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中江広踏の連載小説のまとめ他
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#定年

「チョン・ヤギョンなんて知らない」連載開始のお知らせ

批評家に最もふさわしい資質を持っているのは詩人である、とボードレールが言いました。なるほど。ここで吉本隆明や大岡信の顔を思い浮かべた方もいるでしょう。ボードレールは正しい。では、詩人・批評家に作家を加えた三位一体の人物となると誰だろう。外国の事はよく知らないので日本でいうと、佐藤春夫かな。いやいや、私は伊藤整と中村真一郎の両人を挙げたいと思います。伊藤整は、その名を冠した文学賞があるから一般にも知られていると思いますが、中村真一郎はどうかな? 実は、池澤夏樹さん個人編集の日本

チョン・ヤギョンなんて知らない 「第一回」

               1  「仙石部長!」と呼ばれて仙石さんが振り向くと、そこに児玉くんが笑顔で立っていた。児玉くんは仙石さんの部下である。仙石さんの若い頃には役所にいなかったタイプだ。広告代理店かテレビ局にでも勤めているような洒落たヘアスタイル。細身で仕立てのよさそうなスーツを着ていた。ぴかぴかに磨いた先のとがった靴をはいている。チャラチャラした男だなというのは仙石さんが初めて児玉くんに会った時の印象で、実は、仕事のよく出来るまじめな好青年であることは、今では仙石

チョン・ヤギョンなんて知らない 「第二回」

                5  60歳での退職を決意した仙石さんがしたのは、定年に関する情報を収集することだった。まず本を読んだ。仙石さんは昔からブッキッシュな人間だった。とりあえず水に飛び込んで泳ぎを覚えるというよりも、教則本で水泳に関する理論を学んでから海や川に入るタイプだった。これは、幼い頃にいきなり兄に川に放り投げられて溺れそうになった経験からきているのだろう。それから、何か新しい事を始めるにはまず入門書を読む習慣ができた。そしてこの時に仙石さんが読んだのは、

チョン・ヤギョンなんて知らない 「第三回」

                  8    社葬が終わって、仙石さんは杉本さんに昼食に誘われた。店を選んだのも杉本さんだった。この周辺のことは仙石さんよりも杉本さんの方が詳しかったから。二人が入ったのは居酒屋だった。昼は、近所の勤め人向けに定食を出している。杉本さんは、南教授の自宅を訪れた時に、他のゼミ仲間らと何度かここに来た事があるという。南教授みずから手料理を振る舞うこともあったが、いつもいつもごちそうになってばかりもいられなかったのだそうだ。「杉本さんのおすすめの店

チョン・ヤギョンなんて知らない 「第四回」

                  11  仙石さんが南さんと再会したのは、仙石さんがS市の職員になってから8年後のことだった。二人とも30代に入っていた。南さんは、市役所主催の市政施行30周年記念の市民パレードやコンサートや講演会などの各種イベントの企画運営を委託された広告代理店の担当社員として仙石さんの前に現れた。S市側の責任者が長谷部さんで、仙石さんは長谷部さんの下で一部員として働いていた。久しぶりに会った南さんは見違えるような人間になっていた。大学時代の、仏文学専攻