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ペーパーバックを読む②

スエーデン・ミステリー:「マルティン・ベック」から「ミレニアム」へ

今回は、巣ごもり期間中の今月読んだばかりのペーパーバック(実際に読んだのはkindle本だが)、David Lagercrantzの"The Girl Who Lived Twice"「死すべき女」の話。世界中でシリーズ合計1億部も売れているという、ミステリー・シリーズ「ミレニアム」の第6作。昨年出版されたのだが、私はそれに気づくのが遅くて、ようやく今になって読んだ。世界的なセンセーションを巻き起こした、シリーズ第1作"The Girl With The Dragon Tattoo"「ドラゴン・タトゥーの女」が日本に紹介されたのは、2008年だった。私も早速ペーパーバック(kindleではなく紙の本)で読んで驚喜した。久しぶりに、スエーデン発のミステリの傑作と出会えたから。というのも、「笑う警官」で有名な「マルティン・ベック」シリーズを、私はかつて愛読していたのだ。

これは、スエーデン警察のマルティン・ベック警視(最初は警部補)を主人公とした、ペール・ヴァールー&マイ・シューヴァル夫婦合作のシリーズだった。「笑う警官」で味をしめた私は、シリーズ処女作の「ロゼアンヌ」を読み、それからずっと、シリーズ全10冊を読んだ。出版されたのは1960年代半ばから70年代半ばまでだが、たぶん、私がこれらを読んだのは、出版から少し遅れて、大学生から社会人になった頃までの期間だったと思う。それから30年以上が経って、この「ミレニアム」シリーズが登場したのだ。まさに、晴天の霹靂のように。

しかし、よく知られているように、この小説が出版された時点で、作者のStieg Larssonはすでに故人になっていた。「燃えよドラゴン」とブルース・リーの関係のようですね。幸いなことに、ラーソンは3作分の完成原稿を残してくれていた。
それが、「初期ミレニアム3部作」と呼ばれる
"The Girl With The Dragon Tattoo"「ドラゴン・タトゥーの女」
"The Girl Who Played With Fire "「火と戯れる女」
"The Girl Who Kicked The Hornet's Nest "「眠れる女と狂卓の騎士」
の3作だった。これらの題名は英訳時のもので、原題は違うようだ。日本語訳は英訳版を踏襲している。3作ともに実に面白かった。私は夢中になりました。雑誌編集者だったという作者の分身のようなMikael Blomkivist。正義感に燃える行動家の編集者だが女好き。そしてモテモテ。そんな主人公の元に現れた謎の女性。まるで少年のように小柄だが、短髪を染め、鼻ピアスのパンク。無口で無表情。とても友達にはしたくない人物だが、これが天才的ハッカーでもある。そんなLisbeth Salander 。そんな魅力的な二人を主人公にしたシリーズをたった3作で終わらせてしまうのは惜しい。読者の誰もがそう考えた。もちろん出版社も。


実は、私も最近ネットの情報で知った(ペーパーバックを読むデメリットは、そういう裏情報を含めた解説を読めないこと)のだが、ラーソンには、エヴァ・ガブリエルソンというパートナーがいて、ペール・ヴァールー&マイ・シューヴァル夫婦と同じように共同執筆をしていた。ただ、二人は正式な夫婦ではなかったので、残された彼女には何の権利も与えられなかったそうだ。その真偽も詳細もわからないが、そんな事情もあって、この「ミレニアム」シリーズの続編の執筆を依頼されたのが、(誰が依頼したのか知らないが)、同じスエーデンのノンフィクション作家であるDavid Lagercrantzだったというわけだ。


このシリーズの愛読者たちの間には大きな危惧があった。シリーズの続編は読みたいが、果たして他の人間が書いて、元のシリーズのイメージを落とすことにならないだろうか。危惧は杞憂に終わった。その最初の作品、"The Girl in the Spider's Web"「蜘蛛の巣を払う女」が、素晴らしい出来だったからである。もちろん、中には否定的な評価を下したファンもいたが、作品は大成功してハリウッドで映画化もされた。私を含めて、多くの人がDavid Lagercrantzの才能を称賛した。そもそも、他人が創造した主人公の物語の続編を執筆するには大変な才能を必要とする。最近、日本でも有名になった「カササギ殺人事件」「メインテーマは殺人」のアンソニー・ホロヴィッツが、「シャーロック・ホームズ」や「007」の続編を書いているように、自分のオリジナル作品でもベストセラーが書ける程度の才能がないと、とても他人の小説の続編なんて書けないものだ。(そうそう、ジェフリー・ディーヴァーも「007」の続編を書いていましたね。日本では、水村美苗さんの「続明暗」という傑作がある。)


Lagercrantzは、その後も次々と続編を書いた。
"The Girl Who Takes an Eye for an Eye"「復讐の炎を吐く女」
"The Girl Who Lived Twice"「死すべき女」
というわけで、やっと、今回の読書の話になりました。"The Girl Who Lived Twice"の話。ラガークランツ版「ミレニアム」の第3作にして、全シリーズの6話目。がっかりしました。失敗作。この「ミレニアム」シリーズは、最初は副主人公として登場したLisbeth Salander が、主人公のMikael Blomkivistとともに難解な犯罪の謎を解くというものだったが、次第にLisbeth Salander の出生の秘密が物語の中心になっていった。これは、Stieg Larssonがそもそも意図していたことだったようだ。彼は自身の過去の体験から、女性への暴力を告発する物語を書こうとしていたのである。Lisbethという名前は、その象徴だった。物語は、ロシア人の二重スパイであった父親から、母親とともに暴力を受けて育ち、ついにその父親に火をつけて殺そうとし、少年院に入れられたという驚くべき出生の秘密を徐々に明かしていく。そして、このシリーズのハイライトは、その父親、ZaraとLisbethの最終的な対決のシーンだった。だから、父親が死んだところで、このシリーズは終わるはずだったのだが、ファンはそれでは許してくれず、続編が書かれることになったわけだが、Lagercrantzが考え出したのは、父親に代わる存在として、リスベットの双子の姉(妹かな)Kiraだった。双子なのに、Lisbethとは似ても似つかない絶世の美女である。同じく父親の暴力を受けて育ったが、Lisbethが父親に抵抗する道を選んだのに対して、彼女は父親に服従し、その美貌によって父親を懐柔する方法を選んだ。そして、いつのまにか、父親と同じく邪悪な存在に化していった。LisbethとKiraの最後の対決が始まる。


というわけで、この小説で書かれるべきは、姉妹の宿命の対決のはずだったのだが、そして、それは一応書かれてはいるのだが、この小説の中心の物語は、なんと、姉妹とは何の関係もない、過去にエベレスト登山隊に起こった悲劇なのである。その、哀れなシェルパを巻き込んだ悲劇が、実は国際的な陰謀であったことがLisbeth とMikael の活躍によって明らかになるというわけだが、そんな話はどうでもいいのだ。それなのに作者は、最も大事な、双子姉妹の宿命の対決を、まるでハリウッド・アクション映画の台本のような筋書きで簡単に片付けてしまった。なんということだ。これは、「ミレニアム」シリーズへの冒涜ではないか。


Amazonにはコメント欄がある。私は、本を読む前にコメントを読むことはないが、読み終えた後に、他の人たちはどんな感想を書いているか確かめることがある。驚いたことに、この"The Girl Who Lived Twice"には、英語のコメントだけで、1740個もついていた。この「ミレニアム」シリーズがいかに人気があるか、これだけでわかる。そのいくつかを読んでみた。ほとんど私と同じ酷評だった。中には、Lagercrantzはアイデアが枯渇したようだから、次作から作者を変えるべきだという意見もあった。私の意見は違う。「ミレニアム」シリーズは、この第6作で終わるべきだ。もう宿命の敵が誰もいなくなったのだから、そろそろLisbeth Salander を解放してあげようじゃないか。さて、どうなりますかね。

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