」だったが、行列ができていたので、隣の「方舟」にした。ここも何度かきた事がある。海鮮丼を注文した。流石に美味しかった。食後、完成した北口の駅前広場を見物してホテルへ。荷物を置いて再び出発。

●駅レンタカーで、予約してあった車を借りて、向かったのは、義母が眠る、富山市納骨堂だった。一年ぶりの墓参り。墓花も線香も持参しない簡単な墓参だった。家内がまだ子供の頃に離婚して家を出た義母が故郷富山の老人ホームにいることがわかって、まるで小説のような再会をしてから約8年。富山市はすっかり第二の故郷になった。義母が亡くなってからも、私たちと富山との縁は切れない。墓参りがあるから。●次に向かったのは、近くの呉羽山にある、富山民俗民芸村にある「篁牛人記念美術館」。NHKの「日曜美術館」で紹介されたのを見てから、富山に行ったら、ぜひこの人の美術館を訪れようと思っていた。牛人のかつての住居跡に建てられた美術館は、なかなか立派な施設だった。テレビで見た作品を始め、「風神雷神」など、多くの作品を見ることができた。解説を読んでいてわかったのは、大胆な力強い水墨と対比的な、あの見事な細筆による流麗な描写には、藤田嗣治の影響があるという事だった。牛人は藤田を尊敬していたという。記念に絵葉書を数枚買った。●その後、折角なので、民俗民芸村にある他の施設を見学した。富山の売薬記念館、民芸館、合掌館、陶芸館などである。それぞれ、富山各地の由緒ある建物を移築した、風情のある施設だった。私たち意外に見物人がいないせいか、係の人が全て親切だった。●ホテルに戻ってしばらく休憩。夕食に出かけたのは、ホテルの一階下にある、ショッピングモール「MAROOT TOYAMA」のレストラン街にある「岡万」という和食の店とった。ここでも赤ワイン。食事は、東京で食べたどれよりも美味しいものだった。富山は美味しい。●新しいホテルの部屋は流石に気持ちのいいものだった。窓外からは富山駅の駅前広場が見下ろせた。気持ちのいい大浴場もあった。このホテルは、今後、富山での定宿になるかもしれない。

0824(水)曇
●ホテルの朝食会場は4階にあるというが、どこだろうと思っていたら、朝の時間帯だけエレベーターが4階に止まって、レストラン街にある「富山乃鮨」という店が朝食会場だった。入ってみるとほぼ満員。和食のビュッフェ形式だったが、料理は全て立派な高級鮨屋の味だった。ますますホテルの好感度が上がった。●駅前のホテルなので、ゆっくりとホテルを出て、新幹線で金沢へ。●金沢駅で下車。ここでもロッカーに荷物を預けた。ここなら場所がわからなくなる可能性はない。●しばらく駅周辺を散策した後、富山で入れなかったかわりに、「すし玉金沢駅店」で昼食をとった。美味しい寿司。●食後に時間があったので、駅のショッピングセンターや、岩城宏之さんゆかりの「金沢音楽堂」などを見物した(武満徹さんが岩城さんに贈った指揮棒などが展示されている。)後、サンダーバードで大阪へ戻った。来年は、北陸新幹線は福井県の敦賀まで延伸される予定。サンダーバードと新幹線の乗り換えは、敦賀ですることになるのかな。

0825(木)曇
●松岡正剛「理科の教室」読了。かつての理科少年、正剛くんの面目躍如。松岡さんも楽しんで書いている。こちらも実に楽しい読書だった。残念ながら、私は昆虫にも星座にも疎い、非理科少年だったが、ガモフの「不思議の国のトムキンス」に夢中になったり、湯川秀樹さんを尊敬したりの過去は共有している。●COCOAから、23日にコロナ感染者と約2時間接触したという通知が届いた。どうやら、東京から富山への新幹線の中での接触のようだ。マスクをしていたし、何もないと思うが、ちょっと心配。(結局は何事もなかった。)

0827(土)曇
●Netflixでジェーン・カンピオン監督「パワー・オブ・ザ・ドッグ」を見た。アカデミー賞の数部門でノミネートされ、監督賞を受賞した西部劇の名作だが、美しい映像と俳優たちの名演がありながら、後半になっても、物語の行き先の見えないミステリのような映画だったが、最後に驚きの結末が待っていた。三島由紀夫の「午後の曳航」を思い出させる甘美で恐ろしい映画だった。●夜は、「ブラタモリ」。水木しげるの故郷、境港と米子、「鳥取県のシッポ」を紹介する今回は、いかにも「ブラタモリ」らしい切り口で面白かった。それにしても、古代からこの地で続いた「たたら製鉄」が地形まで変えてしまったとは。境港がかつては「夜見島」と呼ばれる島であり、水木さんは、その島に集まっていた魑魅魍魎たちの霊を鋭い感覚で捉えていたのではないかという話は面白かった。まさに、「ゲゲゲ」の驚きの回だった。

0830(火)雨・曇
●小川洋子+堀江敏幸「あとは切手を、一枚貼るだけ」読了。奇跡的な傑作だと思う。芭蕉が完成させた連句(歌仙)を、丸谷才一さんらと現代に蘇らせた大岡信さんは、そのあまりの面白さを現代詩の世界に持ち込んで、連詩の試みをされただが、今回はなんと小説での試みである。参加は2名のみ。小川洋子さんと堀江俊幸さん。どちらも私よりも年下だが、敬愛する作家である。手紙形式にするということだけが決まっていて、後は何も決めずにスタートしたという。最初の投球、(あるいは投壜、あるいは投函)が小川さん。これがまた、星飛雄馬の大リーグボール球の魔球で、堀江さんはどう打つ返していいのか悩んだそうだが、見事に打った。そのような試みが全14通。一人が投じた文章を他方が解釈し、さらに豊かに連想を広げて投げ返す。その見事なこと。将棋や囲碁の名人戦の棋譜を見るようだった。私は以後も将棋もまったくだが、小説は何十年も読んできたから、この小説の素晴らしさは充分に堪能することができた。この本には、小川さんと堀江さんの巻末対談が収録されていて、それも面白かったが、それとは別のところで堀江さんが書いているところでは、この企画の出発は、読売新聞大阪本社が主催した「よみうり読書 芦屋サロン」で二人が一緒に舞台にあがったことだった。実は、私は広告会社のサラリーマン事大に、この「芦屋サロン」の裏方をしていたので、この時のことはよく覚えている。その事もあって、この作品は、私にとって特別の作品になった。

0831(水)曇
●朝刊で、ふたりの巨人の死が報じられた。稲盛和夫さんとゴルバチョフ。どちらも90歳を越えているから大往生ではあるが、訃報を聞くとやはり時代が変わったなと淋しい。経営者としての稲盛さんは、澁澤栄一以来の経営者だったと思う。数では澁澤ほどではないが、京セラとKDDIを創設し、日本航空を再建した。そして、多くの若い経営者を育てた。私は起業家になるような才能も野心もなかったが、氏のアメーバ経営理論に共感して、著書を数冊読んだことがある。ゴルバチョフはソ連の最後の指導者として冷戦を終結させた、歴史に残る政治家である。ノーベル平和賞も受賞した。でも、母国のロシアでは国を滅ぼした政治家として批判の的だったらしい。今回のプーチンの暴挙も黙認していたようなのは、年齢からも、当人の国での立場を考えれば仕方がないのだろう。いずれにしても、ご両人の冥福を祈る。


     

     


      


      
     

      


     

     
     
  
     


  

      
       
     


   

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